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私は、周囲の人たちと共に楽しめる企画を練るのが好きで、次々と仕掛けを施します。そして、当日を迎えるまでの指折り数えるその日の到来がなんと待ち遠しいことか。その当日の楽しさと、当日を待つことの楽しみは、もしかすると半分半分かも知れません。そのくらい、待つということの期待は、大きな幸せを作ってくれます。
人によっては、期待が外れるとショックを受けるから期待しない方が良いという人もいますが、私は期待外れのショックを恐れるよりも、期待することの幸せを感じたいです。何故ならば、期待することによって、幸せ度数は倍に増えるのですから。
人によっては、期待が外れるとショックを受けるから期待しない方が良いという人もいますが、私は期待外れのショックを恐れるよりも、期待することの幸せを感じたいです。何故ならば、期待することによって、幸せ度数は倍に増えるのですから。
そして、マテル余裕を持つということも自分を育てる一つの大きなものになると思います。
そして、その待つという感情や思いは、逆に考えると、「待てる心」というものを育てることだと思うのです。
それは、待つ余裕を作り上げ、そして、その結果、心を広くすると思うのです。
人は、どれだけ、「待てる心」をというものを持てるかで、人間の大きさも広がってくると思うのです。
今日の東矢先生のブログから「待てる心」という言葉を連想しました。
何事も、待てるぐらいの余裕が必要だということではないかと思います。