創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

143.「悪を倒してこそ、功徳がある」という指導

2006年10月05日 19時53分07秒 | 創価学会
はったり特急の学会員の人のコメント
はったり特急 - 題目の力 より。
-------------------------------
投稿者:みみちゃん
2006/10/3 11:55
追記・・

私も2世、信心歴長いと言えば長いです。
小学3、4年生の頃、クラスに嫌いな男の子がいて、その子のことを「学校に来ませんように・・」と、何日間か朝晩の勤行で祈ったことがあったんです。
たぶん、両親が「祈れば叶う」と話していたのを聞いて、思いついたんだったと思います。

そしたら本当にその子が休んで、私は得意げ両親に話しました。
「凄いんだよ!御本尊様!お願いしたら叶ったんだよ!」と。「へぇ・・なんて祈ったん?」。・・・。

たぶん母にそう聞かれて、瞬間『いけないことだった・・』と、感じたんだと思いますが、少々ためらいつつ「うん・・○○君が大嫌いで、嫌だったから『今日は来ませんように』『明日は来ませんように』って祈ってたんだぁ・・。そしたらね、今日はほんとに休んだんだよ!!」と、私が言うなり・・
「なあんてことを祈ってるんだあぁぁ~!!」「お前の祈りは『祈り』じゃない!!そんな人の不幸を祈るなんて、とおんでもないことだぞぉぉ~!!お前、なんってことしてるんだぁぁ~!!」と、母は物凄く激怒しました。

散々、叱られたあげく「御本尊様の前に座れっ!!お詫びの題目あげろっ!!いいか!二度とそんな恐ろしいこと祈るんじゃないぞっ!!いいなっ!」と、ぶたれるよりも痛く、怖かった(よくぶたれてました。汗。)この時の恐ろしさ・・。
父ではなく、「母が」です。ほんと怖かったです。

この後、私は泣きながら『御本尊さま・・ごめんなさい!もうしません!早く○○君が好くなりますように。○○君が嫌じゃなくなるように・・』と延々・・題目を上げ続けました。

私はこの時に『人の不幸は絶対祈ってはいけない』ことを母から教わりました。父もいましたが、母の怒りで充分だったから?か、静かに「いけないよ」と言ったくらいでした。でも、強烈なこの体験は生涯忘れられないことで、今直ハッキリ覚えている、今にして、大切な意味深い教訓だったと思います。
-------------------------------

 これともう一人ある方のコメントを読んで愕然としました。お二人の発言がなかったら今回の記事はありませんでしたし、反省出来ませんでした。有り難うございます。このみみちゃんさんのお母さんに怒られたような気分です。自分は子供でも分かるような事が出来ていなかったわけです。それというのは

日顕、山友、竹入、矢野、新潮社、撲滅

という祈りをしていた事です。日顕というのは日顕宗の事である場合もあります。過去記事にて書いてきたとおり、本尊や御書、教典の無事や宗門と学会の仲直りして学会員が一日も早く大御本尊を拝めるように。なんて祈っていたことを書きました。
 でもやっぱり組織にいわれて、日顕、山友、竹入、新潮社、撲滅 というのも祈っていたわけです。(そういえばなぜか矢野氏はあまり祈ってません。)

 日顕氏や竹入氏には確かに犯罪や人への嫌がらせがあります。過去記事に書いてきたとおり宗教者とは思えません。とある僧侶が女性信徒をレイプして大問題になって聖教新聞紙上に載ったこともあります。一僧侶の失態は日顕氏にも責任あるでしょう。聖教新聞紙上で何度も罵倒されています。(池田氏は部下に失態があってもいつもスルーですね。)こういった一つ一つの事は許してはいけないし、日顕氏竹入氏に直接迷惑をかけられた当事者には怒りや「氏ね」(あえてこう書いています。)とかあっても不思議ではありません。

 日顕氏は法主としての立場から創価学会や池田氏を攻撃してきたわけですからともかくとして、私個人にとっては上記の人たちは会ったことも見たこともないわけです。(日顕は遠くで見たかな?)竹入氏、矢野氏、山友氏は元創価学会員であり、学会本部に勤めていたか、そばにいた人たちです。

 経文には間違っていることをしていたらその場で注意してあげないと駄目ですよ、仏法の仇です。というのがあり、日蓮の遺文にも多数引用されています。学会本部が時間も場所も密接に関わってきた人たちです。

やはり日顕氏や新潮社は組織であったり組織トップですが、学会本部の責任が大きいでしょう。

ここまでは今までの記事に書いてきた結論です。

 私も大人で社会人で入信しましたし、大人になればそれなりに子供のように純粋ではいられないと思います。ですがこれは世間一般のお話、一般論です。人の気持ちや自分の心を大切にして、振る舞いなど宗教者らしくあるべきなら、(出来るだけ可能な限り)純粋であるべきでしょう。むしろ純粋さというのは宗教者は目的の一つでもあるでしょう。 組織に「撲滅を祈れ!」と言われたからといって、はいそうですか、祈ります。というのは明らかに思考停止ですね。

 まかり間違うと人を呪うと言う事になりかねません。転載許可を頂けませんでしたが、創価学会の会合で「日顕が死ぬように祈れ!」という指導があったそうです。これはもう宗教ではありませんね。

 このみみちゃんさんとある方の発言を読んで、限りなく呪いに近い祈りをして自分と(何となく嫌だけど)竹入氏、日顕氏それぞれ個人に罪悪感を感じます。嫌な人たちである事には代わりありませんが。

 運良くたまたま、みみちゃんさんはお母さんに打ち明けましたし、叱ってもくれました。ですが137番記事のこともあるし、やはり子供のうちから創価学会の信仰をさせるのは大問題がある。と言う事が一つ。そもそも、仏法には九識心王真如の都(くしきしんのうしんにょのみやこ)といって赤ん坊の時の記憶でも思い出せなくても生命に刻み込まれ、記憶はされている。という概念があります。人の生命を赤ん坊でも大事に大事に大事にすべき(あるいは尊敬すべき)というふうに使われたりします。
 人を攻撃するように命令する会合に婦人部は平気で小さな子供を連れてくるわけですから、創価は承知でたたき込んでいる事になります。

やはり、子供には創価学会に関わらせてはマトモに育たない。ということが私のもう一つの結論ですね。

 そして最大の疑問が一つ、一体全体、池田氏はどのように祈っているんでしょうね?

 自分の喧嘩を人にさせて、自分だけ純粋?日蓮大聖人の生まれ変わりですから(笑)そんな事微塵も祈っていないかも。素晴らしいですね。(いやみ)それともやはり、「日顕、山友、竹入、矢野、新潮社、撲滅」なのでしょうか?本人に聞いてみないと分かりませんね。

 はったり特急にせよ私にせよ、宗教で救われるならともかく、悩み苦しむ結果になっています。池田氏は一体どういう責任をとってくれるのでしょうか?やっぱり、「悪を倒してこそ、功徳がある」という指導でしょうかね?

こうして私のMCが解ける過程を考えても創価は非常に問題です。2chや一般人と同じ、「罵倒や罵詈雑言をする宗教はおかしい」と言う結論ですね。

以上
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする