ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

腸内細菌

2015-06-08 08:44:45 | 日記・エッセイ・コラム
人間にも腸内細菌がいる。
種類も多くその数は膨大なものらしい。
牛などの草食反芻動物はそういうことだと知っていたのだが。
人間も同じということだ。
まあ種類も数も相当違うだろうが。
にしても、
腸内細菌がいなければ消化できなく生きていけない、
ということは同じだ。
・・・・・
腸内細菌には大きく三種類あるという。
善玉菌と悪玉菌およびそれ以外の菌(日和見菌)である。
その三種類のバランスが重要で、
2対1対7が良いらしい。
善玉菌ばかりでも良くないという。
善玉菌はいつでも善玉という訳ではないのだ。
一方、悪玉菌は無い方が良いように思う。
でも無ければ良いという訳でもない。
少しは必要なのだ。
悪玉菌はいつでも悪玉なのではない。
日和見菌もしかり。
どうでも良い菌ではなくやはり必要なのだ。
そもそも菌は、
俺は善玉だとか悪玉だとかは言わない、
もちろん日和見だとも言わない。
すべてただ菌なのである。
・・・・・
人は言葉という道具を使って名を付ける。
そして同じようなものであっても、
区別し違いを知ろうとする。
それは人間の本性である。
人間の人間たる所以である。
止める訳にはいかない。
でも言葉には注意が必要だ、
とびきりの注意が、
付けた名に取り込まれないように。
善はどこまでも善ならず、
悪はどこまでも悪ならず、
なのである。
さりながら往々にして取り込まれる。
これは矛盾だ。
知るということと、
取り込まれるということは、
同じなのだから。
嗚呼!