ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

ソウシャルビジネス

2016-04-22 10:17:19 | 日記・エッセイ・コラム
ソウシャルビジネス…。
この言葉が意味しているものにはまったく賛同する。
でも、どこかしっくりこない。
いまいち好きになれないのだ。
気持ちとしてはもちろん応援する。
場合によっては協力もしたい。
・・・・・
日本には商人道がある。
江戸時代の近江商人が先ず頭に浮ぶ。
彼らはもちろんそれ以前から存在している。
言われるところの、
「買い手よし」「売り手よし」「世間よし」、
である。
世間よしの中には、今でいう環境問題や福祉問題も含まれる。
また同じ江戸時代には、石田梅岩という人がいる。
この人には沢山弟子がおり、その教えを「石門心学」という。
武士や町人は人としての上下ではなく、
社会での役割であると言い、
蔑まれていた商人の役割を正当に評価し、
さりながら悪徳な商人は非難し、
商人道を説いた。
彼は近江の人ではないが、その道は同じようである。
日本人にはどうもそういう意識があるようだ。
梅岩も言ったように、
悪徳商人がいるのは古今東西世の習いであり、
さりながら、
だからこそ、
あるのだ王道としての商人道というものが。
そして今も。
・・・・・
戦前は公の精神が強調されていた。
世間に迷惑を懸けない、
世間の役に立つ、など。
つまり、「世間よし」である。
よくは知らないが、
たいていの親はそれが口癖であり、
それが当り前だった。
そういう社会なら、ソウシャルビジネスという言葉は不要である。
そもそもビジネスはソウシャルなのである。
だから、私はしっくりこないのだ。
ソウシャルビジネスという言葉が。
そういう言葉を持ち出すことで、
普通のビジネスはソウシャルではないと言っている、
ように聞こえる。
ビジネスは儲ければいいだけなのか。
何をしても儲ければいいのか。
そんな風に感じる。
実に嘆かわしい。
・・・・・
昨今、世界標準という言葉がよく持ち出される。
それは時に考えものだ。
自分が良いものを持っているのに、
世界標準と言って下げてどうする。
そんなことは止めよう。
もちろん、良いものは受け入れよう。
どんどん。