Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

3つの問題

2012-04-27 01:16:00 | 時事
昨夏の節電が「非常手段」であり、停止中の火発が復旧すれば2012年からは被災地の原発分を除けば電源は十分確保される、という前提があったはずです。それが稼働中の原発も事実上停止ということになって話がおかしくなり、いつの間にか昨夏並み、それ以上の節電を、という話にすりかわったのです。

ここには3つの問題があるわけです。
まずは節電による経済活動の低下を無視した議論ということ。非競争産業、独占業種で景気動向に左右されずに一定の収入が見込める階層が一定数あることで、経済問題を実感できない、していないということです。特に主婦層、年金生活層とメディアがその典型で、その収入をGDP連動とか日経平均連動にでもしないと最後まで分からないでしょう。
また前にも批判しましたが、「有識者」「学識経験者」の類もこの層に属することは強く指摘すべきことでしょう。

25日の朝日社説「急げ、急げ、もっと急げ」も典型的な空論であり、ピークカットに知恵を絞れというのならば隗より始めよで、甲子園大会の中止もしくは電力事情に余裕がある地域での開催、関電管内の朝日放送の昼間時間帯の停波、大阪朝日の夕刊の休刊といった「身を切る対策」をまず示してこそ説得力があるというものです。それで売上が下がる?「急げ」と昨夏以上の節電を強いられる側は、経済活動の低下、生産性の低下で昨夏から収入は下がっているのです。文句を言うな、です。

次いでゼロトレランス(ゼロリスク)が前提になっているということ。
震災では原発問題に限らず「想定外」という表現が飛び交いましたがその想定外としていた部分が大きな被害、影響を及ぼしただけに、「万に一つ」どころでないレベルでも許さない、という感情がどうしても出てくるのはやむを得ないところです。

しかし、「0%」(0.0%ではない)を保証することは、それが証明できない限り不可能ですし、基本的にそれは「悪魔の証明」に属する分野です。言い方を変えれば、リスクの確率をゼロと言い切ることは不可能であり、限りなく0に向けて近づくリスクのどこまでを許容するかという判断であるべき話です。

にもかかわらずゼロを要求しているわけです。ちょっとでもあればリスクがあるはず、とまさに悪魔の証明です。それを要求するのが「素人」ならともかく、科学的素養があるはずのアカデミズムが主張していますし、自称専門家の当時の首相も海水注入による再臨界の可能性につき、安全委の委員長に尋ねた際、相手はいちおう科学者ですから「ゼロ」とはいえないわけで、そこから迷走したわけです。

ゼロを要求したらあらゆることが出来なくなる。そういうスタートラインを認識できないのでは議論にすらなりませんし、「説明」をするだけ無駄といえます。
ちなみに「ゼロ」信仰は実は危険ともいえるわけで、「絶対大丈夫」ということがありえると信じることで、万が一への対応が出来ない。そう、ダメージコントロールを等閑にしてしまった日本軍と一緒です。

最後に、住民の同意が絶対視されていることです。
上記のように「説明」を本質的に受け入れない人が一定層いる中で、合意をどこまで求めることが妥当なのか。さらに言えば、同意を求める対象と、同意の対象となる事象のレベル感が一致しているのか。

つまり、集落レベルの反対を絶対視して基礎自治体にとっての最善の道が閉ざされることが妥当なのか。そしてその究極が自治体レベルの反対が国益を左右できるのか、ということです。

「原発は危険だから」と正当化するのでしょうが、そこにあるのは「迷惑施設への拒絶感」が根底にあるわけです。もちろん昭和40年代の杉並ゴミ戦争や、近年の小金井市のように、他地域に迷惑施設を押し付ける原発問題と真逆の地域エゴもあるわけで、そういう意味では地元住民の同意にも重みはありますが、それが絶対ではありません。

厳しいことを言えば、原発の立地には条件があるわけです。リスクは極小化されているとしても、万が一を考えなければならない。そう考えると、万が一とはいえ「東京に原発を」という感じであえてリスクを取ることは妥当なのかどうか。
もちろん原発に限らず、火発でも工場でも大なり小なり同じ発想で立地しているわけです。だから住宅地に火発や工場はないのです。

「地元住民」が一人もいない地域があればまだしも、そうではない状況では、誰かが犠牲にならないといけないわけです。我々はそれをお願いしなければなりませんし、それに見合う「補償」もしなければなりません。しかしそこに無制限の拒否権はないのです。

