これは酸性とアルカリ性とを簡便に判別するものです。
昔からあるもので、今でも重宝されている。
私も同様のものを持っている。
しごく簡便なもので、それは人を判別するのです。
それは保守とリベラルとを見分ける。
とは言っても、世間の仕分けとは違うかも。
・・・・・
判別に用いる要素は否定という概念である。
神ならぬ人間は当然のこと突き詰めれば何も分かっていない。
言葉という道具を使って、いかにも分かったような気にはなれるが。
それはあくまで分かったような気になるだけだ。
所詮何も分かっていないのです。
然して目の前の現実を只認めるのみ。
そしてそれに従って生きるのみ。
そこは人以外の生物と代わらない。
人もまた只の生物なのだ。
違うのは言葉を持ってしまったことである。
この言葉というのが実に奇妙かつ特別なものなのです。
だから取扱に注意を要する。
聖書によればである。
言葉は本来神のものである。
言葉は神であり現実である。
人の身にとって現実を的確に言葉に置き換えるのは難しい。
それなりに表現しても、本当に的確かは誰にも分からない。
あくまでも分かったような気になるだけだ。
それは止むを得ない。
だから分からないことは分からないと認めよう。
そして何より現実を否定しない。
たとえそれが気に入らなくとも。
否定という概念は余程慎重に使わねばならない。
綾を表現するのに時に有用だとしても。
・・・・・
現実は一つだ、神の目から見れば。
しかし、それを的確に言葉にするのは難しい。
人にはおよそ難しい。
人には人の数だけ現実があるから。
私には私の現実が…。
彼方には彼方の現実が…。
人の思いの数だけ現実があるのだ。
それを否定してはいけない。
気に入らなければ、気に入らないと言うのはいい。
私と違うのなら、私とは違うと言えばいい。
それだけのことだ。
だが世間には否定する人がいる。
頑なに否定して譲らない人がいる。
所謂リベラル人士である。
中にはそうでない人もいる。
そういう人はむしろ保守系だと思っている。
討論などを聞いていれば分かるだろう。
相手の意見は意見として認め、その上で自分の意見を主張する。
これが保守陣営である。
就中、真正保守である。
所謂保守陣営の中にも相手の意見を否定する人がいる。
そういう人は保守ではない。
偽装保守のリベラル人士である。
そう思っている。
・・・・・
人には人の思いがあり、
それは人それぞれである。
だが、その現実を認められない人がいる。
自分の気に入らないものは否定するのだ。
しかもたいていは完全否定である。
その辺を判別する。
これは難しいものではない。
実に簡便で分かりやすいのものです。
それが私のリトマス試験紙です。
昔からあるもので、今でも重宝されている。
私も同様のものを持っている。
しごく簡便なもので、それは人を判別するのです。
それは保守とリベラルとを見分ける。
とは言っても、世間の仕分けとは違うかも。
・・・・・
判別に用いる要素は否定という概念である。
神ならぬ人間は当然のこと突き詰めれば何も分かっていない。
言葉という道具を使って、いかにも分かったような気にはなれるが。
それはあくまで分かったような気になるだけだ。
所詮何も分かっていないのです。
然して目の前の現実を只認めるのみ。
そしてそれに従って生きるのみ。
そこは人以外の生物と代わらない。
人もまた只の生物なのだ。
違うのは言葉を持ってしまったことである。
この言葉というのが実に奇妙かつ特別なものなのです。
だから取扱に注意を要する。
聖書によればである。
言葉は本来神のものである。
言葉は神であり現実である。
人の身にとって現実を的確に言葉に置き換えるのは難しい。
それなりに表現しても、本当に的確かは誰にも分からない。
あくまでも分かったような気になるだけだ。
それは止むを得ない。
だから分からないことは分からないと認めよう。
そして何より現実を否定しない。
たとえそれが気に入らなくとも。
否定という概念は余程慎重に使わねばならない。
綾を表現するのに時に有用だとしても。
・・・・・
現実は一つだ、神の目から見れば。
しかし、それを的確に言葉にするのは難しい。
人にはおよそ難しい。
人には人の数だけ現実があるから。
私には私の現実が…。
彼方には彼方の現実が…。
人の思いの数だけ現実があるのだ。
それを否定してはいけない。
気に入らなければ、気に入らないと言うのはいい。
私と違うのなら、私とは違うと言えばいい。
それだけのことだ。
だが世間には否定する人がいる。
頑なに否定して譲らない人がいる。
所謂リベラル人士である。
中にはそうでない人もいる。
そういう人はむしろ保守系だと思っている。
討論などを聞いていれば分かるだろう。
相手の意見は意見として認め、その上で自分の意見を主張する。
これが保守陣営である。
就中、真正保守である。
所謂保守陣営の中にも相手の意見を否定する人がいる。
そういう人は保守ではない。
偽装保守のリベラル人士である。
そう思っている。
・・・・・
人には人の思いがあり、
それは人それぞれである。
だが、その現実を認められない人がいる。
自分の気に入らないものは否定するのだ。
しかもたいていは完全否定である。
その辺を判別する。
これは難しいものではない。
実に簡便で分かりやすいのものです。
それが私のリトマス試験紙です。