Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

旭日旗について

2013-07-31 19:53:00 | 時事
【業務連絡】 8月の月次更新ですが、諸般の事情で数時間早く31日のうちに実施しております。


さて、サッカー東アジア杯における不快な出来事ですが、旭日旗が悪いという言いがかりに乗っかる勢力も情けない事に我が国内に散見されます。

旭日旗は確かに軍旗のデザインですが、大漁旗やそれこそ朝日新聞の社旗にもデザインされているように、「日出ずる処」日本を表す意匠であり、これにケチをつけられることは看過できません。
今回普段にも増して私が口を極めて批判するのは、日本国民として「日本」を表すデザインを汚されることには我慢がならないからです。

とにかく日本を示す意匠はいろいろあるわけで、日の丸、旭日旗のほか、パスメ[トの菊花紋章、政府会見の演台に描かれる桐の紋といったところがそれであり、それをとやかく言われる筋合いはありません。

軍旗だから侵略のシンボル、というもっともらしい主張も、そういう輩はどうせ「日の丸は侵略のシンボル」と同じ口で言っているわけで、国旗は良くて旭日旗はダメな理由になりません。

逆に、旭日旗の使用をこれを機に制限なんてことになったら、日の丸への圧力が復活するのも明白ですし、こんな言いがかりを許したら、パスメ[トの菊花紋章や政府会見の演台の桐の紋だって言いがかりをつけてくるでしょう。
特に桐の紋は豊臣家の紋でもありますから、「我が国を侵略した秀吉の紋章を使うとは...」と鬼の首を取ったように来るでしょうね。

うるさいから面従腹背で、というのはこういう時には通用しません。
沈黙は金ではなく、受諾とされるのです。
嘘も100回言えば本当になる、と言うゲッペルスのデマゴーグを地で行くようなやり口には、きちんと対応しないと、取り返しがつかない事態になります。




国旗に準ずる旗印を汚されては

2013-07-30 23:14:00 | ノンジャンル
何とかにつける薬はないというか、ああ言えばナントカというか、呆れて物も言えませんが、無視すればトンデモが通るので対応しないといけません。

まあ東アジア杯の件なんですが、言い逃れの出来ない横断幕に対し、日本のサメ[ターが旭日旗を掲げていたから、と言い出しました。
さっそく歴史認識問題で韓国などと共同歩調を取るメディアは「お互い様」ムードを醸成しようと必死ですが、この「言いがかり」は横断幕を掲げるどころでない無礼極まりない話であり、厳しく指弾、抗議すべき話です。

「旭日旗」が侵略のシンボル、というと左派系の勢力も深く頷くところでしょうが、我が国にとっては国旗に準ずる旗印であり、その掲揚、使用に対してケチをつけるということは、日本に対する重大な侮辱でもあります。

旭日旗はまさに「ライジングサン」の表象であり、日の丸とともに「日の本」である我が国を表す旗です。
韓国系の勢力が最近旭日旗やそれをイメージするデザインの糾弾を世界規模で進めており、使用する企業などに対して示威、威嚇行動をして使用を止めさせると言うゴロツキそのものの行動を繰り広げています。

なぜこうした我が国を貶めて、無関係な外国企業などに害を与える無法行為に対して、我が国が沈黙しているのか。外務省の売国ぶりも極まれりですが、外務省同様にサッカー協会もこうしたゴロツキに阿って、試合会場への旭日旗の持込や掲揚を禁止する愚挙に出ているとも聞いており、情けないと言うよりも怒りすら感じます。

国旗に準ずる旗印の使用を禁止する根拠は何か。それが政治的主張とみなす根拠は何か。ゴロツキに「戦果」を与えると、次は日章旗そのものを排除するように仕向けますよ。国際試合で自国の国旗や国章、国を示す旗印の使用を禁止するような協会など世界中探しても我が国以外にありません。

国旗を侵略のシンボルだと言う勢力に配慮して禁止することがないように、旭日旗も我が国の現役の旗印であり、それを禁止するということは国家の否定であり、絶対に受け入れられません。