唯一それが許されるとしたら、同意を求める対象と、同意の対象の受益者の一致です。
そう、原発の受益者の「総意」でしょう。ただしそこに求められる条件は、合意による不利益を自分たちだけで分担するということです。
経済活動が停滞して沈没しても原発は稼動させない、というコンセンサスが得られるのであれば、それは自分たちが自ら選んだという「民主主義」の結果として尊重するしかありません。

ただし、そこには結果に対する責任と受容の義務があります。
「政権交代」に浮かれて民主党政権を選んだ人が、足下の末期的な状況に責任があるように。


空論を弄する学識経験者

2012-04-24 22:28:00 | 時事
政府の需給検証委員会が23日にあり、各電力会社から提出された需給の見通しが報告されました。
関電の16.3%を筆頭に、北電と九電の都合3社が不足するとしていますが、大飯の再稼動が焦点の関電管内の数字には早速反原発勢力が噛み付いています。

特にひどかったのはやっぱりというかの報道ステーションで、「ぼくのかんがえたせつでん」レベルですが、そもそもの委員会自体が何を考えているのか分からない、というか話にならないスタンスで電力会社を「糾弾」していては論外です。

そもそも昨夏に電力が足りたのは企業、家庭を挙げての節電努力であり、また、コストとメンテナンスを度外視した発電能力の増強でした。ですから昨夏の「実績」は絶対に参考にしてはならないはずであり、自然体での電力需給を計算しないといけないはずです。そして今夏は出来る範囲で、というのがコンセンサスだったはずです。

ところが蓋を開けてみると関電の節電織り込みが足りない、ときました。東電並みにすれば、とか言いますが、節電効果を最大限織り込むということがどういう前提なのか。本来はそうした前提で「足りる」としてきた電力会社に対して、無理な織り込みをしていないか、経済活動、市民生活へのマイナス影響はないのかを検証して、妥当といえる規模での節電効果を織り込むべきですが、全然違ったわけです。

昨夏の対応をもう忘れたのでしょうか。平日日中のピークカットのために早出などの時間シフトや休日操業への曜日シフト。非効率な生産体制に、従業員は家族ぐるみで生活リズムがずたずたにされました。トヨタの労組が今夏は昨夏のような対応はしない、と断言しているように、これを恒常化することは許されないといえるレベルです。

報道ステーションはそうした産業界に媚を売るように、工場の節電は無理だから、としてましたが、では事務所などや家庭の節電での対応で何とかなるというのは全く現場が見えていません。
工場だけ緩和しても、それだけで経済活動にはなりません。オフィスでの節電だって生産性が大きく下がります。商業施設にしても売上が落ちればそれだけ経済が落ち込むわけで、燃料費の高騰と生産性低下による収益減少のダブルパンチが節電の効果として現れます。

検証委のメンバーを見て呆れたのが、アカデミズムとコンサルですか。実務者、生活者、生産者の代表は誰もいない状態で、純粋に需給バランスを判断するのではなく、「節電の積み上げが」と判断するのですから恐れ入ります。アカデミズムが数字で出来ることは需給バランスの計算までであり、あのやり取りを見れば、見積りの根拠を判断する能力はないと断言できます。

昨年は冷夏だったから、という批判を交わすべく検証委も報ステも一昨年のデータを持ち出してきましたが、東電のピークは7月23日、確かに大手町の最高気温が35.7度で湿度65%はひどく暑かった一日でしたが、そもそも関東と関西の暑さの質が違うとは誰もが言っている話であり、そのまま適用できるのかどうか。この年、大阪の気温と比較すると、特にお盆前後から大阪の気温は連日東京より2、3度高い35度超の毎日だったわけで、前提そのものがおかしいわけです。

報ステも検証委も、昨夏レベルの節電を前提にしている上に、さらに話にならないのは、同じ電源をダブル、トリプルカウントしているわけです。
要は融通と自家発電。融通は同じ余裕を各社がカウントしていますよね。同時にトラブルとかがあって不足する電力会社が複数出てきたら対応できるのか。
自家発電も節電と裏表の関係です。電力会社からの購入を手控えて自家発電で賄うというケースで、節電効果と自家発電の両方を織り込むのはダブルカウントです。

