ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

ど~んと

2020-05-25 07:25:35 | 日記・エッセイ・コラム
私は今まで、
日本円は日本人(の働き)が担保している、
と何度も言ってきました。
今もそれは変わりません。
変わりようがありません。
・・・・・
金本位制の時代は金が担保していました。
金は物として万人が認める価値を有しており、
それをもって交換の仲介をしてきたが、
謂わば特殊な物々交換と言えましょう。
今使用している通貨はただの紙切れに過ぎず、
物としての価値はありません。
ではその価値を担保してるのは何なのか。
なぜ財やサービスと交換できるのか。
それは本質的には仮想です。
でも昨今流行りの仮想通貨とは違います。
それらは正に仮想です。
現通貨は仮想ではあっても、もはや実相となっている。
その故は人にある。
日本円は日本人が認めており、
ゆえに日本人が担保している。
そこに尽きるのです。
日本円が使用できるのはこの日本においてです。
そして日本人が作った財やサービスと交換できるのです。
それを日本人が認めているのです。
しかも日本人の働きは優秀である。
その日本人が作ったものなのです。
日本にはほしいものが満ちている。
だから価値があるのです日本円は。
・・・・・
とはいえ、だからこそ、
通貨は時にハイパーインフレで紙切れになってしまう。
例えばアフリカ南部にジンバブエという国がある。
もう以前のことだがそういう状態になった。
ジンバブエ・ドルである。
そうなれば紙袋一杯のお金でパン一個とか。
通貨が意味をなさなくなるのだ。
そうなった原因は知らない。
もともと働くのが好きじゃなかったのか、
政治や経済の破綻で働くことができなくなったのか、
どちらにしても、
財やサービスが作れなくなったら、
その国の通貨は紙切れになる。
なんとか作ったとしても、
苦し紛れに通貨を大量に発行すれば、
結局そういうことになる。
通貨は経済力に見合った分量だけあればいい。
増やせば価値が下がる。
減らせば価値は上がる。
しかして適量というものがある。
多過ぎても少な過ぎてもダメなのだ。
だから、よく人間の血に例えられる。
経済成長が求められるのは故である。
成長していれば追加発行できるのだ。
成長すればするほど、どんどん発行できる。
これが現代の錬金術である。
何しろ紙切れが金になるのだ。
今先進国はほとんど成長しなくなった。
錬金術が使用できなくなったのだ。
だから新興国を利用してきたが、
それも怪しくなってきた。
これからどうするのかな。
・・・・・
ちなみに、だからこそ、
この武漢肺炎の騒ぎで、
国民が働かず引きこもりをすれば、
経済がおかしくなるのは当然です。
ここで錬金術を使わない手はない。
通貨を発行して国民に配るのです。
一時的には通貨の価値は下がるでしょう。
でも国民が壊れれば元も子もないのです。
日本人(の働き)は素晴らしい。
働き始めればすぐに取り戻せるでしょう。
これ間違いなし。
私の言うことを信用して下さい。
てか私など信用しなくてよい。
みみっちい政策など止めて、
ど~んと行きましょう。