旭日旗は海軍の軍艦旗として、陸軍の軍旗として親しまれ、戦後も海上自衛隊の護衛艦の軍艦旗に採用されているのです。
日本の軍艦であることを示す旗印であり、それを否定すると言うことは国旗の否定にも等しいです。
さらに言えば、「ライジングサン」をイメージしたデザインは、日本の文化にも溶け込んだデザインであり、軍旗などへの使用とあわせて、縁起を担ぐ、また勝利を願うシーンで使用される旗であり、今回の「妄言」はまさに「ケチ」をつけるものです。

ゴロツキ連中は旭日旗とナチスのハーケンクロイツを同一視していますが、ここも早急に誤解を解くべきでしょう。
ハーケンクロイツはナチスの党旗から国旗に成り上がった旗であり、赤旗などと同じ類です。ナチスドイツの崩壊とともに消え去り、禁止された旗です。

ドイツの国旗は黒赤金の三色旗であり、ワイマール共和国から戦後の東西ドイツに引き継がれて現在に至っていますが、ドイツ軍はプロイセン騎士団以来の伝統の鉄十字(黒十字)を国章として使っており、現在もドイツ軍が用いています。
ゴロツキ連中の言いがかりは、ドイツとドイツ人に対し、鉄十字はナチスのマークだ、と言うようなものであり、ドイツ人はそれを聞いたら烈火のごとく怒るでしょう。ドイツとドイツ人はナチスドイツ時代であっても、ナチスの私兵である親衛隊などとドイツ国防軍は別物であると頑なに主張し(確かに指揮系統をはじめとして別組織ですが、作戦行動は同じベクトルで動いてましたよね)、第二次大戦中の戦いについても誇りを持っているのであり、鉄十字をハーケンクロイツと同一視なんか論外です。

旭日旗は言うまでもなくドイツの鉄十字と同じような位置づけになる旗であり、それを侵略のシンボルとかハーケンクロイツと同一だといった侮辱は決して許してはいけないものですし、国家レベルで抗議していい話です。天皇陛下への謝罪要求、「千年不変」、そして旭日旗への侮辱と、これまでの弱腰外交が一線を完全に越えた侮辱を許したといえます。

ここまで来ると、話して分かるようなタマじゃないことが国民各層に浸透しているでしょう。ましてや妥協するなど論外です。
なんにでも言いがかりをつけるゴロツキに対して、黙っていることが国益に適うのかどうか。
もちろん同じ土俵に下りることなく、冷静に相手の非礼と愚かさを突いて、その愚かな行為の報いと責任を負わせるように行動すべきです。
間違っても新大久保のような泥仕合に訴えてはいけませんし、そういう同じ土俵に引きずり込もうとする「エセ愛国者」を厳しく排除しなければいけません。


弱者をダシにした利用者不在

2013-07-29 22:59:00 | 交通
エスカレーターの片側空けが定着して久しいなか、関東と関西で空ける側が違うとか、京都の地下鉄だけは関東流だとか、比較文化論的にも面白いテーマですが、事業者や行政がお願いしたのでもなく利用者の自発的な慣習としてルールが成立したという意味でも独特なものと言えます。
同種の一部の慣行から全国的なルール化したものとしては、渋滞最後尾に付いた時にハザードを点けて後続に注意を促す、というものがあり、これも道交法に規定はないですし、教習所でも教えませんが、高速道路会社が横断幕で呼びかけるなど「公式ルール」化しています。

ところがこの片側空けに対しては、根強い批判があることも事実です。
いわく、右側空けの場合、右手で掴まりたいのに出来ない、障害者や高齢者はどうする、というものです。
中には歩くのはわがまま、人間性が低い、というようなものまであるわけですが、このほど鉄道事業者が共同して「みんなで手すりにつかまろう」キャンペーンを始めて、エスカレーターの片側空けを追放する動きを見せています。

はっきり言えば、「弱者」をダシにした不便の強制であり、利用者が築いてきたスムーズな利用を台無しにするものです。
そう言うと、お前は「弱者」をなんと心得る、とすぐ正義感に酔いしれた批判が飛んでくるのですが、キャンペーンのャXターにあるように、わざとらしく「弱者」を大量に描いて、そこをすり抜ける人を人でなしのように見せるレトリックで、「実際の現状」、つまり、事業者の努力不足を糊塗されてはたまりません。

