Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

五感を侵害する鉄道

2018-01-30 22:11:00 | 交通
メトロ日比谷線の新車13000系で、平日日中に車内BGMとしてクラシックやヒーリング音楽を流すと発表されました。
粋なサービス、と評価される目論見だったんでしょうが、思いに反して批判が強まっています。

要は好まない人にとってはどんな素晴らしい音楽でも騒音に過ぎない、ということと、視覚障害者や外国人など聴覚に頼る人にとって情報収集の妨げになるという理由が上がっています。

後者はバリアフリーやインバウンド対策といった今時ならではの理由ですが、いずれにしても人の「感覚」に干渉することへ無頓着だということでしょう。

交通事業者であれば、その昔は特にバスで盛んに行われたCM入り放送が「耳障り」という批判が強まり廃れたことを覚えていないのでしょうか。電車でも京成のように8トラのテープで流していたわけですが、操作や更新、頭出しが簡単になった現代に継承されなかったのがお察しというところです。

この手のツールの「活用」は、最初は口当たりの良いことを言ってくるわけですが、結局は「金儲け」、すなわち広告にすり替わるわけです。既に「視覚」の世界では広告の動画化が進行しており、JR東日本山手線の新車E235系はモニター式の広告に移行していますが、チカチカと画面が切り替わる、また、好みでないタレントや絵柄、また業界など、見たくもないけど逃れる術がない、という拷問のような状況が展開されています。

それが「聴覚」の世界でも展開されると思うとうんざりです。
しかしメトロの場合、既にかなり前から駅壁面のサイネージ広告から音声が流れるものを設置しているわけで、雑踏に紛れた音声はただの騒音に過ぎない迷惑な存在です。

もちろん今回は「癒し」を前面に押し出していますが、それとて苦痛とまでは言わなくとも邪魔に感じる人が少なくないわけです。
そしてそれがBGMで留まるとは到底思えないわけで、最悪のケースは1社借り切りの広告にありがちな壊れたレコードのような繰り返しを音声入りでやられることもあり得ます。

山手線と違い、放射方向の路線ですから乗車時間もそれなりに長く、そして逃げ場がないのです。
車内での視覚や聴覚への影響のありかたを、もう少し考えて欲しいですし、変に定着しないうちに「規制」することが必要です。


初場所が終わり

2018-01-28 21:55:00 | ノンジャンル
初場所は栃ノ心による6年ぶりの平幕優勝で幕を閉じました。
そもそも本場所の興行を打つこと自体がおこがましい状況であり、さらに横綱2人が途中休場と、興行としてもあり得ない内容だっただけに、栃ノ心には悪いですが、「あってはならない」場所でした。

しかも式守伊之助のセクハラに、大砂嵐の交通事故、さらには栃ノ心の属する春日野部屋の暴力問題と、不祥事の発覚も後を絶たないわけで、千秋楽の内閣総理大臣杯の代理授与に文科相が来たのも、政務官でお茶を濁さない、というよりも、授与は二の次、八角理事長との会見が本命という状況では、まさに進退窮まった感じです。

春日野部屋の暴力問題は根が深く、「時の人」栃ノ心などをアイアンで殴ったという前段があるわけで、栃ノ心の場合は本人が相当ヤンチャだったという事情はあるものの許される話ではないですし、今回のそれは全治1年半という極めて酷い重傷を負わせたということですから、取的の兄弟子が執行猶予付き有罪だけで済む話ではありません。協会に報告してますから、という言い逃れも見苦しいですが、協会も公表していなかったわけで、当時の実務責任者である危機管理部長が貴乃花親方ですから、なんだかなぁ、という感じもします。

白鵬は横審や評議員の横槍に厭味ったらしくかち上げと張り手を封印しましたが、それで相撲にならないのですから自爆です。
かつて自身を双葉山に準えるという不遜極まる態度を見せましたが、朝青龍のような速攻相撲で先手を取るのと違い、かち上げと張り手でイニシアティブをとるのでは、後の先にもなっていませんし、双葉山を持ち出すだけでも不快な話です。

鶴竜は終盤に大崩れしましたが、これも綱の自覚不足ともいえる話で、安易に勝とうとしてまともに引くようでは横綱相撲とは言えません。そして稀勢の里はいよいよあの時の無理が自身の土俵人生を左右しかねない状況であり、厳しい状況です。
大関陣も高安が終盤星をまとめての12番でしたが、圏外でいくら星を積み上げても大関の責任は果たしていないわけで、優勝に絡む土俵を務めないようでは大関に値しません。