実務も生活も知らずに需給の見積りをするばかりか、計算すら出来ないのか、と言いたくなる状況であり、報ステを見ていた家人も呆れていました。中小規模の自家発電の能力と問題点くらい、事業所のパートのおばちゃんでも知っている話ですが、それを単純積算で使えると言い切るのですから。

それにしてもこういう時に招集される「有識者」「学識経験者」なる人士とは一体なんなのか。
はっきり言ってしまえば、「世間知らずの空論」であり、選挙による国民の負託を受けてもいないのにそれが政策を動かすのですから一番たちが悪い話です。

そういうと、専門家、プロへ素人が何を言うか、という批判が山のように来るわけですが、少なくとも生活や経済活動に踏み込むような時に、生活者や経済界から疑問が呈されるようなレベルであれば、それは「世間知らず」であり、ゆえにこの手の「有識者」「学識経験者」が国民から信頼されていないと知るべきでしょう。

国民生活や経済活動に踏み込むのであれば、まずは発電コストの議論も必要です。燃料が無いなら札束を燃やせばカロリーは得られますが、そんな馬鹿なことをする人はいません。
しかし足下の電力確保は限りなくそれに近い状況であり、そんな高い電力を供給されてもどうコストを負担するのか、というレベルなのです。

生活に占める光熱費の上昇ならまだしも、産業界で原価に直接響くことを考えたら「商売上がったり」でしょう。要は一定のコスト以上で確保しても、それは無いに等しいのです。
こうした重要な変数を無視した議論でもある今回の需給見通し、それで「足りる」と大はしゃぎしている姿は、まさに「集団自殺」へ誘うハーメルンの笛吹きといえます。



清盛便乗?駅弁

2012-04-23 23:59:00 | 交通
大河ドラマ「平清盛」の視聴率が低迷しています。兵庫県知事の「批判」に逆ギレしたのか、映像がさらに「汚く」なっているのを見ると見る気も起こらないのが正直なところですが、それにしてもちょっと不人気ぶりが気になります。

もともと源平合戦の直前に死去した清盛の半生記だと盛り上がりに欠けますから、晩年の清盛が撃破してきた鹿ケ谷の陰謀や以仁王の令獅フ続きと言うことで、そのまま壇ノ浦まで範囲にして、源平合戦で視聴率を稼ぐと言うリスクヘッジがいじましいです。

設定が悪い、と言う声もありますが、40年前の吉川英治原作の「新・平家物語」では平氏側に軸足を置いて人気でしたし(飛び抜けてはいませんが、前後の「大河」と比較して視聴率は悪くない)、未だに同名の土産菓子が定番商品となっているくらいです。
ですからやはり不人気の原因は、兵庫県知事の批判を待つまでもなくこのドラマ特有のもの、つまり、脚本、演出、キャスティングに求めるべきでしょう。

それでも各種の便乗商品が出ていますが、そうした一つに広島駅弁の「清盛しゃもじ弁当」があります。あれっ?昔からあるでしょ、と言われそうですが、昔からあったのは「しゃもじかきめし」で、同じ容器を使いながら今回はちょっと違います。


(「しゃもじかきめし」。「清盛しゃもじめし」は写真を撮り忘れました)

これがまた微妙な代物で、3月下旬の出張の折に、広島ではなく名古屋ですが、山陽路の駅弁特集ということで売っていたのを買ったところ、大河ドラマ同様いい点をつけられなかったのです。

実は1年以上前の広島出張の折には「しゃもじかきめし」も賞味したんですが、冬季限定の駅弁として、宮島をイメージした赤のしゃもじ型のプラ容器も有名な「しゃもじかきめし」と器は一緒ながら、中身が大きくグレードダウンしていたのです。

「かきめし」ではなく「しゃもじ弁当」だから、ということなんでしょうが、ちょっと残念です。
その残念なャCントは牡蠣、いや、下記の通りです。

①牡蠣の量が段違い。「かきめし」は炊き込み4つ、フライ2つ、ゆず味噌和え1つに対し、「清盛」は炊き込み4つだけ。
②脇役でカバー? 「かきめし」ではおかずコーナーにあったジャコが「清盛」ではご飯の上に載り、空いたスペースには、ガンス(揚げ蒲鉾)とたこの煮付けと紅白膾に「清盛餅」が入りました。なお、香の物コーナーの広島菜は共通です。
③おまけで勝負。「清盛」には宮島名物しゃもじが付き、そのため「開運」と銘打っています。