車椅子やベビーカーをはじめとする「弱者」を本当に保護するのであれば、それはエレベーターであるべきであり、健常者が我先とエレベーターに群がる様を厳しく批判するほうが弱者対策です。それはさておき、エスカレーターの設置が何を招いているのか、ということを考えれば、片側空けは利用者同士が年月をかけて築き上げた「対策」であり、「弱者」も含めて最大の利益となるやり方なのです。

駅などのエスカレーターではわざとらしいャXターのように絶えず「弱者」がいるわけでもありません。
ラッシュ時はその大半が「健常者」です。エスカレーターの問題点、それは徒歩よりも遅いスピードであり、横一列で見た場合、下り用の列を空けても4人程度が一気に上がれる階段に比べての処理能力の低さであり、スピードとの相乗効果で、階段の半分、いや、1/3程度の処理しか出来ないのです。

批判者の中には中高生レベルの数学も出来ない人が多いようで、片側空けをしたほうが時間がかかる、というトンデモ理論を振りかざす手合いもいますが、全員に近い人がなぜか片側に滞留して待つのでもない限り、単位時間当たりの処理人数は片側空けが多いですし、平均としての通過時間も短いです。普段使う駅でたまに右側に立つ人が出て滞留することがありますが、処理能力が落ちた証左として、ホーム上の滞留者が増えていますから。

改札口へ、また乗り換えホームへの上下移動が専らとなるなかで、エスカレーターを入れたことで時間が分単位で余計にかかるようになっている現実があります。電車を1本乗り過ごすと目的地への到着が30分差になると言うことが首都圏近郊区間でも多々ある状況で、これは到底受け入れられない話です。
また、階段を歩けと言う人もいますが、階段がないとか、極端に狭くなっているケースも多いわけで、そういう状況で「徒歩より遅い」移動を強制することが妥当かどうか。

本当は両方歩いて欲しいケースもありますが、そこを片側にしたと言うのがミソであり、賛同者を最大化できる対応が自発的に発生、定着したことをさらにレベルアップするのならわかりますが、そういう努力を現実を見ずに踏みにじろうとしているのが今回のキャンペーンです。
「弱者」はどうする、と言う部分にしても、右側にしか立てない人がいれば、往々にして見れば分かる話ですし、見た目で分からなければ、「右しか持てないんです」と一言断ればいい話です。エスカレーターでなくても、通路でそういう「弱者」を押しのける無慈悲な人はいませんし、いたとしたら批判の対象なんですから、そういう場面に出会ったときにケースバイケースで対応すべき話です。

譲る側、譲られる側ともにちょっとの工夫で円満に解決しますし、ルールで縛って不必要な時に利用者に不便を強いることもありません。それを「弱者」をわざとらしく持ち出して、全部禁止すれば問題解決、と言う安直な手段に出る思考停止状態はどういうことか。
弱者の形態は千差万別であり、片側空け以外にもその移動の妨げになるバリアがある中で、どんな状況でも思いやる、手助けをする、と言う実効性のある対応ではなく、形式論で事足れりとするような姿勢が問題と言えます。

エスカレーターは片側空けの前提で設計されていない、という逃げ口上ももっともらしい反面、商業施設なんかでは詰めて乗ることも少なく常に片側空けですが、それが機械を傷めているから詰めてお乗り下さい、と言わないあたりに、「口実」を感じます。
ベビーカーの鉄道やバスでの使用についても、未だにメーカーは「電車内での使用を前提にして設計されていません」と言う逃げ口上を取説に記載しているのが専らですが、それを理由に利用を締め出すと言うことは遠い昔の話になったわけであり、エスカレーターの片側空けも、その普及の歴史を考えたら、それで何か問題が有意に発生したのか、という話になります。
そもそも、片側空けや歩行で故障や事故が有意に発生するというのであれば、考えうる利用形態すらカバーできていない、という設計上の問題を指摘していい話です。(普通なら「通常の使用」から波及する「過酷な条件での使用」を想定して安全マージンを確保している)

そしてそこまで安全に拘るのであれば、「手すりにつかまろう」という推奨のほうが危険といえるのですが。
古いエスカレーター特有の話、と言われますが、そうとも限らない話として、手すりと踏み板が連動しないことがある、という事実があります。本来連動している両者ですが、踏み板にかかる荷重のほうが大きいことで手すりが先行する、というものですが、そこまで露骨でなくとも、過重の係り具合の問題なのか、時折ガクッと手すりが異常な動きをしてタイミングがずれることはよくあります。

