横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

湯島天神から聖堂へ

2008-04-26 07:01:05 | 近所

旧岩崎庭園のあたりから春日通りを渡り夫婦坂を上がると湯島天満宮だ。
写真は境内を抜けて表鳥居(銅鳥居)と本殿を見たところだ。


夫婦坂から入ったすぐ右手には摂社・戸隠神社と末社・笹塚稲荷神社が祀られている。
ここは458年に創建され天手力雄命(戸隠神社祭神)を祀っていたが、
1355年に菅原道真を合祀し江戸時代には家康らの崇敬も厚く湯島天神として栄えた。


学問の神様なので、受験期をピークに合格祈願の絵馬が境内のあちこちに掛けられている。
「ここの絵馬は4月ごろに外すので、別の場所に掛けてください」というようなお知らせがある。


丁寧に外し金属や紐を除いて絵馬だけを箱に詰め信州へ送って「お炊き上げ」するという。
長野市に信濃分社がある。


湯島天神を出て御茶ノ水方面へ進むと、左手に実盛坂という急な階段があった。
湯島のあたりは坂道が多く、文京区の坂 というサイトで付近の地図を見ると
神田、御茶ノ水から湯島天神方面に向けて高くなっていることが分かる。


清水坂を下っていくと左手に神田明神がある。
大己貴命(だいこく様) 少彦名命(えびす様) 平将門神(まさかど様) の3柱を祭神とし、
5月に行われる神田祭は大神輿渡御が勇壮で日本3大祭や江戸3大祭に数えられる。


お茶の水のすぐ近くにあるのが湯島聖堂。
林羅山が上野に立てた孔子廟「先聖殿」を綱吉がこの地に移築して「大成殿」と改称した。
その後1797年に幕府直轄の昌平坂学問所(昌平校)が開設された。


孔子の像の近くに珍しい木が植えられている。


孔子の里、曲阜にある孔子の墓所に植えられているという楷の木だ。


カイノキ(ウルシ科)
楷の木は日本にはなかったが、大正時代に林業試験場の白沢場長が孔子の墓所で種を採取した。
日本に持ち帰って播種、育苗の後、湯島聖堂など4ヶ所に寄贈したのが始まりだという。


楷の木は中国で模範の木とされ、楷書の語源でもあるようだ。
このような枝振りとか、茂ったときの葉が整然としている様子からなのかと思う。


聖堂から出ようとしたとき気になる3人連れとすれ違った。
どうしてこの場所にと思ったが、外見で判断してはいけないのだろう。