この調子だとまだまだ黒歴史が出てきそうですから、それこそ春場所は興行の是非から問うべきでしょう。
年に1度の大阪場所、楽しみにしている人も多い、なんてナイーブな議論は排除して、完璧に襟を正して対応する。それくらいしないと、興行を開く資格はありません。

厳しいことばかり言っても何なんで、栃ノ心について語れば、ジョージア出身での優勝はもちろん初めてですが、外国人による幕内最高優勝も、今回の栃ノ心で日本以外に5ヶ国目となり、いよいよウインブルドン化が進みました。
パイオニアとしてのハワイ勢のあとは、モンゴル勢と東欧勢で分け合う格好です。
アジア勢が強いのはなんとなくわかりますが、東欧勢(ブルガリア、エストニア、ジョージア)というのは意外といえば意外であり、レスリングの関係もあるでしょうが意外な「相撲どころ」です。

余談ですが、栃ノ心はインタビューで「ジョージア」ではなく「グルジア」って言ってましたね。
ロシア語読みは排除する、という日本やジョージア政府の意向はあれど、当の国民は「グルジア」なんでしょうか。まあ栃ノ心が入門した12年前は「グルジア」でしたから、そのまま来ているともいえますが。






文化の捏造、食文化の破壊

2018-01-28 18:38:00 | ノンジャンル
節分が近づき、今年も流通各社が「恵方巻」の宣伝を雨あられと垂れ流しています。
日本の「伝統文化」とは到底言えないとはいえ、ここまでくると最早否定できないわけで、メディアとそれを利用する流通による文化捏造をリアルタイムで見れたことで良しとするしかありません。

いやいや、これは大阪の伝統文化で、と必死な人もいますし、佐倉の国立歴史民俗博物館ですら「大阪の伝統文化が全国に波及」としてしまっていますが、大阪の花柳界の怪しげなお遊びに、昭和戦前に海苔業者が乗っかっただけの由来に過ぎません。引札中心、よくて新聞広告の時代ゆえ全国展開どころか関西での普及もなかなか難しかったわけで、コンビニやGMSといった大手資本とメディアの発展があって初めて可能になった「捏造」は、今後同様の捏造や改竄が有り得るという意味でも、経緯と顛末をしっかり記憶と記録に残すべきでしょう。(メディア戦略がうまくいかなかった例としては、クリスマスにチキンを食べる風習はKFC由来という記事が記憶に新しいですね。大阪の花柳界という検証が困難なローカルではなく、全国的にローストチキンを食べる風習があったことで、たちまち炎上してましたから)

さて、本題はこれではなく、ここ数年見られる大手流通による「フードロス」の典型的な舞台がこの恵方巻ということです。
関西ローカルにまで進化して「丸かぶり寿司」と言っていたころは、普通の太巻や鉄火巻などの中巻を総菜、弁当コーナーで買ってきて食べていたわけですが、1本100円台の巻き寿司じゃ儲けにならない、宣伝の元も取れない、ということなんでしょう。「恵方巻」という有難みを打ち出したネーミングに合わせて、縁起物だからとでも言わんばかりの値付けで売り場を席捲しています。

まあ正月用食材が冗談みたいな高値になるのも流通が一役買っているとはいえ、誰が見ても「縁起物」であるお正月と違い、誰もが「新名物」と認識している恵方巻とやらにそこまで金をかけません。今世紀初頭まではそんなことをしなくとも幸運はやってきたわけで、せいぜい無言で恵方を向いて丸かじり、というユニークさが売りの「お遊び」をはき違えても誰も付いていきません。

そう、有名割烹や寿司店監修と銘打って1本1000円程度という高額商品では恵方を向いてめいめいが丸かじり、なんて贅沢はできませんし、1本をみんなで取り分けたら「無言で恵方を向いて...」というもっともらしい由来がフイになるわけで、それならば普通は「縁起」に軸足を置きますから、めいめいで齧れる普通の巻き寿司を買うだけです。

ですから節分当日の夕刻以降、気の毒なくらいにスーパーやコンビニで売れ残る恵方巻の山、というのは最早節分の風物詩でもあり、投げ売りできるスーパーはまだマシで、自爆営業を強いられるコンビニは最悪な状態です。
「作られた風習」への批判もさることながら、フードロスの観点から見ても最悪の事態であり、環境問題に取り組んでいます、木を植えています、とかお為ごかしが虚しいわけで、こうした企業がISOの14001あたりをもし取得しているのであれば悪い冗談といえます。

