花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

《10》旧日本軍が朝鮮で起こした「提岩里事件」を知っていますか

2007年02月28日 | 海外旅行「韓国」
 今朝の朝日新聞の一面に「3.1運動の鎮圧 詳述 宇都宮大将15年分の日記」のタイトルで、
 「日本統治下の朝鮮で1919年に起こった3.1独立運動の際に朝鮮軍司令官だった宇都宮太郎大将の15年分の日記など、大量の資料が見つかった。独立運動への鎮圧の実態や、民族独立運動家らに対する懐柔などが詳細に記されている」という記事が私の目に飛び込んで来ました。

 その日記には「1919年4月15日起こった「提岩里事件」は、ソウル南方で日本兵が約30人を協会に閉じこめ、虐殺、放火。宇都宮らの知らない間に発生した事件だったが、朝鮮軍は発表で虐殺や放火を否認する。日記では「事実を事実として処分すれば尤も単簡なれども」「虐殺、放火を自認する事と為り、帝国の立場は甚だしく不利益」となるため、幹部との協議で「抵抗したるを以て殺戮したるものとして、虐殺、放火は認めざる事に決し、夜十二時散会す」(4月18日)」と記されていると報じていました。 
  
 私が韓国を訪れたのは、確か9年前の夏でした。
 その旅を今まで外国旅行体験記になかなか書けなかったのは、他の国とは違い、私にはとても重く感じられた旅行だったからです。でも今朝の新聞を読み、やっぱり書かなければと思いました。

 そのツアーは「韓国の歴史と文化を訪ねる旅」で、6日間、韓国の世界遺産だけでなく、朝鮮統治時代の日本政府や日本軍が犯した加害の歴史跡を訪ねた旅でした。

 訪れた場所の一つが、朝刊に出ていた「提岩里事件」が起きた協会でした。
 そのキリスト協会は、のどかな田園地帯にあり、建て替えられたばかりだという小さな協会でした。
 朝鮮人の遺骨収集のために北海道にも何度か来たことのある協会の羹牧師は、静かな声で私達に説明を始めました。

 「1919年のその日、日本軍から、以前起こした行為を謝りたいので、村の男性は全員、協会に集まるように、という連絡がありました。それを信じて村の男性のほとんどの人達が集まったら、間もなく、外から鍵を掛けられて放火されました。窓から逃げようとした人達は協会を取り囲んでいた日本の兵隊に射殺されたので、ほとんどの人が逃げることができずに焼死し、助かった人は僅か一人だけでした」と。

 礼拝堂の階下に事件の展示室が作られていて、数十年前のその事件を絵や当時の新聞記事などを使って、わかりやすく展示していました。中に、当時、ドイツの新聞がその事件を報じたコピーもありましたが、その時は未だ、日本は事件を認めていないという説明でした。
 
 私は、事件の起きた場所に立ち、その時の様子を想像したら、直接、私自身がした事ではないのですが酷く胸が詰まり、「加害者である日本人の一人として、本当に申し訳ありませんでした」と、羹牧師に心から謝罪しました。
 すると彼は、「日本軍だけが悪いのではないのです。当時、日本軍の植民地支配を跳ね返す力がなかった我が国も悪かったのです。」と言ったのです。思いがけないその言葉に、私は少しだけ救われた感じがしました。

 翌日、日本の歴史教科書問題を契機に韓国が作つた「独立記念館」に行きました。
 そこでは、日本に支配されていた当時の数々の史実が、子どもでもわかるように、実物大の人形や模型を使って幾つもの部屋に展示されていました。
 それを見ながら小学1~2年生位の男の子どもと母親が、私達の傍で何か話しをしていました。
 どんな事を話しているのかと同行者の一人がガイドさんに訪ねると、「『日本人って悪い人だね』と言った子どもに対して、母親が、『昔の日本人は悪かったけれど、今の日本人は良い人達だから、決して嫌いになったら駄目だよ』って、言ったのです」と、彼女は涙を浮かべながら答えてくれたのです。その説明を聞いて私の胸も熱くなりました。

 夕方、3.1独立運動の発祥地として知られ、当時の様子を表した大きなレリーフの銅板が、物語風に幾つも並べられているソウルのタプコル公園に行きました。
 丁度、大勢の高齢者が集まり、碁をしたりして夕涼みをしていましたが、私達を見てほろ酔い気味の一人の老人が近づいて来ました。「お前達は日本人だろう。ここに何しに来たのだ」と大声で言いました。私達は集まって来た人達に取り囲まれてしまいましたが、ガイドさんが「日本人ですが、このレリーフを見に来ました」と説明し、何とか収めてくれました。

 私達にとって韓国の旅は、日本人であることが恥ずかしくなる様な辛い旅でした。
 でも、日本との歴史的な関係の事実を知らなければ、韓国の人達、ひいては世界中の人達と、本当の相互理解や国際交流はできないのだと、考えさせられた旅でもありました。

 去年、私は図書館から、フイリピン、韓国で中学生が学習している歴史の教科書を借りてきて読んでみました。そこには私のような普通の日本人なら、まだまだ知らない歴史が、沢山書いてありました。私達は知らなくても、その国の人達は、学校で教えられて知っているのです。

 1909年、ハルビン駅で伊藤博文を銃殺した殺人犯の安重根(アンジュグン)は、韓国では英雄です。何故なのか。(安重根記念館にも行きました) 
 また、日本にいる外国人の中で一番多いのは韓国朝鮮人です。何故なのか。
 世界の中でも旧日本軍にだけ設けられたという従軍慰安婦にさせられた女性のほとんどが韓国人だったのですが、どうしてか。
 私達は、そうした歴史的事実や答えを知っている必要があると思うのです。
 そのためにも、この度発見されたこの日記が、新しい歴史の真実を解明するのに役立って欲しいと心から思います。
 

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1 コメント

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Unknown (ハナさん)
2010-06-07 01:48:19
貴重な歴史的な事実を記録して下さり、有難うございます。
人は自らの過ちを正当化し、逃避したがるのだと思います。また、日本人は時が経てば、自らの罪も許されると思う所があると思います。ですが、被害者の立場からは、時がどれだけ過ぎ去ろうとも忘れられない事実であり、真の許しも加害者の真実の謝罪が必要だと考えていると思います。
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