甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

2月のマンスリー 情景は、母の背中と枯れ尾花 

2017-02-27 10:30:13 | Weblog
  船村徹さんの言葉
 16日、船村徹さんが84歳で亡くなられた。船村さんは、作曲の傍ら度々、刑務所へ慰問に足を運ばれていたという。いつも講演の最後には、受刑者に向かって「皆さん、務めが終わって、ここを出たら故郷に帰ってください。お袋のところに会いに行ってください。お袋は、皆さんが帰ってくることをずっと待っていますよ」と言って、刑務所の職員が遮るのを止めて、壇上を降り受刑者の中に入って行ったという。以前、そんな話を行徳哲男先生の講演会で聴いた。TVでも船村さんが刑務所で慰問している映像を見たことがある。
 歌の遍歴は、「どんぐりころころ」の童謡にはじまり、「高校三年生」「王将」「柔」「アンコ椿は恋の花」「ブルーシャトー」「花の首飾り」(グループサウンズ)「レット・イット・ビー」を始めとする洋楽、ロック、「結婚しようよ」吉田拓郎、「神田川」かぐや姫等のフォーク、松山千春、中島みゆきのニューミュージック等々そしてジャズまでも・・・
 演歌からは、離れていっていたのだが、大学時代の親友の吉元が口ずさんでいた「東京だよ、お母っさん」やはり日本人なのだろうか?「北国の春」「兄弟船」「風雪流れ旅」等々といった演歌をいつの間にか口ずさむようになった。美空ひばりが、涙を流しながら唄う「みだれ髪」は衝撃的だった。
「別れの一本杉」がヒットし、少しずつ作曲家としての才能を発揮し始めた。ただ、その後の活躍を後押ししたのは若くして欧州を訪れたことだった。レコード会社の招待で長期滞在中「向こうの連中と仕事をすればするほど、俺は日本人だという意識が出てきた。ベートーベンなんてたいしたことはない。それから大衆音楽、日本の音楽を作ろうと思った」  18日、中国新聞から抜粋
 ロンドンに滞在中、あるオーデション番組に立ち会う。その中にデビュー前のビートルズがいた。オーデションに参加した面々の中でどの組が良いか?と尋ねられた船村さんは「あの汚い4人組が一番面白いのでは」と答えたという。   「矢切の渡し」は、ちあきなおみに提供した楽曲だったが、細川たかしが歌って大ヒット。船村は細川盤のほうがヒットしたことに対して「大複雑」と発言。「ちあきの歌は(楽曲のイメージ)手漕ぎの櫓で、細川の歌はモーター付きの船だ」、ちあきの歌は「鑑賞用」なのに対して、細川の歌はカラオケのような歌い方になっていると発言している。  「船村徹」ウイキペディアから抜粋
「歌ははじめに言葉ありきで、日本語の素晴らしさを伝えるためにメロディーがある」(訃報を伝えるニュースから)「曲を作る時にいつも思い出すのは故郷に住む母の姿なんです。枯れ尾花の中に手拭いを被って背中を丸めて籠を背負う母の姿が、いつも脳裏をかすめるんです。だから、その情景をベースにして歌のイメージを作ってきました」 2016致知4月号から抜粋 
 今、耳を澄ませば、船村さんの歌が聞こえてくる・・・  2017年2月25日 笹原 真二
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする