ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

韜光養晦(トウコウヨウカイ)

2015-06-18 13:38:07 | 日記・エッセイ・コラム
韜光養晦(トウコウヨウカイ)とは、
中国共産党国家主席の発言に出てきた言葉である。
「能力を隠して力を蓄える」という意味である。
つまり、
自身の力が十分でない時は逆らわず相手に従う、
そして力を蓄えることに専念する、
ということらしい。
根っ子には孫子の兵法がある。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」なのである。
ということは韜光養晦の精神でいけば、
自身が強くなればそれを活用するということであり、
力にまかせて己の意を通すということだ。
何のことはない、
つまりはこの世界は力の世界であるとして、
それに対応しているのである。
そして今その力を見せ始めている。
実に傍若無人に。
もっとも旧世界が力の世界であることは、
遠い昔から近現代まで何も変わっていない。
元々そういう世界なのである。
シナも何も変わっていない。
それがシナ社会の現実である。
漏れ伝わって来る報道からも分かる。
しかもシナに限らず未だ世界の現実なのである。
奴隷制があったということがその証左である。
さすがに現代は形の上ではないが。
だからである。
それを打破するために自由という概念が必要だったのだ。
ついでに民主主義という概念も。
言葉偏重の欧米らしいことではある。
そして今もそれを言い続けている。
おかげで中東あたりは大混乱。
なお、シナにはその概念も無きが如くである。
・・・・・
敢えてもう一度言う。
この世界は力の世界である。
それは何も変わっていない。
まさにその中に在る。
平和を守るためには、
誰よりも強くあらねばならない。