感染管理の今年度2回目の院内勉強会は、インフルエンザの話をすることにした。インフルエンザだと、重要なことはスライド1枚で終わってしまう。知っても役に立たない話を盛り込んで30分持たせることにした。
「インフルエンザウイルスを発見した日本人」山内一也著(岩波書店)を購入した。(著者もやまのうちだが、下記の山内保さんとは無関係)
山内保(やまのうちたもつ)が坂上弘蔵・岩島寸三との共著で1919年6月7日のランセット誌に「インフルエンザの病原体:実験的研究」を発表したのが、インフルエンザウイルスの発見になる。
1918~1919年のスペイン風邪の病原体をめぐって、山内らの他にも4つのグループが濾過性ウイルスの発見を報告している。
病原体を含む検体(喀痰、鼻汁、血液)を細菌濾過器を通過させて、細菌を除去したサンプル(ウイルスが含まれる)を動物や人に接種して、インフルエンザを発症させている。このうち方法や実験の人数などの点で、山内らの報告が際立っていた。
山内らは、43名のインフルエンザ患者の喀痰を集めて、看護師や友人など24名の志願者に接種させた。このうち6名はインフルエンザにかかって回復した人、18名はまだかかっていない人だった。
このうち、12名には細菌濾過器で細菌を除去したサンプルを、残りの12名には濾過しないサンプルを咽頭内に接種した。その結果、インフルエンザにかかったことのない18名がインフルエンザ症状を出したが、最近かかったひとはまったく発症しなかった。
また細菌濾過器で濾過した血液を6名に、同様に濾過した喀痰を4名に皮下接種した結果、最近感染した1名を除いてすべて発症した。
結論は、インフルエンザの病原体は、細菌濾過器で除去されない濾過性ウイルスである。すでにインフルエンザに罹った人は免疫ができている(感染しない)。
まさに人体実験なのだった。
山内保は、東京大学医学部(当時は東京帝国大学医科大学)を卒業後にパスツール研究所で研究をしていた。日本に戻ってきて、(下記の坂上の所属する)星製薬細菌部で研究したらしい。
共著者の坂上弘蔵は、星製薬細菌部主任でワクチン製造のリーダーをしていた。星製薬は、ショートショート作家の星新一の父親である星一(ほしはじめ) が操業した会社だ。坂上は英国留学のアルムロス・ライト(ペニシリンを発見したアレキサンダー・フレミングはライトの弟子)のもとに留学した。山内とは英国留学中に知り合ったらしいという。
同じく共著者の岩島寸三は、山内と医学部の同期で、後に東京駅近くに岩島外科病院を開いた。総理大臣原敬が東京駅で暗殺された時に真っ先に駆けつけた医者だそうだ。
微生物の実験に詳しい山内、実験の場所・器具を提供してくれる坂上、検体や被検者を集められる臨床医の岩島、というベストな3人の組み合わせだった。