昨日、今日と尾道で、瓦の勉強会、NPO法人日本瓦葺技能継承甍会の総会が開かれました、尾道という町は、浄土寺、西国寺等、地方において国宝や国の重要文化財が多く、なぜ、地方の狭い坂の街に多くの古いお寺があるのか不思議に思っていましたが、古来より瀬戸内の港町で大名に支配されず、戦国時代の大阪の堺のような街であったそうです。鎌倉時代から多くの大店、今でいう商社があって、それらの大店からの寄進によって競うように立派なお寺が建立されたのでしょうと、尾道市の文化財保護課の西井さんが教えてくださいました。
お寺仕事に入りかけた30年前、尾道のお寺巡りを一人で回ったことが懐かしく思い出されました。改めて奈良の古寺を思わされるようなお寺、いぶし瓦が還元しきれずに赤茶けた瓦になっている、屋根は、今から50年くらい前、斑鳩の最後の宮大工と呼ばれた西岡常一棟領と瓦の昭和の大名人井上新太郎さんが組んで修復した屋根は、いまだ崩れる気配もなく、個性あるいびつないにしえの瓦が荒々しく整然と葺かれ、また繊細に葺かれています。良いものを見るということはやはり刺激になりますね。
またこの会がいいのは、面白い人たちに会えることでしょうか?年は私よりずいぶん若いけど、静岡に永田君というものすごく上手な職人さんがいます。人当たりのいい頑固者なんですが、彼の話を聞いて、いつも勉強させてもらっています。私がこの会へ参加させてもらうようになったきっかけは、永田君の親方である、この甍会の理事長、塚本さんがやった仕事の写真を見たのがきっかけでした。やはりものすごく上手かったですね。彼の仕事の写真が手本、参考になりました。そんなところで仕事をしているから、永田君は当然、上手くなりるわけですが、彼のの場合はそれだけじゃないですね。持って生まれたあの頑固な性格が、幸いしたのではないかと思います。今回も永田君が葺いたシンプルな山門の写真は最高でしたね。たぶん、200年後には、静岡の文化財になるでしょう。私も今、200年後には井原の文化財になると思われる仕事に取り組んでいます。
お寺仕事に入りかけた30年前、尾道のお寺巡りを一人で回ったことが懐かしく思い出されました。改めて奈良の古寺を思わされるようなお寺、いぶし瓦が還元しきれずに赤茶けた瓦になっている、屋根は、今から50年くらい前、斑鳩の最後の宮大工と呼ばれた西岡常一棟領と瓦の昭和の大名人井上新太郎さんが組んで修復した屋根は、いまだ崩れる気配もなく、個性あるいびつないにしえの瓦が荒々しく整然と葺かれ、また繊細に葺かれています。良いものを見るということはやはり刺激になりますね。
またこの会がいいのは、面白い人たちに会えることでしょうか?年は私よりずいぶん若いけど、静岡に永田君というものすごく上手な職人さんがいます。人当たりのいい頑固者なんですが、彼の話を聞いて、いつも勉強させてもらっています。私がこの会へ参加させてもらうようになったきっかけは、永田君の親方である、この甍会の理事長、塚本さんがやった仕事の写真を見たのがきっかけでした。やはりものすごく上手かったですね。彼の仕事の写真が手本、参考になりました。そんなところで仕事をしているから、永田君は当然、上手くなりるわけですが、彼のの場合はそれだけじゃないですね。持って生まれたあの頑固な性格が、幸いしたのではないかと思います。今回も永田君が葺いたシンプルな山門の写真は最高でしたね。たぶん、200年後には、静岡の文化財になるでしょう。私も今、200年後には井原の文化財になると思われる仕事に取り組んでいます。