創価学会の信仰に功徳はあるか?

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282.日蓮正宗系信徒の「あなたは分かってない。」(その1)

2009年01月19日 20時37分08秒 | 創価学会
 日蓮正宗系信徒(I)の「あなた(you)は分かってない。」(信仰心がない)ってよく言いますよね。
彼らの言う「分かってない」の中身は

A.日蓮正宗系の教学。(日蓮の一生や日蓮の遺文など)
B.日蓮正宗系信徒の幸福体験談。

といったところでしょう。
日蓮正宗系の教学については嘘だらけで既に破綻していると私は考えています。
そもそも、鎌倉時代に生きた日蓮の仏教学が現代に全て通用するはずありませんから。
もちろん私は日蓮や法華経の全てをバカにしているのではありません。
学会員でも日蓮正宗でも日蓮宗でもどちらにも良き人も悪い人もいるでしょう。
しかしそれぞれの割合は教団によって違うでしょう。

創価などの日蓮正宗系信徒の言動は教団都合の教えや立場が基準であり、問題や矛盾が見つかります。
今までにも様々な矛盾は書いてきましたが、日蓮正宗系信徒(I)の「あなた(you)は分かってない。」(信仰心がない)という言動の前後なども含め問題になりそうな 「心」(心理) ってないのでしょうか?

●まず最初に。

「あなたは分かってない。」(信仰心がない)という言動の前後に日蓮正宗系信徒(I)からあなた(you)にはどんな認識がなされているのでしょうか?
私の創価入信の紹介者である某君の例をとりましょう。
某君の事は過去記事にもいくつも書いてきましたし本記事でも過去記事と同様な内容が含まれますが、心理面や言動について詳細な内容になります。

言動とは言葉と行動であり言動には継続されている状態も含まれます。
考えたり信じたり言葉を口にしたり言葉をメールにしたり言葉をブログに書く事も行動です。
先の記事で昭和天皇が言わなかった事について触れましたが、言わない事も行動の一つであり理由があるはずなのです。
考えた結果言わなかったのか、考えなくて言わなかったのかはまた別の問題です。
考えたか?考えなかったか?理由は不明ですが「言う」行動だけでなく「言わない」行動にも様々な理由があるという事です。

●他者へのいわゆる「駄目だし」

「あなたは分かってない。日蓮正宗系信徒である私は分かっている。」つまり他者に対して「謗法だ」「駄目だ」「駄目なんだ」という他者へのいわゆる 「駄目だし」 ですが、「分かってない」「謗法だ」「駄目だ」という「評価」といえると思います。
日蓮正宗系信徒の発言(言動)には他者に対して教団都合な「評価」が多いと私は考えています。

「評価」「認識」があって「言動」がなされる場合もあれば、
「言動」があって「評価」「認識」がなされる場合もあります。

実はどちらの場合も他者に対するアプローチはカルトと宗教は正反対のようです。別途記事にします。

○注意事項として「評価すること」そのものは悪ではありません。

 注意事項として権威主義同様、「評価すること」そのものは悪ではありません。
とある女性がプロポーズされた時、この人と結婚したら幸せになれそう、この人となら、と彼氏を高くあるいは良く「評価」出来るから結婚という言動に至るんでしょう?
「評価」という言葉を思いつくかつかないだけで、人は色々な事を「認識」したり「評価」したり「判断」したりするのです。
しっかりと考えて文章にして認識、評価したり、漠然、あるいは直感やぼんやりと認識、評価することもあるでしょう。
意図しても意図しなくても影響を与えたり、影響を受けるのです。
良くも悪くも影響を与えたり、良くも悪くも影響を受けるのです。
それを教えてくれるのが心理学という学問です。
(依存も良き依存と悪しき依存があります。)

心理学を勉強すると、人間が五感などで 見たもの、聞いた事、信じた事、思う事、考える事 これらはいつも必ず本当ではない、いつも正しくはないというテーマがあるのです。認識とか認知、評価とかも人間の行動理由や行動原理ですからやはりテーマです。
信じる、折伏する、という言動が日蓮正宗系信徒にとって特別な言動であることは別途記事にします。当然問題があります。

特に女性は男性に比べて言葉の裏を察知したり人をよく見る事が出来ると思います。
単純に言い方の問題ではなく、日蓮正宗系信徒の言動の 「安易さが問題である」 のがよく分かって頂けると思います。

私の記事も評価されてもOKですし批判されてもOKです。信じなくてもOKです。
嘘やごまかし無くちゃんとした理由があるか?
嘘やごまかし無くちゃんとした説明されているか?
過程や結果が健全か?人にとって良い影響か?幸福か?ということです。