広島名物を楽しめると言う触れ込みですが、「かきめし」が1050円で、「清盛」が1100円と言うのを考えると、牡蠣2種類3つと50円増しでトレードオフするには微妙な内容です。口直しのお菓子も「銘菓」ではなく、大河ドラマ放映を当て込んだ「新発売」ですし。(「新・平家物語」のように定番化すれば「先見の明」ですが)
せめてもう一品瀬戸内の幸があれば違ったのですが、

「しゃもじ」の存在がなく、単独で「清盛」が出ていればお得感があったんでしょうが、比較してしまうと残念さんになってしまいます。駅弁大会のキング、京王百貨店とのコラボだそうですが、そのあたりの詰めはどうだったのでしょうか。

なお、どちらも牡蠣と言う性格上、冬季限定ですからもう買えません。
ただ、「清盛」は3月25日まで発売と言いながら、千葉県某所の駅弁大会では4月1日にも売ってました。(「しゃもじ」は通常3月いっぱいの発売)


分かって無い人たち

2012-04-23 23:49:00 | 時事
尖閣を巡る一連の問題について、「歴代政権の無策」が論点であり、国がやらないのであればオレがやる、という趣獅ナあることは、都も石垣市も変わりがないわけです。
そのストーリーで考えたら、石垣市は資金がなく、都は資金と大義はあっても理由が無い、だからどうすればいいのか、という部分を考えていけば丸く収まるわけですし、国が悔い改めて領土保全の本獅ノ従った対応を取るのであればみんな矛を収めるはずです。

そういう意味では国にボールがあるわけですが、「先送り」が常套手段の民主党政権にそれを処理する能力があるとも思えないし、国が購入しても現状以上に「所有者」として尖閣を塩漬けにする危険性もあります。結局、来春の賃借権切り替えを機に都が購入し、石垣市が「所有者」である都と協議の上で管理するという着地点が現実的でしょう。

しかし困ったことにこれが分からない、見えない、いや、見ない人がいるわけです。
まずは朝日新聞。21日の天声人語が、国が領土保全をきちんとすればいい、と至極もっともなことを言って世間を驚かせたのですが、23日朝刊では主筆自らが出馬し、元の木阿弥になりました。

やはり中国様の意向には逆らえないのか、尖閣問題は棚上げするのがベスト、という歴代政権の発想に逆戻りです。しかし、お互い棚上げならまだしも、中国サイドは日本側の棚上げ姿勢をいいことに、「係争地」として中国が領有権を主張しうるという流れを作り上げつつあり、このままではあるタイミングで我が国が実効支配を失えば、それは「侵略」ではなく、係争地の取り合いに過ぎない、という結果になって、我が国が広大な水域と地下資源を喪失することになります。
政府筋は政府が取り上げることで「係争地」というメッセージを与える、と言いますが、現状は毎度毎度の漁船の「襲来」にも手が出ないという実効支配をしているかも怪しい状態です。

もう一人が東京都の副知事です。
同じ作家でも都知事との差は目を覆うばかりで、知事の意向、発想を全く理解していないわけです。
領土保全という目的意識がまずありきで、どうすれば無為無策の国を動かせるのか、動かなければどうするのか、と言う話なのに、枝葉末節に拘ってしまっています。そもそも尖閣の購入が「オーナー」になるのか、「ガバナー」になるのかが分かっていないから、夕張市での先例というトンチンカンな発言になるわけで、石垣市を「指導」するが如き対応を都知事も石垣市も想定していません。

この副知事、奇抜な発想で仕上げたノンフィクションで大宅賞を受賞したわけですが、確かに発想力は非凡ですが、上記受賞作でも強引な紐付けともいえる思いつきというか思い込みも目立つわけです。
つまり、全体像が見えているのか、流れが見えているのか、という点については昔から疑問符がつくわけで、震災の時のツィッターへのフォローに反応して特定の都市に最先端の消防部隊を派遣してしまったように、全体像を把握することは苦手なようです。

朝日の主筆は毎度のことですが、副知事のほうは首都の行政中枢に関与しているだけにその資質は問題です。そもそもこの御仁、政策に関与するようになってから何か実績を残しているのか。
道路公団民営化の際も、キャッシュフローとバランスシートと損益の違いを理解しているかも怪しい論理で公団は大赤字だといい続け、民営化すれば通行料金は1割値下げと言いながら、あわや基本的なETC割引も廃止されかけたり、首都高、阪高は距離制導入で値上げになったりと、民主党政権も真っ青な「実行力」です。

