Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

歴史的業績へのつまらぬ雑音

2016-05-29 13:30:00 | ノンジャンル
今回の歴史的な意味を考えると、まず現地に立ってください、というスタンスで余計な注文を付けなかった被爆者団体の対応は、あそこまでの「宣言」を引き出す原動力になったといえます。現地を見て、「所感」を述べる。それがあそこまでの「宣言」になったわけです。

それでも謝罪がないだなんだと注文を付ける人も少なくありませんが、まずは「小さな一歩」でもいいから歩み出すことが重要なのです。それが相当歩みを進めたわけです。それ以上何を求めるのでしょうか。まさか碑文の前で土下座しろとでもいうつもりなのか。今回の広島訪問で見せた対応を見て、あれで不十分という人は何を求めるのか。

あまりこういうことは言いたくないのですが、オバマ大統領が広島訪問に傾いている、という報道が流れたあたりから、韓国のロビー活動が露骨だったわけです。その「成果」が「宣言」への日本統治下の朝鮮出身者への言及だったのですが、外地出身の犠牲者、被爆者は朝鮮だけでなく同じく日本領だった台湾、そして中国大陸の出身者もいましたし、連合国の捕虜については豪州もいました。

その意味では、自国の捕虜に特に言及することはあっても、外地出身者のうち1地域だけを取り上げることは妥当だったのかどうか。犠牲者、被爆者の数を持ち出す人もいるかもしれませんが、ああいいうところでの「宣言」に数の多寡は関係ありません。
それとも当時は皇族に準じる扱いを受けていた李王家からも犠牲者が出ていたという「重み」を配慮した、といえば説得力も出てきますが、さすがにそれは認めないでしょうから、不自然な結果となっており、まさに画竜点睛を欠いた恨みがあります。

韓国といえば、当日式典に出席しようと広島入りを計画していた国会議員が、大韓航空機事故による羽田閉鎖で予定便が欠航して参加が叶わなかった、という話がありましたが、まあそれは偶然とはいえ、験や因果を重視する日本人から見たら気になるのかもしれませんが。特にメディアが「諸外国の反応」と題して中国と韓国、北朝鮮のネガティブな反応を垂れ流していただけに。

あと、上記のような「謝罪がない」レベルの反応が出るのは、「宣言」の同時通訳があまりにもお粗末だったことがあるでしょう。
全文が出たのも翌日の朝刊で、しかも邦訳なので、昨今批判が多い「意図的語訳」の存在を否定できない状態ですから、不確実な情報に基いてコメントをしている可能性もあります。
それでも現地にいれば「言葉はいらなかったんだよ」と被爆者団体の方が感無量で語るように、心が通じるものだったんでしょう。それをああだこうだといえるのか。片言隻句で判断してはいけない話でしょう。

それにしても同時通訳やテロップはひどく、私も英語は苦手な方ですが、それでも大統領が話す英語にあった固有名詞的な単語がボロボロ抜け落ちているとか、ああいう場面での「列挙」は重要な意味があるのに、なんともお粗末です。
局によってはテロップも併用していましたが、若干の時間差がついてもいいから、より正確な訳文を流してほしかったです。

なお、米国政府及び駐日大使館から正式な英文と仮和訳が発信されていますが、改めて読むことをお勧めします。





「広島宣言」の意味を考える

2016-05-29 12:55:00 | ノンジャンル
2016年5月27日という日は世界史に残る日になりました。
71年前、原爆を投下した米国の現職大統領が広島の平和公園を訪れ、献花をして、スピーチしたのです。

外相会議での献花ですらサプライズというのに、それが露払いに過ぎない世界史上の出来事になるとは思いませんでしたが、それを成し遂げた日本政府と外交は高く評価されるべきものです。

岩国経由で広島入りして、旧西飛行場から高速3号線などを通り平和公園へ。資料館に入り、そして正面から碑に向き合い、献花をした。そこまではまさに「儀礼」であり、形通りのセレモニーだな、と斜に構えていたんですが、スピーチが圧巻でした。
出だし、物語の序文のような雰囲気に、やはり謝罪は頑なに拒絶する立場が当たり障りのないものにしているな、とまだ斜に構えていたんですが、「所感」と言いながら、17分に及ぶスピーチは、世界第一の大国の指導者が発信した「平和宣言」でした。

言葉尻では確かに謝罪はなかったかもしれない。しかし、核兵器の「削減」から将来的な廃絶を謳い、人類の歴史でもある「戦い」から、科学技術の発展、さらには宗教が生んだ暗黒面に言及し、そして将来の子供たちに思いを馳せる。もちろん米国政府のスタッフが考えたんでしょうが、よくぞここまで踏み込んだ「所感」を発信してくれた、と感動しました。

あまり言及している人がいませんが、あの碑文「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」を前に、あの碑文のコンセプトを遵守することを宣言したわけです。核兵器の開発、保有、そして使用。それに対する謝罪は確かにありませんでしたが、明らかに人類の負の歴史と扱い、将来の平和を謳っています。もう一度ノーベル平和賞を与えて然るべき、という偉大な「宣言」といえます。