宗教未入信で学会に関わった経験のある一般の方から教えて頂いたのですが
「グループカウンセリングにおいてはお互いにお互いを評価しない。」のだそうです。
過去を振り返ってお互いにお互いを認めたり肯定するのです。ただ単に話を聞くだけの場合もあるでしょう。

●「評価」「認識」←→「言動」

○入信時の評価

私は親に創価学会入信を反対されて殴られたり喧嘩したりしています。その苦しさを学会入信の紹介者(創価大学卒業生)である某君に何度か打ち明けました。彼と私は近い人間だったはずです。手紙やTELで入信や本尊御安置の相談はよくしましたから、彼が一番私の内得信仰時代の苦しさやつらさを知っていたはずなのです。
親に殴られても信仰を貫いた事とか勤行をするのにいくつかの学会員さん宅に伺ったことを彼は”知っていたはずです。”


私は「創価学会で悩み事が解決する」と心や脳で考えたり思った。だから入信し活動する「言動」をとったのです。
私は「創価学会で悩み事が解決する」と信じたでもいいでしょう。だから入信し活動する「言動」をとったのです。


 「創価学会で悩み事が解決する、と心や脳で考えたり思って内得信仰や入信、活動家という言動をとった」わけですが、
これは親に反対されても内得信仰や入信、活動家という言動をとったのですから、「意志が固い」「強情」だった可能性はないのでしょうか?ここでは実際に「意志が固い」「強情」かどうかは問題ではないのです。もっと大きな問題が潜んでいる可能性があります。(別記事か?未定。)

内得信仰時代に学会員から私に信心強情と言われなかったと記憶しますが、「よくがんばっているね!!」「すごいね!」「みんな知っているよ!」「みんな君が頑張っているのを知っているよ!」「祈っているよ!」などなど色々言われました。私も親に負けるものか!とか魔に負けてたまるか!と思いました。美しい言葉で言えば、不退転、(入信という)勝利、大聖人の弟子、池田先生の弟子です。

○退転時の評価

私事ですが、創価学会入信時の紹介者(創価大学卒業生)である某君と退転時に会った事は過去記事にも書きました。
その際に地区との連絡を取ったのでしょう。
彼にとって当然といえば当然ですが、私の退転について地区側だけでなく彼も「意志が固い」「強情」などのマイナスの評価になっていました。


私は「創価学会では悩み事は解決しない」と心や脳で考えたり思った。だから退会という「言動」をとったのです。


創価学会の言う事を聞いていれば信心強情という良い評価です。
ところが創価学会に賛成しない、言う事を聞かない、すぐさま学会員(I)は他者(you)に「強情であの人はもう駄目だ」とかの「評価」がなされます。「評価」の結果、ケースバイケースな事例として彼の場合、「彼は私を許さない」言動に至るのです。
退転者や批判者は誰もが問答無用で「学会や池田先生の批判をする事は(彼自身が許されないから)許さない」(主旨)のです。

ここでも「許す/許さない」そのこと自体に善悪はありませんし、
「許さない」と発言する/しないは問題ではありません。
人の心理として心や脳で考えたり思っている事、MCされた事、認識、認知が変わらない限りは発言する/しない事は一時的な現象でしかありません。(*1)

ここに重要な問題があるのです。
それは人間関係の距離と関係しています。過去記事に書いた遠い師匠、近い師匠。身近な人間関係と遠い人間関係です。

彼が私の内得信仰時代を思い出さなかったのか覚えていないのかは定かではありませんが、少なくとも私に内得信仰時代を思い出させようとはしませんでした。
あるいは「よく頑張ったね」「ありがとうございました」等のねぎらいではないわけです。
最近の過去記事にも自分たちが許されないから他者を許さない事を書きました。
退転者だと立場が  「決まっている」  だから「私、そううそが池田先生の批判をする事は(彼自身が許されないから)許さない」(主旨)のです。

●「評価」「認識」から「許さない」言動へ

彼、某君と私で創価学会について「評価」「認識」が違いますが、彼から私に対して「許さない」などの怒りの可能性があるのです。
(彼と最後にあった時の私は池田氏にカルトな人という評価はありませんでした。)

彼、某君と私とは高校時代の同級生なので、共通の友人がいますが、
彼、某君と未入信の友人には創価学会について「評価」「認識」が違い、入信していないという立場な訳です。
ところが彼は未だに未入信の友人に折伏や公明党への選挙活動をして投票依頼を行っています。
未入信の友人は私と同じ「入信していない」立場であり、学会側と立場が違うのですが、 折伏や投票依頼の都合、つまり教団都合な理由で「許さない」などの怒りを隠している可能性があるのです。

