花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

南イタリアの旅(8)

2010年05月28日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅡ」北イタリア・南イタリア
《ポンペイの遺跡見学》
カプリ島からナポリへ戻り、直ぐにそのままポンペイの町へ向った。
遺跡の傍のレストランで昼食を摂ってから、世界遺産「ポンペイ遺跡」を観光した。
私がポンペイを訪れたのは2回目だったが、今回は新たに発掘された場所を見る事ができた。

ポンペイは、紀元前8世紀頃から、ベスビオ山の噴火でできた丘に町ができ、海まで近かったこともあってギリシャ人の植民地として商業、交易で栄えたという。
それがベスビオ火山の噴火による降灰で、紀元79年8月24日、突如、地上から姿を消したのだった。
町は当時、人口15,000人、城壁を持ち、企画整備された都市の中に上水道、公衆浴場、神殿、公共広場、商店、住宅などがぎっしりと立ち並んでいた事が発掘により判明した。
①は整然と並ぶ住宅、②は神殿前広場、③は広場入り口の門

 ① ②

 ③

車の轍が残る石畳の道路の一部には、隙間を開けて石を並べた横断歩道も造られていたし、水道もあった。奥にはベスビオ山が見える。④
富裕な階層の人の家には噴水や池がある中庭があり、壁は素晴らしい壁画で飾られていた。
1時間ほど見回ったが、パン屋のカマド⑤は現在のものと違いがなかったし、オリーブ油などをカメに入れて売っていた店⑥もあった。
浴場は娯楽の場として、天窓から明かりを取る構造になっていて、壁の中には温水が張り巡らされ、暖房もされた贅沢な作りになっていた。⑦はその一部。ここに飲み水が出ていて、乾いた喉を潤せたらしい。

 ④ ⑤ 

 ⑥ ⑦

資料館には、発掘品が陳列されていたが、一瞬にして命を奪われた人や犬が火山灰で焼けてしまって空洞になった所に、石膏を流し込んで再現した像が幾つか無造作に置かれていた。⑧

 ⑧  

こうして現代とそっくりな古代の町を見学していると、ひょいと当時の人たちが沢山出て来そうな錯覚に襲われた。
友人は、「現代と違うのは、電気、ガス、通信網が無かったくらいなので、本当に驚いた。」と話していた。

帰りにバスから町を見た。何とベスビオ山の中腹まで家が建っていた。国の安全性を確保する建築基準がどうなっているのか、とても気になった。
バスはポンペイからローマまでの250kmを3時間半走り、ローマ郊外のホテルに着いた時は19時半を回っていた。
コメント (4)
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