花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

南イタリアの旅(4)

2010年05月20日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅡ」北イタリア・南イタリア
《アグリジェントのギリシャ神殿》
パレルモでドゥオーモを見学した後、140km離れたアグリジェントへ3時間かかって行った。
この町は、紀元前6世紀頃に入植したギリシャ人が開いた町で、紀元前5世紀には30万人という大きな町だったそうである。
地中海を臨む小高い丘の稜線に沿って9つの神殿と多くの神殿跡、廃墟、墓がある「神殿の谷」を、約1時間散策した。

丘の稜線に沿って遺跡が並んでいる。① 写真の奥は、現在の市街地である。後方の神殿は「コンコルディア神殿」、左の木は花が終わったアーモンドである。
私たちは先ず、標高120mの丘の頂点に行き、そこに立つ「ジュノーネ・ヘラ神殿」②から見て歩いた。
中世の地震で全壊したと言うが、かって25本あった柱の一部と上の横材の一部が残っていた。内部には、羊や人間の子どもを生贄として神に捧げた台もある。

 ① ②

遺跡の近くで花芽を付けたサボテンを見つけた。③
シチリアで最も保存状態が良いと言われている「コンコルディア神殿」④が、眩しく輝いていた。
「コンコルディア」とは、「平和・和解・調和」を象徴する女神だという。
34本の列柱に囲まれ三角形の破風壁が残る神殿の一部には、鮮やかな朱色が残っていて、紀元前450年頃に建てられたとは思えないような美しさだった。

 ③ ④

「エルコーレ神殿」⑤はここで最も古い紀元前520年の建物。地震で倒壊したが英国人考古学者によって復元され、現在は8本の円柱が残されていた。
途中の緩斜面には、墓場「ネクロポリ」が保存されていた。⑥ これはキリスト教徒の墓だそうだ。 

最後に当時は高さ7.5mもの巨人像の柱で支えられていたという神殿跡も見学した。
ギリシャ人達は、なぜこれほどの数の神殿を過酷な労苦の末に次々と建てたのだろうか。人間の命に限界があり、現世は苦しみに満ちている故に絶対の神を強く求め、来世に夢を託したのだろうか。
また、これらの神殿が建てられた時代は、日本では縄文時代だった事を思うと、地中海周辺で暮らしていた古代の人々の文化水準と建築技術の高さに驚かされたし、何千年も残る石の文化のすばらしさをも思ったのだった。

 ⑤ ⑥
コメント (4)
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