それでもフードロスの段階で済んでいるのであればまだマシです。
今年のシラスウナギ漁が壊滅的な状況というニュースが流れていましたが、いよいよ高騰云々ではなく絶滅が現実のものとして見えてきたことで、金を出しても食べることが出来ない幻の味になってしまうようです。

これも大手流通が深く絡んでいるわけで、比較的単価が高い商品でもあり、固定費回収にもってこいなんでしょう、土用の丑の日になればセールスを強化するだけでなく、春夏秋冬土用の丑の日は総てにあると「年4回」の商戦にしようと欲の皮を突っ張らせた矢先の不漁モードだったわけです。

本来「ハレの日」の特別な食べ物だったウナギが一般化、大衆化した挙句に、スーパーの目玉商品、特売品になってしまい、まさに恵方巻の末路がデジャブに見えるくらいに「余らせて」いたわけです。
しかも国産じゃ到底足りないから台湾、中国と手を伸ばし、安全問題が深刻化すると2週間ルールによるロンダリングに勤しみ、とうとう中国産ですら品薄となると、インドネシア産など世界中に手を伸ばし、ウナギ類を世界的に絶滅させる勢いです。

ついでに言えば、マグロも同じ轍を踏んでいるのですが、水産物は流通の過剰セールスだけでなく、生産側の無計画な乱獲も重大な問題な点が恵方巻とは根底から違う点ですが、マグロは幸い完全養殖が見えてきたので、絶滅まではないにしろ、ウナギの場合は「特別な食べ物」としても食べられない、という取り返しがつかない状態になりそうです。
ウナギも平賀源内によって「作られた伝統」ではあるのですが、食文化として定着していたわけで、「土用の丑の日」で満足していればよかったのに、欲を張るからすべてを失う破目になるのです。

同様に世界中に手を伸ばした挙句に、というのはマツタケがありますが、韓国、中国と手を伸ばし、北朝鮮産は制裁問題で手を引かざるを得なくなった後は、属性は一緒だが見た目が、というカナダ産、モロッコ産に手を出しましたが、さすがにそれはマツタケじゃない、ということで普及せず、ウナギほどの需要もないことから、無けりゃ無くていい、という感じになっていますね。私自身ここ10年近くマツタケは1本買って食べる、ということはしていませんから。

こうしてみると、食を扱いながら食文化を捏造し、破壊しているのが大手流通といえます。フードロスも然りであり、戦前や戦中戦後の厳しい時代を生き抜いてきた祖父母や親世代が「食べ物を粗末にするんじゃありません」と我々世代を叱ってきたことは、まさにその通り、といえるでしょう。









自ら言えば批判も引っ込める

2018-01-25 22:59:00 | 時事
首相が平昌五輪の開会式に出席するそうです。慰安婦問題の「見直し」はしないと釘を刺すという話ですが、そんなことは行くまでもない話で、どっしり構えていればいいのに、歩み寄ったような誤ったメッセージを与えかねませんし、一世一代の晴れ舞台である五輪が円満に終われば、浮「ものもないとばかりに居丈高に、やりたい放題に出てくる懸念もあるわけです。

で、呆れたのが国士様御用達新聞系の夕刊紙で、あの国に譲歩、と批判するのでもだんまりでもなく、「殴り込み」ときました。
物は言いようというか、どうやったらそんなにャWティブになれるのか。「ぼくのだいすきなそうりだいじん」のやることは総て正しい、という天動説であり、保守の劣化もここに極まれりでしょう。

国士様御用達新聞の本紙のほうも当惑した格好ですが、強いメッセージを発しなければならない、とそれで免罪符にしているわけです。隣国開催の五輪で選手団を激励したいのは自然なこと、と行くのが当然という前提で話をしていますが、近いからこそ各種日程がタイトな中、敢えていく必要があるのか、と問うべきでしょう。

そして最後はお決まりの日米韓の連携を崩すな、というお題目ですが、だから韓国の振る舞いに耐えろ、と言うのか。拉致問題解決のために米国にとことん着いていくべき、とした結果がどうなったのか。少なくとも日韓間の足並みが少々乱れても、圧力として恃みとなるのは米国であり、そこを押さえておけばあの国に付き合う必要はありません。



良いサービスを求めてはいけませんか

2018-01-25 22:23:00 | 交通
社会派諸氏が強迫観念を持っているかのようにクロスシートや無料速達列車を否定しています。こうした人々が枕詞のように青春18ユーザーをdisるのもお約束ですが、まあ地元利用は短距離乗車がメインだから、というのであれば、例えば幹線10㎞までの利用であれば、通勤定期で年間56000円、高校の通学定期で約46000円、単月では4270円しか払っていないわけで、日常利用とは別に11500円を払っている青春18ユーザーのほうがJRにとってはよっぽど上客ですが、そこは無視するわけで、結局は自分の好き嫌いにもっともらしい理由をつけているだけです。

