創価学会の信仰に功徳はあるか?

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宗教法人 名古屋モスクが「イスラム国」の名称変更を希望するお知らせ

2015年02月03日 02時07分52秒 | 創価学会
「イスラム国」という名称の変更を希望します | お知らせ | 宗教法人 名古屋モスク

投稿日 : 2015年1月25日 | カテゴリー : お知らせ

日本のメディアにおいて「イスラム国」と称されている過激派組織の行いは、イスラームの教えとはまったく異なるものです。イスラームにおいて、テロ行為や不当な殺人、迫害は禁じられており、また女性や子どもの権利は尊重されなければなりません。
「イスラム国」という名称にイスラムという語が入っているために、本来の平和なイスラームが誤解され、日本に暮らす大勢のムスリム(イスラーム教徒)への偏見は大変深刻です。

エジプトにあるイスラームスンニ派最高権威のアズハルからは、昨年9月、この過激派組織に「イスラム国」の名称を使用するのは不適切であり、イスラームとムスリムに対して不当であるとの声明が発表され、海外のメディアに「イスラム国」の名称を用いないよう要請がありました。
しかし、日本のメディアでは、この要請が実現されておらず、国際社会が国家と認めていないただのテロ集団に対して「イスラム国」の名称が使用され続けています。

この過激派組織はアラビア語で「الدولة الاسلامية في العراق والشام‎= ダウラ・アルイスラーミヤー・フィー・アルイラーク・ワッシャーム」であり、その省略形は「 داعش=ダーイシュ」です。
アメリカ軍は昨年の暮れに、この過激派組織を「ダーイシュ」と呼ぶよう公式に発表しました。
フランス政府も昨年9月、「ダーイシュ」の名称使用を決定しています。

海外では、上記アラビア語の英語訳「Islamic State of Iraq and Syria」の省略形である「ISIS=アイシス」や「Islamic State of Iraq and Levant」の省略形である「ISIL=アイシル」を用いるメディアもまだ多いようですが、日本のように「イスラム」を連呼することはありません。
日本においても自民党や外務省が「イスラム国」という名称をやめ、「ISIL」の呼称に統一したことに基づき、各報道機関においても名称の変更がされるべきであると考えます。
日本の皆さま、どうか「イスラム国」という名称の使用中止をお願いいたします。

※なお、ISILの行いがイスラームの教えに沿っていないことは、世界中のイスラーム学者たちが連名でISILに送った公開書簡に具体的に記されています。
 (日本語での要約はこちらのブログに掲載されています)

<2015年2月1日追加>
本日、宗教法人マスジド大塚にてモスク・マスジド代表者会議が開かれ、「イスラム国」という名称が妥当ではないこと、イスラームと差別化されるべきであることを総意で確認いたしました。
上記内容へのご賛同をいただいた出席者の方々、および出席者以外にもご賛同いただける他のモスク・マスジド・イスラーム団体の方々は以下の通りです。従いまして、今後は連名による要望といたします。(敬称は省略させていただきます)

 ・宗教法人名古屋モスク 代表 クレシ アブドルワハブ
 ・宗教法人マスジド大塚 代表 クレシ ハルーン
 ・行徳ヒラーマスジド 代表 ジャミール アハマド
 ・イスラミックサークルオブジャパン 日本人部代表 前野直樹
 ・新居浜マスジド 代表 浜中彰
 ・別府マスジド 代表 カーン ムハマドタヒルアバス
 ・一宮イスラミックセンター 代表 カルディン ハニーフ
 ・静岡ムスリム協会 代表 アサディ ヤスィン
 ・ハサナスマスジド豊田モスク 代表 モヒディーン ニザール
 ・宗教法人アンヌールモスク新潟 代表 ムハンマド ヒッシャム
 ・NPO子どもと女性のイスラームの会 代表 マリアム戸谷玲子

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367.お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺

