ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

本能寺の変

2016-03-21 10:26:50 | 日記・エッセイ・コラム
私は学者ではない。
だから本当のところはよく分からない。
もちろん学者であってもだろう。
信長のことは信長に聞かなければ分からない。
とはいえ、
少々思うところがある。
・・・・・
曰く、
信長は京都の権力を嫌っていた、
それに大変新し物好きであった、
ということ。
それは、
鎮護国家の総本山であった比叡山の焼き討ち、
キリスト教布教に便宜を与えたこと、
に現れている。
信長は日本では珍しく極端な行動をする。
それは時代の画期に現れた天才の宿命か。
戦国時代と言われるが、
それはあくまでも武人同士の戦いである。
庶民が殺されることはない。
それに敗者を皆殺しにすることもない。
ところが信長はちょっと違った。
苛斂誅求なのである。
・・・・・
現下書店に本が売られている。
信長はイエズス会に爆殺された、とか言う。
その本をチラッと見たが買ってはいない。
でも有り得る話だと思った。
もしその話が事実なら理由はひとつ。
信長がイエズス会の実態に気付いたからだ。
そして比叡山焼き討ちのごとく、
キリスト教を徹底的に弾圧しようとした。
となればイエズス会は黙っていない。
存亡をかけて信長を抹殺する。
そんなことか。
でも、ちょっと違う気もする。
・・・・・
信長が気が付いてないなら、
そしてどこまでも許すなら、
キリスト教はもっと深く浸透する。
それは日本の危機である。
重大な危機である。
その危機を察知したのか、日本の霊性は。
ならばである、
信長を殺したのは日本である。
日本そのものである。
日本の霊性の本体が動いたのだ。
とも考えられる。
・・・・・
イエズス会が伝えるキリスト教はイエスの教えではない。
イエスの教えなら、あのような植民地支配にはならない。
彼らはイエスを騙る者である。
それを見抜いたのだろう、日本の霊性は。
なぜ見抜けたのか。
それは本当のイエスの会衆が居たからだ。
そうとしか考えられない。


















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