クロスシートかロングシート、どちらがいいか、と評価をするのは実は簡単な話です。
クロスシートの方が優れている。ロングシートは劣る。客観的に説明がつきますから。

進行方向あるいはその反対側を向くクロスシート、とりわけ進行方向だけを向く転換クロス、回転クロス、固定クロスは快適である、という理由として、人間は基本的に前後方向に動くという生理的理由があるわけです。カニじゃあるまいし横にはふつう動きません。ですから、加減速が前後方向に働くクロスと、左右方向に働くロングのどちらが人間の生理にあった座席か。

そして一部の車両を除き、背もたれがカバーする高さがクロスの方が高く、ロングは低い。これも快適さにかかわる部分であり、肩甲骨のあたりをカバーしてサメ[トできるクロスに対し、背中の腰に近い部分が接するのがせいぜいというロング。ただでさえ不自然な左右動に対し、背もたれでサメ[トできないロングは、着席者をさらに左右に振り回します。

ボックスシートはシートピッチの関係で4人で着席出来ない、という批判も聞きますが、座れないよりはマシ、という環境下、すなわちラッシュ時間帯であれば、4人全員で座っていますよね。E231系やE233系、E531系のような4扉セミクロスだと、ロング車に比べて6名の座席定員増もあるわけで、「座れることが最大のサービス」と考えたら、一つの解と言えます。

別のアプローチからも優劣の判定が出来るわけで、当の事業者がクロスシートをどう見ているのか。劣るサービスにシフトすることはない、と考えたら、答えは簡単でしょう。
JR東日本では、地方線区でオールロング化を図ろうとした時期を経て、3扉セミクロス(ボックス)がデフォルトになっていますし、首都圏でも4扉セミクロス(ボックス)を導入した近郊型のクロスシート車比率が、先陣を切ったE217系の普通車13両中3両から、E233系やE531系では13両中6両と半数に迫る勢いになっています。

JR東海では名古屋地区を転換クロス車で統一する勢いですし、ドア横の立席スペースがほとんどない5000番台車の投入もあります。JR西日本も、広島地区ではJR化後初の新車となる転クロ車である227系に統一されますし、京阪神地区でも阪和線で103系の淘汰を225系で行っています。

クロスシートは混雑に対する耐性が無いことは事実ですが、JRの本州3社は大都市圏においては増結対応という王道で対応しています。すなわち、JR東日本の仙台地区では、3扉セミクロスシートのE721系の導入において、4両固定編成を投入するなど定員増加方向に舵を切っていますし、JR東海の名古屋地区も、快速系はかつての4連から需要増加も手伝い、6連になり、5000番台投入による混雑耐性の低下に対しては、遂に8連化するという大盤振る舞いです。

そして社会派諸氏が蛇蝎の如く嫌うJR西日本の新快速も、12連化による定員増加を解決策としているわけで、アコモの維持、定員の増加、という正のスパイラルが見て取れます。

一方でJR北海道やJR九州では近郊型のロングシート化が顕著です。
しかしこの両社は、設備投資の抑制が目立つわけです。詰め込むことで対応するしかないわけで、編成増強によるゆとりの創出をアコモ改善の原資に向ける余裕がないわけです。JR東海も名古屋地区では大盤振る舞いですが、静岡地区や高山線、紀勢線ではロング化による詰め込み余力の確保が絶対になっています。これは負のスパイラルに陥る懸念が大きいです。

もちろんラッシュ対応のように限界に近い輸送力で対応するためにはロングシートに頼るしかないです。しかしそれはサービスレベルよりも優先させるべき課題の解決であり。そこまでは否定しません。
しかし、その施策は「やむなく」であり、快適性を犠牲にしたものである、という評価ではなく、ロングであるべき、ロングの方が快適、といった、当の事業者ですら昨今見直しているような論理を振り回すからおかしくなるのです。

クロスに比べてサービスレベルは劣るが、止む無くロングにしている。それがあるべき評価であり、そしてその「止む無く」の妥当性を問うべきでしょうし、そもそも快適なものを追求することを全力で否定するほうがおかしいのです。向かい合わせに座りたい、飲食がしたい、というレベルで付加料金が必要、といわれてはいそうですか、という感覚の麻痺もまた、「世間の非常識」なんですが。