2015年02月03日 00時56分06秒 | 創価学会
(1)鉄腕ダッシュという番組

 DASH島の番組中、川沿いか海岸のようなところで竹筒がみつかり中にお守り札が残っていたみたいですね。中央に守護神か仏、周囲に経文などの護符に書かれる呪文があったようです。

竹筒に封をされて入っていたらしいとはいえ、竹筒が風雨にさらされた状態で数十年残っていたので驚きです。日本人の信仰の一つの形としていい話だな、と思っています。
(このシーン放送があったのは昨年2014年で、だいぶ前です。)

日蓮形式の曼荼羅本尊も私個人は信仰対象として否定はしません。
日蓮正宗系の信仰のあり方、他宗の人への教え方、拝ませ方が問題だと考えています。
後は日蓮正宗が「偽物です。レプリカです」と言った上で他宗の人々や学会、顕正会など会員、退会者に謝罪すればいいだけのことなんですけどね。

(2)お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺

この番組もいいですよね。脱カルトというだけでなく一般仏教の基礎知識が増えていいと思います。

 日蓮正宗でなく日蓮宗のお坊さんが番組に出てきてくれたのが、私としては実に嬉しいです。各宗派のお坊さん同士、談笑したり互いに教え合ったりして実に良いことだなと思っています。

ぶっちゃけ寺のお坊さんは他宗のお寺に行って自分の宗派のお経を上げています。
あるいは他宗派同士の座禅もいいですよね。どちらも私には新鮮です。
TV番組のために相手先のお寺やお坊さんの了解を得た稀なことなのでしょうけれど、いいことだと思っています。

脱カルト中の人、日蓮正宗系教団で信徒の取り合い合戦をしている人、過去にした人、自分の所属する教団以外の人の誹謗中傷合戦、悪口を言ってばかりの人にはちょうどいい薬になるんじゃないでしょうか?もっとも、テレビ番組を見ることができれば、の話ですが。

日蓮さん自身も他宗批判をして「他宗は謗法である」と断言しましたが他宗批判のほぼ全てが間違っていたわけです。近年の日蓮正宗系教団は他宗へ行くことを謗法としています。(創価学会は観光地の寺社参詣やお祭り参加は近年になり問題ないと豹変しています。他宗への誹謗中傷について全く謝罪していません。)
日蓮さん自身も他宗のお寺に行っていたことを考えれば、日蓮正宗系教団の長い長い数百年単位の時代遅れな誤認識であることがよくわかります。
番組を見て私が実感できる、という意味ですけどね。


私が知らないだけでTVに出ているのは日蓮宗のお坊さんでなく、(日蓮宗と紹介しているだけで実は)日蓮正宗のお坊さんかもしれません。それならそれで良いことだ私は思いますが、もしそうならTVで謗法と同座しているのに在家信徒である学会員を切り捨てた説明責任や釈明や謝罪が必要ですよね。


(3)謗法と同座すべからず

日蓮正宗のお坊さん、特に日顕氏、日如氏もTVに出てくれませんかね?そして深々と謝罪していただきたいですね。土下座しろとはいいませんが。

日蓮遺文に「謗法とは法に背くという事なり」「謗法を責めずして成仏を願はば、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし」とありますし、日興遺誡置文に「一、謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事」とありますから、ぶっちゃけ寺どころか普通のTV出演も無理なんでしょうけれど、ぶっちゃけ寺のTV番組見ていると如何に非仏教的に日蓮正宗が異端なのか、ということが分かると思います。

「一、謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事」という一文って取り扱いを間違えると、相手を説得できないスキルの問題、つまり正宗の坊さんが無能である、という点や様々な問題に対処する、という現代的な柔軟さが無いという点がわかります。
「一、謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事」だってケースバイケースで使う使わないを決めるべきでしょう。
鎌倉時代よりも現代のほうが仏教学の研究結果は明らかで、日蓮さんも大間違いしているのですから、日蓮正宗のあり方は問題なのは明らかです。

