木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

司法の過ちを許さない

2023年02月28日 | Weblog

今日で2月は終わり。春3月に向かいます。我が家でも紅梅がさきはじめました。
今年は雪が少なく落ち葉焼きがもうできます。農家の人は果樹の剪定作業に精を出します。
「モーニングショー」はチャットGptの話題。チャットはしないのであまり興味ありませんが。結論としてはやはり考えるのは人間ですから基礎的な知識や教養は学校や本で身につけておかないと応用ができません。ゲストの先生はそれは認めていました。なんでもいきなりということはありません。積み重ねです。義務教育程度の知識は必要ということ。
最近午後は「ミヤネ屋」を見ています。統一教会やその他新興宗教の問題をよくやるので。今日は「エホバの証人」こちらも「統一教会」とよく似ています。ただ統一教会ほど多額の献金は求めません。しかし信者の親が子供の生活を宗教的観点で縛ることは同じです。それがどう考えても世間一般の常識とかなりずれています。こうした宗教に入信する人はいろんな不幸や悩みにつけこまれて宗教の道に入るようですが、相談する相手や場所がないことがこうしたものがはびこる一番の理由のよう。それを提供できない社会におおいに問題があると私は感じています。

滋賀の強殺無期懲役で服役中死亡。「死後再審」開始高裁認める。(信毎2月28日)。
1984年滋賀県日野町で酒店経営の女性が強殺され手提げ金庫が奪われた事件で犯人とされた阪原弘(ひろむ)さんは無期懲役が確定し服役中に死亡したが、遺族が再審を請求し、大阪高裁がこれを認めた。この背景には「無実に足る新証拠」の存在があるが、この決定を見てやはり思い起こすのは福岡の飯塚事件である。こちらは登校中の小学生の女の子二人が強姦され殺害された事件で、犯人とされた九万三千年さんは「無罪」を主張するも死刑判決を受け、あろうことか執行されてしまった。
この事件については以前にも投稿したが、無罪を主張している人を確たる証拠もなく死刑に処してしまったことは、警察・検察・裁判所の永久に消えない過ちだ。
阪原さんの「無罪判決」が出ることを願う。

コメント
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