原発事故の国会事故調で当時の政権中枢が参考人聴取を受けています。
初動での当時の菅首相の対応に問題があったことで概ね一致していたところに、それを全否定と言うか、自己正当化に終始したのですから呆れます。
今朝の産経が社説で批判していましたが、事故調の質問自体が及び腰と言うか、事故の拡散につながった核心でもある「初動の遅れ」に直結する部分には決して触れないのがもどかしく、そうなるとやはり昨年末あたりから出てきたリビジョナリズムの総仕上げとして「正史」を構築する儀式に過ぎない疑念が消えません。
今回の聴取でスルーされた事項で最大の問題は、3月11日当夜に小牧基地から入間に向かった東電社長を乗せた自衛隊機をなぜ追い返したのかという事項に全く言及がなかったこと。2時間もすれば東電のトップが本社で指揮を取れるという「希望」を踏みにじった当時の官房長官と防衛相の判断についてきちんと証言を求めないのはなぜか。
その後の状況を鑑みれば、経営トップが決断することで迷いなく対応できたと思われる場面があったわけで、その際たるものが1号機のベントでしょう。これに成功していれば、1号機の爆発が避けられたか遅らせられたわけで、1号機の爆発により支障された2号機~4号機の仮設電源設置も順当に進んでいれば、後の連鎖的な爆発も避けられた可能性があります。
権限がなく決断が出来ない東電側に、勝手に乗り込んでかき回した首相。時間が空費され、破局への連鎖が始まってしまった原因に挙げて然るべき官房長官と防衛相の行動です。
社長がいても同じ、と官邸を擁護する人もいるでしょうが、菅前首相がいみじくも「直接視察して顔が見えるようになってよかった」と言ってるわけです。トップが直接事態を把握することは大切だ、というのであれば、社長の帰京を阻害した行為は真逆です。
原発事故において、この社長の帰京こそがあとから見たら運命を分ける事態だったわけです。
多少の放射性物質の放出や原子炉の損壊はあっても、何とか封じ込めて、あとは燃料をどう運び出すか、というような議論になっていたかもしれないのです。
そしてその判断が歴史に残る大事故となり、我が国の国土を長く蝕む結果になった。その責任のひとつはあの判断にあるのです。
こうした判断ミスの連鎖により破局に至ったことで、原発の安全対策というものが思考停止に陥っています。本来事故があれば、そこで判明した事象を横展開して再発や再現を防止するのが技術です。
しかし想像を絶する事態の前に、「原発はもうヤダ」という思考停止が幅を利かせてしまったのです。
そう、福島第一の不幸な経緯から、何がネックになるのかが洗い出せます。
また、福島第一の5号機、6号機の経緯や、福島第二、女川、東海第二から、どこまで耐えられるか、どのような体制が確保できていれば大丈夫なのかも洗い出せます。
この手のリスクの見積りについては、通常なら想像で積み上げるしかないところ、1000年に1度の未曾有の大災害という「実証」データが手に入ったのです。それを活かすことで、それこそ1000年に1度の大災害にも耐えられると自信を持っていえる体制が作れるのです。
本来、震度6強でも耐えられる。津波を被ってしまっても電源が確保できていれば冷温停止に持ち込める、という実証データが得られ、非常用発電機の位置や回線確保、水素の排出など排気の配管経路などの問題点も明るみに出たわけです。ならばどうしたら巨大地震にも対応できるのか。答えは目の前にあるも同然なんですが、対応をせずに諦める道を選んだわけです。
それだけならまだしも、きちんと分析もしていませんから、1000年に1度の貴重な実証データが今後に活かされないとしたら、恐るべき思考停止といえます。
初動での当時の菅首相の対応に問題があったことで概ね一致していたところに、それを全否定と言うか、自己正当化に終始したのですから呆れます。
今朝の産経が社説で批判していましたが、事故調の質問自体が及び腰と言うか、事故の拡散につながった核心でもある「初動の遅れ」に直結する部分には決して触れないのがもどかしく、そうなるとやはり昨年末あたりから出てきたリビジョナリズムの総仕上げとして「正史」を構築する儀式に過ぎない疑念が消えません。
今回の聴取でスルーされた事項で最大の問題は、3月11日当夜に小牧基地から入間に向かった東電社長を乗せた自衛隊機をなぜ追い返したのかという事項に全く言及がなかったこと。2時間もすれば東電のトップが本社で指揮を取れるという「希望」を踏みにじった当時の官房長官と防衛相の判断についてきちんと証言を求めないのはなぜか。
その後の状況を鑑みれば、経営トップが決断することで迷いなく対応できたと思われる場面があったわけで、その際たるものが1号機のベントでしょう。これに成功していれば、1号機の爆発が避けられたか遅らせられたわけで、1号機の爆発により支障された2号機~4号機の仮設電源設置も順当に進んでいれば、後の連鎖的な爆発も避けられた可能性があります。
権限がなく決断が出来ない東電側に、勝手に乗り込んでかき回した首相。時間が空費され、破局への連鎖が始まってしまった原因に挙げて然るべき官房長官と防衛相の行動です。
社長がいても同じ、と官邸を擁護する人もいるでしょうが、菅前首相がいみじくも「直接視察して顔が見えるようになってよかった」と言ってるわけです。トップが直接事態を把握することは大切だ、というのであれば、社長の帰京を阻害した行為は真逆です。
原発事故において、この社長の帰京こそがあとから見たら運命を分ける事態だったわけです。
多少の放射性物質の放出や原子炉の損壊はあっても、何とか封じ込めて、あとは燃料をどう運び出すか、というような議論になっていたかもしれないのです。
そしてその判断が歴史に残る大事故となり、我が国の国土を長く蝕む結果になった。その責任のひとつはあの判断にあるのです。
こうした判断ミスの連鎖により破局に至ったことで、原発の安全対策というものが思考停止に陥っています。本来事故があれば、そこで判明した事象を横展開して再発や再現を防止するのが技術です。
しかし想像を絶する事態の前に、「原発はもうヤダ」という思考停止が幅を利かせてしまったのです。
そう、福島第一の不幸な経緯から、何がネックになるのかが洗い出せます。
また、福島第一の5号機、6号機の経緯や、福島第二、女川、東海第二から、どこまで耐えられるか、どのような体制が確保できていれば大丈夫なのかも洗い出せます。
この手のリスクの見積りについては、通常なら想像で積み上げるしかないところ、1000年に1度の未曾有の大災害という「実証」データが手に入ったのです。それを活かすことで、それこそ1000年に1度の大災害にも耐えられると自信を持っていえる体制が作れるのです。
本来、震度6強でも耐えられる。津波を被ってしまっても電源が確保できていれば冷温停止に持ち込める、という実証データが得られ、非常用発電機の位置や回線確保、水素の排出など排気の配管経路などの問題点も明るみに出たわけです。ならばどうしたら巨大地震にも対応できるのか。答えは目の前にあるも同然なんですが、対応をせずに諦める道を選んだわけです。
それだけならまだしも、きちんと分析もしていませんから、1000年に1度の貴重な実証データが今後に活かされないとしたら、恐るべき思考停止といえます。