前後するが、3日目の午後は、「ラクナプール」の壮大な「ジャイナ教寺院」を見学した。
私にとってこの宗教の寺院を見るのは初めてだった。寺院には靴を脱いで入る。中は写真撮影は禁止されていた。壁面にびっしりと宗教の教義をあらわす彫刻が掘られ、芸術的に見ても価値のある者だった。
次は「ウィキペディア」から、「ジャイナ教」をコピーしたものだ。
【ジャイナ教(ジャイナきょう、サンスクリット語: जैन、英: Jainism)は、マハーヴィーラ(ヴァルダマーナ、前6世紀-前5世紀)を祖師と仰ぎ、特にアヒンサー(不害)の禁戒を厳守するなど徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教。「ジナ教」とも呼ばれる。仏教と異なりインド以外の地にはほとんど伝わらなかったが、その国内に深く根を下ろして、およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続け、今日もなおわずかだが無視できない信徒数を保っている。】
この宗教は、一切の殺生を禁じ、菜食主義を守る。小さな虫も殺さないし、卵も食べない。西洋の緩い菜食主義とは異なる。
5日目の午前中は、「ジャスサント・タダ」という霊廟を見学した。こちらは湖の傍の小高い丘に建っていて、規模は小さいが、マハラジャの「ジャスワント・スイン」を偲ぶために大理石で1899年に建造された。
どこで見ても、掃除をしたり水を汲んでいるのは女性だった。
しかも夏には50℃を越える気温になるというのに、女性だけは常に頭にスカーフを被っていなければならないし、民族服の巻き衣「サリー」は、体に巻くだけなので着崩れし易いだろうし、どう考えても日常着、労働着には相応しくないように私には思えた。しかも上流階級の女性は、汗を吸ってくれる涼しいコットンシルクの生地のサリーを着ていたが、貧しい階層の女性達は、汗を吸わないが価格が安いポリエステルなどの化学繊維を身に纏っていた。男性は下着やコットンの半ズボン、シャツ、また足はサンダル履きや裸足姿で活動的であり、涼しそうだった。
昨夜読んだ明石書店出版「現代インドを知るための60章」には、インドの伝統的な家族は「ヒンズー合同家族」だと書いてあった。息子達は親が決めた女性と結婚しても、財産を分ける事無く、親や兄弟姉妹、場合によっては親戚一族などと同居し、経済的にも合同の生活を続ける。
娘は相手家族に「持参金」を支払って結婚すれば、親の家を出て夫の親達と合同の家族の一員になるというものだ。だから家族人数は多く、いわゆる「嫁」は、夫とその親に服従し、夫の兄弟姉妹にも従わねばならないそうだ。その上、夫以外の男性がいる部屋や場所では、常にスカーフを被り、髪を隠さねばならない。
しかし近年、慣習的にカースト制はあっても中等学校を出たり、中にはカレッジやユニバースティなどに進む男女もいて、そうした高等教育を受けて経済力を持った若者の中には、恋愛をして親家族とは別に独立した家庭を持つ人達も増えて来ているそうだ。かっては無かったIT産業や医療関係などの職業につけば、「カースト制」があってもそれに縛られずに生きることができるので、IT教育、医学教育を受ける希望者が多いが、それには大変な高倍率を突破することが必要で、実際に進学できる人は限られている。今ではインドは、世界的にも有数の受験競争社会なのだ。
(この本は国別にシリーズで出版されていて、既に70冊を越えていると思う。どれも大学で専門に研究している教授たちが執筆しているので、内容は信頼できる。私は旅行先が決まったら図書館から借りて来て、事前に読むようにしている。)
「ジョードプル」見学後は、この州内では最西端の砂漠の町「ジャイサルメール」まで西方約287kmの距離を5時間半かけて走り、ホテルに着いた。
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