首相夫人が「もり」の問題で野党批判をしたSNSに対して「いいね」をしたことが批判されていますが、一方で「いいね」と記すことを批判するのは表現規制だ、という斜め上の批判がネットに散見されます。
全否定できないから何か紛らわすネタはないか、というところなんでしょうが、これはあんまりな批判でしょう。
足下の状況で無邪気に野党批判に「いいね」をしたら何を意味するのか。それが分かっていない行動にはさすがの国士様御用達新聞ですら苦言を呈さざるを得なかったわけですが、批判したら表現規制という論理は想定外でした。
「いいね」すること自体は否定していないのに、勝手に脳内変換して噴き上がっているわけです。そもそも「批判」を封じることこそが表現規制であり、「いいね」をすれば批判を浴びる、首相夫人を批判したら批判を浴びる、それが言論の自由であり、批判行為そのものを否定するのは間違った方向性です。
この状況で「いいね」したら支持されるのか、それとも批判を浴びるのか。いずれにしても言論の自由は批判する自由でもあり、自らの発信に対する批判は当然甘受すべきものです。で、この状況で野党批判に「いいね」ですか、と批判されることは容易に想像がつくわけで、実際批判を浴びているわけです。それを表現規制の名で批判させないというのは、筋違いも甚だしいと言えます。
全否定できないから何か紛らわすネタはないか、というところなんでしょうが、これはあんまりな批判でしょう。
足下の状況で無邪気に野党批判に「いいね」をしたら何を意味するのか。それが分かっていない行動にはさすがの国士様御用達新聞ですら苦言を呈さざるを得なかったわけですが、批判したら表現規制という論理は想定外でした。
「いいね」すること自体は否定していないのに、勝手に脳内変換して噴き上がっているわけです。そもそも「批判」を封じることこそが表現規制であり、「いいね」をすれば批判を浴びる、首相夫人を批判したら批判を浴びる、それが言論の自由であり、批判行為そのものを否定するのは間違った方向性です。
この状況で「いいね」したら支持されるのか、それとも批判を浴びるのか。いずれにしても言論の自由は批判する自由でもあり、自らの発信に対する批判は当然甘受すべきものです。で、この状況で野党批判に「いいね」ですか、と批判されることは容易に想像がつくわけで、実際批判を浴びているわけです。それを表現規制の名で批判させないというのは、筋違いも甚だしいと言えます。