下りで手すりを信頼して力をかけていると、突然先行して前のめりになり転唐フ危険性がある。これは片側空けに対応できない「弱者」が現れるよりも多い頻度で発生する事象ではないのか。
そんなレアケースを、と批判する人も多いでしょうが、片側空けに対応できない「弱者」を前提にする議論も、レアケースという意味では大差がないのです。

エスカレーターの利用については、交通事業者がやるべきことはほかにあります。
乗降の邪魔になってもドア横や前に陣取って降車駅のエスカレーター前を死守しながら、いざドアが開くとノロノロ移動する手合い。まず歩ける人が一定量両側を歩いたほうがホームの滞留も減りますし、結果として後ろから歩いても全体の所要時間も減るのですが、1人のわがままがそれを台無しにします。

また電車が到着しているのにぼんやりとスマホを眺めながら道を塞ぐ手合い。歩かないと言う信念があるのならまだしも、電車がいるときがつくと駆け出すわけで、結果として糞詰まりになって乗れない人多数と言うよくある光景です。
また、この亜種として、エスカレーターを降りたところで立ち止まって後ろの人を塞ぐ手合いもいます。

このあたりは、スムーズに移動、利用することが結果として全体の利便性、さらには安全にもつながるわけで、最高速度を墨守しているが空気が全く読めない運転ではなく、サグでの速度維持など場を見た運転で渋滞を軽減しよう、という道路管理者のキャンペーンもそうした発想です。また、航空機でもスムーズな乗降のためにいろいろなマナーキャンペーンを実施しており、交通機関での現状は、限られたスペックでの「スムーズ」が前提になっています。

もちろんそれが「弱者」軽視ではないことは言うまでもないわけで、ましてや「弱者」をダシに「スムーズ」を捨てようとする鉄道事業者の退化ぶりは話になりません。
ラッシュにもまれ、乗り換えでイライラ、という利用者軽視の状況へ舵を切って何がしたいのか。それこそエコくらいしか取り柄がないのでは、利用者に振り返ってもらうことも難しいです。




歩み寄るなど論外の国では

2013-07-29 22:58:00 | 時事
参院選でも圧勝した安倍政権をなんとか批判しようとするメディアの糸口は原発と対中・対韓外交くらいしかない状況です。
そこで中韓両国との対立を解消すべしというのは当たり前の意見ですが、そこで日本が歩み寄れと一方的に悪者扱いと言うのでは話になりません。そもそも関係が悪化したのは中国による尖閣諸島への「侵略」と軍事的圧力であり、韓国による駐≒阯フの固定化と天皇陛下への謝罪要求、さらには歴史カードの濫発です。

特に韓国は対馬の仏像泥棒、徴用工問題などにおける法治主義の放棄とも言える司法当局の反応もあるわけで、何で歩み寄らなければならないのか、と言うのが率直なところですし、「アジア諸国」を考えたら、一部メディアが言うように中国や韓国だけでなく、フィリピンやマレーシアなどとの関係も重視すべきであり、こうした国々も中国の軍事的圧力に悩んでいることを踏まえたら、対中国で歩み寄るのではなく、各国と共同歩調を取って対応すべきです。

その韓国ですが、どこをどう考えたら歩み寄れと言う話になるのか、と言う状況です。厳しく対応して、その非常識な行動ぶりを国際社会の共有として、国際社会として指弾していくべき行動を繰り返しているのに、歩み寄れと言う非常識メディアはどこの国の第五列なのか。
足下も韓国出身で日本国籍を取得した評論家の入国を拒否したり、サッカーの国際試合で政治的主張の横断幕などを掲げるなど、マナー違反どころかルール違反の行動は、放っておけば付け上がるだけであり、冷静に、そして厳しく彼らの愚かさぶりを国際社会にアピールしていく必要があります。

そのアピールを欠いているから、米国での「慰安婦の像」建設問題で後手後手に回り、現地の日系住民の主張を韓国系住民が妨害して強引に建設を認めさせるような事態になっているわけで、外交の世界では北朝鮮のような「ならず者」と同様に、韓国のような「愚か者」も早いうちに潰さないといけないのです。

