2日目は、バスで再度空港に行く前に、ホテルの4階自室の裏側と玄関前で写真を撮った。
入り口には守衛が2人いて、写真を撮らせてくれた。前庭の花壇にはマリーゴールド、タチアオイなどが咲いていた。
ホテル前の道路は広い幹線道路らしく、乗用車やバスやトラックの他にバイク、リキシャ、オート三輪などが客を乗せて走っていて、カメラを向けると手を上げてくれた。何回も見たいつもどおりのインドの光景だった。
2日目、「ニューデリー」の空港に戻って国内線のカウンターに行き、540km南西に位置し、ラジャスタン州の南端にある「ウダイプール」まで13時20分発のチケットを買った。搭乗時間は1時間15分。機内では、パックに入ったサンドイッチとオレンジジュースが出た。
「ウダイプール」到着後、新しく来た20人乗りの中型バスに乗り込んだ。インドのバスは、運転席と客席の間が仕切られていて、若い助手が1人乗っていた。私達の人数では十分な大きさだった。高速道路の中央分離帯には赤い「ブーゲンビレア」の並木が続いていた。たまに放し飼いの牛がいて、クラクションを鳴らされていた。
資料によると、この町は16世紀にムガル帝国の攻撃を受けて「チットーガール」からここへ郡を移したメーワールの王「ウダイ・スイン」が開いた山間の町で、彼は山間の多くの川を堰き止めて人造湖を作り、乾いた大地に灌漑をもたらした王だった。また彼はインド共和国成立まで独立を守り通した。
バスで「ウダイプール」の旧市街を通り、郊外にある「シティパレス」まで走った。バスから見た午後の旧市街は、以前に行った時とそれ程変らない市民の生活が見えた。
インドでは古来よりある厳格な身分制度「カースト」は法律上は廃止されたが、社会生活的にはまだまだ色濃くその影響が続いているという。そのためか貧富の差がとても激しい。
かっては日本の人口と同じ「1億人のホームレス」がいたというが、近年、最貧層には政府から助成金が出るようになったらしく、今回は前ほど多く見かけなかった。しかし、人が大勢行き交う路上の隅や郊外の水辺にそれらしい人達を見かけ、胸が痛んだ。今でも1日1ドル以下で暮らす人が1/3いるそうだ。
テント下で暮らす男性
この写真は、4日目「ジョードプル」に向う途中でバスから写したものだ。草原で敷物と囲いのビニールがあるだけで屋根はないところで大勢の家族が暮らしているらしかった。農村では多くの「季節労働者」を雇うというが、彼らもそうした家族なのだろうか。
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