人間にも腸内細菌がいる。
種類も多くその数は膨大なものらしい。
牛などの草食反芻動物はそういうことだと知っていたのだが。
人間も同じということだ。
まあ種類も数も相当違うだろうが。
にしても、
腸内細菌がいなければ消化できなく生きていけない、
ということは同じだ。
・・・・・
腸内細菌には大きく三種類あるという。
善玉菌と悪玉菌およびそれ以外の菌(日和見菌)である。
その三種類のバランスが重要で、
2対1対7が良いらしい。
善玉菌ばかりでも良くないという。
善玉菌はいつでも善玉という訳ではないのだ。
一方、悪玉菌は無い方が良いように思う。
でも無ければ良いという訳でもない。
少しは必要なのだ。
悪玉菌はいつでも悪玉なのではない。
日和見菌もしかり。
どうでも良い菌ではなくやはり必要なのだ。
そもそも菌は、
俺は善玉だとか悪玉だとかは言わない、
もちろん日和見だとも言わない。
すべてただ菌なのである。
・・・・・
人は言葉という道具を使って名を付ける。
そして同じようなものであっても、
区別し違いを知ろうとする。
それは人間の本性である。
人間の人間たる所以である。
止める訳にはいかない。
でも言葉には注意が必要だ、
とびきりの注意が、
付けた名に取り込まれないように。
善はどこまでも善ならず、
悪はどこまでも悪ならず、
なのである。
さりながら往々にして取り込まれる。
これは矛盾だ。
知るということと、
取り込まれるということは、
同じなのだから。
嗚呼!
種類も多くその数は膨大なものらしい。
牛などの草食反芻動物はそういうことだと知っていたのだが。
人間も同じということだ。
まあ種類も数も相当違うだろうが。
にしても、
腸内細菌がいなければ消化できなく生きていけない、
ということは同じだ。
・・・・・
腸内細菌には大きく三種類あるという。
善玉菌と悪玉菌およびそれ以外の菌(日和見菌)である。
その三種類のバランスが重要で、
2対1対7が良いらしい。
善玉菌ばかりでも良くないという。
善玉菌はいつでも善玉という訳ではないのだ。
一方、悪玉菌は無い方が良いように思う。
でも無ければ良いという訳でもない。
少しは必要なのだ。
悪玉菌はいつでも悪玉なのではない。
日和見菌もしかり。
どうでも良い菌ではなくやはり必要なのだ。
そもそも菌は、
俺は善玉だとか悪玉だとかは言わない、
もちろん日和見だとも言わない。
すべてただ菌なのである。
・・・・・
人は言葉という道具を使って名を付ける。
そして同じようなものであっても、
区別し違いを知ろうとする。
それは人間の本性である。
人間の人間たる所以である。
止める訳にはいかない。
でも言葉には注意が必要だ、
とびきりの注意が、
付けた名に取り込まれないように。
善はどこまでも善ならず、
悪はどこまでも悪ならず、
なのである。
さりながら往々にして取り込まれる。
これは矛盾だ。
知るということと、
取り込まれるということは、
同じなのだから。
嗚呼!