評論家の入国問題は、もう「反日」なら「造反有利」と言う韓国の判断基準が、儒教的価値観よりも上位に立ってしまったと言う象徴的な事態です。親族の結婚式への参列での入国です。招待する側から見たら年長者であり、その招待を許さないと言うのは、年長者への礼節を尽くせないような結婚式にさせられたわけで、一族そのものを汚されたような話でしょう。
もはや「人の道」にも外れたような行動であり、評論家が「人権問題」として憤るのもまだ抑制している感じです。

そしてサッカーの応援問題も、五輪であれだけ「メダル剥奪か」と言われて拝み唐オて「寛大な処分」で済んだというのに、学習効果がないというか、もはや確信犯であり、その場での対応を含めて、国レベルで故意の違反を繰り返すとして、しばらく国際試合から追放するくらいの強い処分を求めるべきでしょう。

このあたりは中国と比べてもそのトンデモぶりが際立っており、一部でヒートアップしても、必ずそれはやり過ぎと批判する声が上がり、国家としても常識外れの行動は戒める中国に対し、国を挙げてやりたい放題で野放しと言う韓国の「低劣」ぶりは異常です。
にもかかわらず、歩み寄りを強調するメディアは、サッカーでの「愚挙」を「抑制的に」報じて実態を糊塗しているわけで、救いようがない話と言えます。


為にする記事

2013-07-29 22:56:00 | ノンジャンル
参院選直前に唐突に出てきた朝日の「原発利権」に関する記事ですが、3回ほど連載しただけで選挙に至ると沈黙と言う分かりやすい状況に、やはりリベラル、反原発勢力が劣勢ということで世論を誘導しててこ入れを図る「為にする」記事であることが露骨でした。

日曜日からようやく続報になったわけですが、10年前から取材してきた、6月に東電に直当たりを取った、といかにもあのタイミングでの報道に正当性があると言っていますが、「見え見えのウソ」を地で行く話しです。

「渾身の取材結果」なのに経産省も東電も無視同然、と憤っていますが、そもそもそれが本当にコンプライアンス問題なのか。事実を指摘しているのか。それがはっきりしない状態で「調査せよ」とか騒がれてもどうしようもありません。
このあたりは「俺様が取材しているのだから回答義務がある」という「俺様ルール」を振り回している可能性もあるわけで、実際、参院選の維新の選挙戦の取材で、立入禁止箇所に入って取材しているのを咎めたら「俺は朝日の記者だ。追い出したらコラムに書いてやる」と恫喝した記者もいるわけで、質問に答えないから、と批判するのは尊大にも程があります。

あまり「大阪のオバちゃん理論」は使いたくないのですが、公共工事の用地買収を指摘するのであれば、ことは原発に限らないわけですし、それはゼネコンと業者の深い闇、というよりも、「普通の地主」のほうがえげつないわけです。だいたい、「利権」であれば買収などでゴネて心証を害したらもっとおいしい完成後の継続的な業務から干される危険性があるわけで、普通なら業者のほうが擦り寄ってくる話です。
結局、公共工事=悪と刷り込んで、住み慣れた土地が奪われる、と価値を釣り上げて、取れるだけ取ろう、と言う流れを作っているのは朝日をはじめとするメディアが問題をすりかえて騒いでいたのではないか。
さらに言えば、国有地を払い下げて新聞社の本社が陣取っていることのほうがよほど「利権」であり「深い闇」でしょうし。

為にする記事をさらに正当化しようとした続報ですが、鉦や太鼓で騒ぐ割に中身がないわけです。
種子島の中間貯蔵施設の話も、受け入れ候補になってもらうための接待がケシカラン、というわけで、ではメディアは「お仕事」のために接待はしないのか。さらに言えば、上記の維新のケースじゃないですが、「ならば書くぞ」と脅しかねない業界ですから、至れり尽くせりの接待も受けているとよく聞きますが。

挙句の果てが証言者が漁に出て行方不明、という無関係な事実を並べて、「口封じ」でもあったのか、と読者を誤解させるような構成です。三流ゴシップ誌でももっとマシな話に仕立てるようなひどい記事と言えます。