お釈迦さんの教えが柔軟で法を説くより先に人(仏教でない他宗の人)に対してケースバイケースな救済を行い、その他宗の人の求めに応じて後から法を説いたのは過去記事に何度も書いたとおりです。
もちろん仏教学の法そのものに問いがある人が居て、お釈迦さんとの問答からその人が入信、という事例もあるようですし、私はその事例も否定はしません。

日蓮さんが引用した「謗法を攻める」ということはケースバイケースな内の一つの事例だと私は考えています。

(4)顕正会について

日蓮正宗信徒である 「創価学会員を謗法がある!として切り捨てた」わけですから他宗のお坊さんと一緒にTVに出たら大笑いしてしまいます。どこまで無慈悲な人でなしのアホなんだな、と。

もちろん過去の私も創価学会員だったわけですから、学会と正宗の蜜月時代に顕正会を追い出したことは学会関係の書籍で知っていました。私の入信前のことです。

このことで私が創価学会会員時代に顕正会の人を責めたり法論したことはありませんが、創価班だったので顕正会の動きがあると学会活動の中で対策はしていました。男子部の活動のいっかんでしかありませんでしたが、当時はマトモな仏教も宗教もわかっておらず、学会の非仏教、カルト仏教しかしりませんでした。
例によって例のごとく「学会が正しい!正宗が正しい!顕正会は謗法だ!間違っている。」とMCされ、学会や正宗の立場に立って自分も同じように「そうだ!そうだ!」と思っていたのですから、恥ずかしい限りです。

原始仏教から続く思いやりのある大乗仏教精神
大乗経典などにある思いやりのある法華経精神

このどちらでもありませんでした。どの正宗教団もトップは仏教の何たるかを知っていて隠すか騙し、末端の人が良く解ってないのです。正宗から非仏教、非宗教的に追い出されて創価学会も顕正会も末端の人にはかわいそうな一面があると私個人は思っています。
(但しどの正宗系教団もカルト教団だというのが私の考えです。)

元々の原始仏教、大乗仏教の精神からすれば「相手が異教徒のバラモン人であっても大切に」する。本来、僧侶が説く 「仏の教えに従う」 のが信徒。(僧侶や学会幹部の奴隷となって従うことではありません。)これが理想ですが僧侶が上で信徒が下という悪い意味での上下関係があってはダメでしょう。原始仏教は「僧侶信徒の修行の違い、修行の結果の違いはあっても基本は平等精神」「僧侶と信徒立場は違えどお互いに大切にする」のはずです。
法華経精神でもなく宗教でもなく、ただの俗世間と同じ組織争い縄張り争いを日蓮正宗という身内同士でやっているだけでしょう。
自分でも本当に醜い争いというか、子供っぽいことしていたな、と思います。

日蓮正宗系の坊さん、信徒会員の言動は修行の厳しさ、自己鍛錬、訓練の厳しさではなくて他者排除、他者を傷つけるだけの自分に甘く他者に厳しい単なる自己満足なんですよね。
正宗に限らす、創価など正宗系教団がこうした各々の人格や教団毎の教義、現代宗教教団として多くの問題を抱えているとがわかります。

(5)改めて思うこと

 ぶっちゃけ寺のTV番組を見るまでもなく、だいぶ前から「池田大作氏や日顕氏を師匠としたのは失敗だった」と思っていました。オウム真理教について私が書いた過去記事にも同じことを書いています。オウム裁判の通り、「弟子が麻原彰晃に出会ったこと、師匠としてしまったことが最大の不幸」(主旨)だったわけです。

このTVを見て各宗派の好感の持てる良きお坊さんたちに知り合って師匠とまでは行かなくても人生相談かアドバイスを受けるべきだった、と余計強く思います。

ただ、私はある人から
「お坊さんの言うことは話半分に聞いた方がいい。」
ともアドバイスを受けています。これくらいの気持ちで聞いたほうがいいのかもしれません。特に私のようなカルト経験者は。
これは話が別で長くなるので私の気が向いたらまた別の機会に。

次回は日蓮宗と私、かな?次期は未定。忙しいので何時になるかわかりません。
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