花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

南イタリアの旅(3)

2010年05月19日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅡ」北イタリア・南イタリア
《1泊クルーズ後、パレルモへ》
アマルフィー観光後、75km北のナポリまで2時間半かけて戻り、バスも私達も大型フェリー「サルデグナ号」に乗船した。①
20時の日没と同時に船はシチリア島のパレルモを目指し、1泊のクルーズに出航した。
私たちには9階のシャワールーム付き外側船室②が与えられたが、部屋を取らずにTV視聴ルームの椅子で休む乗客も沢山いた。7階には売店、レストラン、カジノ、BAR、8階にはキッズルームもあった。
甲板に出ると、ナポリの夜景とその背後に雲を抱いた標高1220mのベスビオ山が見えた。この山は1900年前にポンペイの町を灰で埋めてしまった活火山なので、今でも標高が度々変化するそうである。③

 ① ② 

 ③

翌朝は4時に起きて身支度をし、レストランで朝食を食べた。それから6時には甲板に出て、ティレニア海に昇る朝日を待った。水平線に徐々に昇って来た朝日は、格別に美しかった。④
やがてパレルモ港が見え、⑤ 船は6時半に入港した。

 ④ ⑤

下船後、通勤通学のラッシュで賑う朝のパレルモ市内でカテドラル⑥と、メインストリートの四つ角の壁が美しい彫刻で飾られた「クアトロ・カンティ」⑦(四つ辻の意)を観光した。この十字路は、17世紀にバロック様式の都市計画に沿ってスペイン総督が建造したものだという。
歴史を見ると、パレルモは紀元前8世紀にフェニキア人が天然の良港を生かして町を作ったことに始まる。
その後、紀元前254年、第一次ポエニ大戦でローマが勝ったことから、その後の700年間、古代ローマ時代が続いた。
535年からの300年間、ビザンチン帝国の支配下に入ったが、831年、サラセン人が侵入し、948年にはイスラム人の支配下に入った。
1072年にはノルマン人に制覇され、その後、北ヨーロッパの文化が花開いた。フリードリッヒ2世はイスラム文化との融和策をとり、芸術文化を発展させたという。
今から150年前の1860年、独立統一戦争によってイタリアに統一された。
現在のパレルモは、シチリア州最大、人口68万人の商工業の中心地となっているが、歴史的に幾つもの異文化の支配を受けたため独立心が強い人達が多いと言われている。

 ⑥ ⑦

その後バスで、町から8km離れたモンレアーレ町の丘に建つドゥオモ⑧を見学。
ここは1174年に修道院として建築されたもので、内部は全て金色を基調とした精巧なモザイク画で飾られていた。祭壇正面にあった両手を広げたキリスト像のモザイク画には圧倒された。
ここのモザイク画はヨーロッパ三大モザイク画の一つと讃えられているそうで、アダムとイブの楽園追放やキリストの誕生、聖書の教えなどが全て分りやすいモザイク画となっていて⑨、 訪れる人が後を絶たず、数十人の子ども達の一団が絵の説明を受けていた。
入り口の回廊に少し変わった雰囲気の大きなマリア像が置かれていた。⑩

 ⑧ ⑨

 ⑩ ⑪

バスの駐車場の傍に生のオレンジをジュースに絞って売る店があった。中にシチリア特産の果肉が真っ赤で甘味が強いオレンジもあった。⑪ 飛行機で出されたオレンジジュースが、トマトジュースの様に真っ赤な色をしていた訳が初めて分った。
また、パレルモ市街の魚屋では、マグロなどの鮮魚が氷の上に並んでいた。
 
 




コメント (4)
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