「ダブル吉田」と池上彰氏のコラム掲載問題と、満身創痍の感もある朝日ですが、総本山が謝罪したこともあり、「シンパ」もしばらく沈黙を保っていましたが、ここに来て「ストーリー」を決めたようで、あちこちで蠢動しています。
その「ストーリー」は、確かに「吉田証言」「吉田調書の解釈」には問題があったが、いわゆる慰安婦の問題、原発事故の問題はあるのだから、大筋では記事は間違いではない、誤報でないのだから謝る必要は無い、批判する勢力が間違っている、というものであり、さらにトンデモ度合いが増すと、集団的自衛権や原発再稼動を推進する政府の陰謀、というレベルになっています。
論評する気も起こらないような「すり替え」であり、都合が悪くなると論点をスライドされて誤魔化すいつもの手段なんですが、「メディアに詳しい」とかもっともらしい肩書きをつけたアカデミズムや法曹、そして評論家が、「朝日は間違っていないんですよ」と垂れ流すことで世論を形成しようとしている動きが見え見えです。
そもそも誰も「慰安婦」「原発事故」まで否定はしていないのです。そこで「強制連行」「人さらい」とか、「逃げた」というような虚偽を流布させたことが問題なのに、土台があっているから、というのは詭弁以前の問題です。
今回の謝罪、記事取消しで問題になったのは、「ウソをついてまで」持論を押し通そうとしたことです。
そして「シンパ」も含めた主張の根拠が、その「ウソ」しかないに等しい状況であれば、最早詰んでいるのですが、それを誰も否定していない議論の土俵の話にすり替えれば、土台自体は誰も否定できなくなるわけで、あたかも「ちょっとした間違い」程度に矮小化して、持論も維持できる、という戦法でしょう。
その「ストーリー」は、確かに「吉田証言」「吉田調書の解釈」には問題があったが、いわゆる慰安婦の問題、原発事故の問題はあるのだから、大筋では記事は間違いではない、誤報でないのだから謝る必要は無い、批判する勢力が間違っている、というものであり、さらにトンデモ度合いが増すと、集団的自衛権や原発再稼動を推進する政府の陰謀、というレベルになっています。
論評する気も起こらないような「すり替え」であり、都合が悪くなると論点をスライドされて誤魔化すいつもの手段なんですが、「メディアに詳しい」とかもっともらしい肩書きをつけたアカデミズムや法曹、そして評論家が、「朝日は間違っていないんですよ」と垂れ流すことで世論を形成しようとしている動きが見え見えです。
そもそも誰も「慰安婦」「原発事故」まで否定はしていないのです。そこで「強制連行」「人さらい」とか、「逃げた」というような虚偽を流布させたことが問題なのに、土台があっているから、というのは詭弁以前の問題です。
今回の謝罪、記事取消しで問題になったのは、「ウソをついてまで」持論を押し通そうとしたことです。
そして「シンパ」も含めた主張の根拠が、その「ウソ」しかないに等しい状況であれば、最早詰んでいるのですが、それを誰も否定していない議論の土俵の話にすり替えれば、土台自体は誰も否定できなくなるわけで、あたかも「ちょっとした間違い」程度に矮小化して、持論も維持できる、という戦法でしょう。