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33.創価学会の「悪」「仏敵」とは何か?創価の勘違い。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/eee67f600411a80ebb79eb26aa2a8c0b
「青年よ、仏敵を打ち砕け。学会迫害の悪人は厳罰でのたれ死ぬまで攻め抜け」
'04年11月18日付け聖教新聞より。
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折伏思想や批判者は敵であるという思想、これらに無理があるというか問題が幾つもありそうです。
普通の人は人間関係や距離、関わり方で好き嫌いが決まるのです。もちろん立場でも決まる事がありますが、普通は立場だけで決まらないのです。

過去記事に書いたとおり、彼ら日蓮正宗系信徒の善悪、敵味方は立場で決まることがあり極端です。「悪だ敵だ」と教えられているのです。当然の結果として怒りを持つでしょう。
しかし、入信していないという同じ立場の他者に 「与える言動が違う」 のです。(他者の言動が違うのですが)
彼ら日蓮正宗系信徒は教えられている事と自分たちの行動に矛盾がある事に気がついていません。

☆1 これは2重人格という人格、性格を助長するか強化するのではないでしょうか?
☆2 未入信の友人に折伏や公明党への選挙活動をして投票依頼を行うことは彼、某君にとって必要以上に怒りを隠す事であり、抑圧やストレスがたまる結果にならないでしょうか?
☆3 1,2の結果から日蓮正宗系信徒がうつ病などを抱えても何の不思議もないのではないでしょうか????

折伏、新聞啓蒙、創価班などの活動、ご供養などの寄付を含め学会活動、カルト活動を学会幹部が激しくあおればうつ病などを抱えるのは何の不思議もないと私は考えます。
日蓮正宗系だけでなく、どのカルトにも同じだと私は考えます。当人にとって不健全、不自然なのです。しかし当人は気がつかないのです。

実は彼、某君について思い当たる点があるのです。
彼の自宅に行った時に彼の兄弟(実際には兄、弟かどうかはプライバシーのため記しません。)から私が聞いているのですが私から見ても彼は外面は温厚なのですが、内面は常に不機嫌や権威主義的なのだそうです。実際に私が見た事はありません。

●「許さない」言動はいったいどういう状況なのか?

(*1)に書いたように、「許さない」と発言する/しないは問題ではありません。
人の心理として心や脳で考えたり思っている事、MCされた事、認識、認知が変わらない限りは発言する/しない事は一時的な現象でしかありません。

「許さない」などの怒りの可能性がある、つまり、怒りを秘めている、他者に対していつ怒り出すか分からない、そういう可能性が高いと私は考えます。
日蓮正宗系信徒に共通する大きな問題点だと思います。確実に存在する問題だと断言します。

ですから彼ら日蓮正宗系信徒はちょっと批判されただけですごく激怒するのでしょう。

なんども書きますが、怒る事自体は悪ではありません。
どんな人にも喜怒哀楽があり誰でも怒りますから、ここではカルトに関わった為に起こる不自然、不健全な怒りの事を指します。
バランス感覚を失い必要以上な言動を取る事が危険といえるでしょう。
別途記事にしますが、その危険な言動の前後には
「言っている事とやっている事が違う」
「何を信じているかではなく、何をしているかで判断する」(マインドコントロールの恐怖の翻訳者:浅見定雄さん)
「自分(I)から他者(you)への言葉や説明が足りない」
という問題点が見え隠れします。

同じアンチ創価の立場でありながら突然、説明も無しに誹謗中傷、罵倒された経験が私にはありますが、カルト問題と心理的な問題(性格も?)が原因であり、それぞれが影響を受けある程度関連があると想像します。心の問題ですから関連の%は出せません。
(私に対してバトルした相手から一つ一つ気持ちや考え方、経緯など様々な事を確認する事が欠けていたのは明白です。私は質問しましたが言葉や説明などの回答はありませんでした。もちろん謝罪もです。)
アンチ創価/創価シンパにかかわらず、同じトラブルをなんども起こす人も問題を秘めている、問題が継続している、不健全が継続している、と私は考えます。

さらに認識の違いを上記で書きましたが、更に
自分の信仰を自分で駄目だしていた、ということ。
どんな影響があるのか????
評価の違いに共通はないのか?
「創価学会で悩み事が解決する」という「評価」「認識」
「学会では悩みは解決しない」 という「評価」「認識」
「あなたは分かってない。日蓮正宗系信徒である私は分かっている。あのお方(猊下、池田先生)は分かっている。」ってどういうこと?
これらが次の記事です。

もちろん察しのいい人は池田大作氏、日顕氏、日如氏が一番の問題人物、異常性格の持ち主である可能性が高い事は分かると思います。
当然、3人とも当人にとって不健全、不自然なのですが、当人は気がついていない可能性があります。
ただし、池田大作氏は息子さんの死を経験していますから気がつかないわけはなく、現在の言動はかなり異常だと私は考えています。

つづく。
コメント (1)
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