現地で大統領の一挙一動を見守っていた被爆者の方々をはじめ、「戦後が終わった」という感想があふれ出たのもむべなるかなでしょう。それを「明確な謝罪の言葉がない」「頭を下げていない」と揚げ足取りのような批判をするようでは、この歴史的邂逅を冒涜するものであり、それこそ「安らかに眠ってください」を妨げるものです。

一つ気になったのは資料館の訪問。展示内容を大幅に入れ替え、短時間で重要資料を視察できるように対応したという話もありますが、例の東館からの出入りで10分間だと、本来本館にある重要資料を駆け足で巡るのもしんどい話です。それとも展示品の多くを動かしたのか。まさかあの「軍都だから...」という「日本は加害者」を強調した展示がメインだったとは思いたくありませんが、せめて何を見せたのかを明らかにしてほしいものです。

原爆ドームのほうに歩み寄ったあと、平和公園を後にしましたが、メディアはそこから移動する車列は映していたものの、「所感」の開設に熱中して、車列が見せた最後の重要な意味を無視しています。

そう、原爆の子の像の前で乗車してなぜ元安橋を渡ったのか。あそこから電車通り(相生通り)に出たということは、間違いなく「グラウンド・ゼロ」の島病院の前を通ったのでしょう。そして原爆ドームの前を通り、投下時の照準対象になった相生橋のT字部を左折して平和公園内に戻ったのです。一行は見るべきところをすべて網羅したのです。そこまで「勉強」しているのです。

これまで内外のしがらみが米国大統領どころか政府要人すらの広島訪問を妨げていましたが、行くと決めたらここまでやったのです。
それくらいしないといけない話だと考えたら、なるほど、訪問実現のハードルは高いわけです。
そして今回それをオバマ大統領は成し遂げたわけです。

最後に、謝罪にこだわる人が「外野」を中心にまだいるわけですが、あの「宣言」とともに、資料館での記帳、そして自ら折った折り鶴を寄贈した意味を考えたいものです。
よく、日本人ははっきりモノを言わない、あるいは簡単に謝る、という比較文化論的批判がありますが、逆を言えば、あからさまに言わなくても謝罪が成立するのです。大統領の行動は、そうした日本人的マインドを逆手にとって、言わなくても解るよね、というメッセージがあちこちにちりばめられているわけで、国内向けに抗弁できる範囲で、最大限の謝罪の意を示したのです。

だからこそ、特にあの場を共有した人々は「邂逅」出来たのです。





ここでもハブられるのか

2016-05-29 12:10:00 | 交通
国営明石海峡公園というと淡路島のそれが有名ですが、対岸の神戸地区にもあります。
で、しあわせの村隣接地にオープンした「あいな里山公園」ですが、アクセスが微妙です。



「あいな」ということで神鉄粟生線の藍那をイメージする人も少なくないでしょう。でも、あの鄙びた駅の周辺のどこにそんな大規模な、と思うでしょう。で、案内を見ると...



藍那から徒歩20分って、里山ハイク込みだとしてもちょっと...


(しあわせの村中央。2006年2月撮影)

ちなみにしあわせの村中央は市バスなどのターミナル。三宮や神戸駅、新長田駅、谷上駅などからのバスが入っており、そっちがメインなんでしょうね。ここでも神鉄は無視に近い状態です。





一発激Vリーズ その77

2016-05-29 12:07:00 | 交通
シンカンセンスゴクカタイアイスの話をした時に、JRWの車販が配ったパンフの裏表紙が「水素水」だった件、山陽新幹線では「水素水」を推しながら、東海道新幹線ではどうかというと...



系列のウェッジで、それに手を出す大手企業に対し、「品格はあるか」と来ました。
まあ、エセ科学とまでは断じておらず、雰囲気的なビジネスという話ですが、山陽直通の乗客から見たらどう思うのかな?








ご指導という弥縫策

2016-05-25 23:38:00 | ノンジャンル
大多喜町の「富裕層向け」ふるさと納税は、総務省の強い「ご指導」で5月いっぱいで金券の交付が中止になります。
まあ今更やめても相当な額が「減税」されたわけで、富裕層にとってみれば無くても困るものでもなく、手頃な小遣い稼ぎがなくなったという程度でしょう。

町にとってみれば荒業で資金を集めてきたのが封じられたわけで、今後はそれこそ地場の特産品で釣るしかないわけで、鞘程度とはいえ歳入が減ることがどう影響するか。まあ早い段階ですから傷は浅いとはいえ、既に依存体質になっていたら大変です。そしてその歳入が前提の支出の見直しも迫られるわけで、思わぬところに影響が出るかもしれませんね。

まあ総務省、というか国も、いい加減この馬鹿らしい制度を廃止したらどうでしょう。
一部企業が自治体を結んで特産品のとりまとめや配送を請け負うスキームを提供していますが、歪んだ制度に集るような状態といえるわけで、ますます特産品で寄付を募る、というさもしい制度が際立っています。

前にも書いたとおり、それでも歳入がほしいわけで、きれいごとでは地方はやってられないのですが、そこまで追いこんでしまうような制度を国が続けることの不健全さは強く指弾されるべきものでしょう。