ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

夫婦別姓

2016-02-18 11:04:33 | 日記・エッセイ・コラム
国連での話である。
女子差別撤廃委員会で対日審査があったと聞く。
夫婦別姓がいいと思ってるらしく、
日本に問い質してる。
日本国内でも左派・リベラルは同様である。
どちらが先かはともかく、
連携しているようだ。
・・・・・
シナや朝鮮は夫婦別姓である。
それは氏を姓としているからだ。
血統そのものを姓としているからだ。
だから夫婦は交わらない。
どこまでも他人なのである。
だから別姓なのだ。
日本は違う。
日本にも氏があった。
今も有るだろうが表には出さない。
日本では氏を姓としないで、
別途姓を定める。
血ではなく、共に在るということを大事にする。
だから新たに創るのである。
ここが胆である。
一緒に生きる者は姓を同じにする。
自然なことである。
元は他人でも連帯して新たに家を立てる。
これが夫婦同姓である。
連帯の証なのだ。
・・・・・
会社で考えれば分かる。
二つの会社が合併すれば、新しい社名を付けるのが普通だ。
吸収合併の時は別だが。
夫婦も同じだ。
男性も女性も結婚すれば姓を同じにする。
それだけのことだ。
戦前もそれは変わらない。
今と違って家という観念が強くあったから、
嫁入りなら男性の姓を、
婿入りなら女性の姓を、ではあったが。
今は双方とも家を出る。
すなわち新しい家を創るのである。
だが、いちいち新しい姓を創るのは煩わしい。
男性側の姓を名乗るのは慣習である。
そうしなければならない訳ではない。
そこに差別はない。
・・・・・
差別をしている者が、
差別をしていない者に、
差別は止めろ、
とはどういうことか。
国連は狂っている。
今に始まったことではないが。