都庁内に入ってからは地下鉄一元化にご執心ですが、ユーザーから見たら都交がメトロ並みになると思っていたら、メトロが都交並みになったでござる、となりかねないです。

ちなみに4月14日に新東名が御殿場℃Oケ日で開通しましたが、設計速度140km、片側3車線の21世紀型ハイウェイのはずが、最高速度100km、片側2車線でしかも路側帯や車線の幅員は旧規格で開通しています。新規格で完成したはずの路面にメ[ルやブロックをわざわざコストをかけて置いて規格を「下げた」のですが、これも副知事が推進委時代に今回開通の新東名と2008年開通の新名神の高規格は無駄だ、と吠えてわざわざ規格を下げた成果であり、「●●メ[ル」「●●ブロック」と揶揄される障害物が空しく立っているのが唯一の「成果」といえます。

こうした「輝かしい成果」があるだけに、尖閣問題にしてもせっかくの奇策を台無しにしそうです。


(おまけ画像。新名神の●●メ[ル)




常磐線の復旧は

2012-04-23 23:17:00 | 震災・災害
南相馬市の警戒区域が一部解除になり、R6の結界が浪江町との境界付近まで10kmほど後退しました。
このあおりで浪江町のほうはこれまで南相馬市が結界を引き受けていたのが無くなったため、改めて南相馬市との境界に結界を設けることになり、許可を得て入町している人に対し、今までのように行き来が出来ない詩崇mしていました。


(原町区内。当時は1.5km先が限界だった)

4月の交通論のトップページはこの後退前の結界ですが、広野町と楢葉町の境界にあるJビレッジ前の結界と違い、すぐそばにコンビニとドライブインが営業中という不思議空間でした。
今回の後退(いや、復興という意味では前進ですね)後は、南側以上に接近しづらい環境のようですが、さらに「前進」することを祈りたいです。


(検問所を見る位置から振り返ると)

今回の「前進」で、常磐線の不通区間も警戒区域から一部解除になりました。
磐城太田駅は以前からギリギリ対象外だったようですが、昨年末の復旧からは漏れています。しかし今回、小高、桃内の両駅も解除になったことで、それなりの区間が警戒区域外になったのです。


(不通区間を含むエリアの路線図)

南側の警戒区域に関しては、ギリギリとなる広野まで復旧していますが、北側はどうなるのか。
少なくとも南相馬市小高区、かつての小高町の中心である小高駅までは早期に復旧して欲しいですね。
ただ、1年あまり放置されていた区間でもあり、被害確認、復旧工事となると時間がかなりかかりそうです。警戒区域が解除になったとき、小高区から伝えるメディアは、あの日のままの状態で悼ニ屋が並ぶ街並みを映していましたし。


(原ノ町#ヨ城太田間)

あと、警戒区域が解除と言っても、避難指示解除準備区域ということで、居住はできないが立ち入りはできるという中途半端な扱いですから、定住者がない状態で町が成り立つのか、という厳しい現実もあるだけに、復旧までのハードルは高そうです。

代行バスの運行もそういう意味では難しそうですが、居住できないから「通い」のために足を確保するということと、常磐、仙石の2線は復旧させる、という強い意思を見せていることからも、復興のシンボルとして代行バスでもいいから常磐線の不通区間を短縮する、場合によっては鉄道の復旧も行う可能性はあるでしょうね。仙石線の矢本と陸前小野の復旧も、1日わずか4往復で、代行バス連絡は元通り矢本という状況での復旧ですから、シンボル的な意味合いを持っている感じがしますし。


(陸前小野にて)

それとも小高に関しては震災前まで小高′エ町間を運行していたはらまち旅行が「復活」するか。
このエリアの貸切業者ですが、仙台線や福島線を運行しており、地道に相双地区北部の足になっています。仙台や福島までのバスというと福島交通に光が当たりがちですが、旧鹿島町、山元町などにこまめに停車する地元側のバスという姿勢はもっと評価されてもいい会社ですが、「ツアーバス」ということで社会派諸氏や愛好家の評価対象外になっているようです。


(はらまち旅行のバス停)