南海高野線の起点でありながら、今や区間運転の電車が30分間隔で走るのみとなった南海汐見橋駅には、改札上に1950年代の沿線の観光案内図が掲出されていたことでも有名です。
この歴史資料ともいえる案内図は近年劣化が激しく、剥離した箇所もあったのですが、南海が取った対応は何と撤去、破棄でした。いくつかのピースにして保存措置をする、と普通は考えるのですが、2016年3月に汐見橋駅の「名物」は永遠に姿を消しました。
この手の絵図が歴史資料であることは疑いがない話で、交通関係の展覧会や展示館では大切に保存されて展示物となっているのですが、「大作」ゆえそのまま保存、掲出は難しいのであれば、分割して保存する手もあるのですが、「破棄」と報道された時には目を疑いました。
ところが撤去から半年以上経ち、ネットで先日の南海の車両基地公開か何かのイベントでその地図の切片が販売されていたと出ているじゃないですか。撤去時に破棄したのではなかった、というか、ならばその切片単位でいいから保存する気はなかったのか。文字通りの「切り売り」ではもう二度と戻りません。
古文書のように「一部」でも台紙に貼って残すんですよ、こういうものは。剥離して失われた箇所があったとしても。
伝統だなんだと言っても、肝心なところでこれです。どうしてこういうことをするのか、やるせない感じですね。
この歴史資料ともいえる案内図は近年劣化が激しく、剥離した箇所もあったのですが、南海が取った対応は何と撤去、破棄でした。いくつかのピースにして保存措置をする、と普通は考えるのですが、2016年3月に汐見橋駅の「名物」は永遠に姿を消しました。
この手の絵図が歴史資料であることは疑いがない話で、交通関係の展覧会や展示館では大切に保存されて展示物となっているのですが、「大作」ゆえそのまま保存、掲出は難しいのであれば、分割して保存する手もあるのですが、「破棄」と報道された時には目を疑いました。
ところが撤去から半年以上経ち、ネットで先日の南海の車両基地公開か何かのイベントでその地図の切片が販売されていたと出ているじゃないですか。撤去時に破棄したのではなかった、というか、ならばその切片単位でいいから保存する気はなかったのか。文字通りの「切り売り」ではもう二度と戻りません。
古文書のように「一部」でも台紙に貼って残すんですよ、こういうものは。剥離して失われた箇所があったとしても。
伝統だなんだと言っても、肝心なところでこれです。どうしてこういうことをするのか、やるせない感じですね。