岩政次郎右衛門が築いた水路の取水口がある黒杭川上流ダムは初めて行きました。その取水口から上流を見ると、黒杭川上流ダムの巨大な堰堤に圧倒されました。取水口を見終わると、元来た同じ道を戻りました。元々は公園だったようですが、手入れされていないので見るべきものありません。もくもくと黒杭川ダムに戻りました。黒杭川ダムに戻ると、ダムを渡って黒杭川の左岸に行きました。途中ダムから下を見ると、貯水量がとても少ないのに気づきました。底にわずかに溜まった水が見えるだけでした。これで夏をしのげるか心配になりました。
黒杭川ダム、底にわずかに溜まった水を見下ろす
黒杭川ダムを渡ると、舗装道路をひたすら柳井方面に向かって歩きました。途中、民家とお地蔵様がありました。この道はダムができる前は馬皿と小行司を結ぶ街道だったのではないでしょうか。歩いていると、伊陸方面、日積方面、そして柳井方面に行く三差路に着きました。今回は日積への道を選びました。そして、しばらく歩いて菓子乃季に着きました。
水が無い黒杭川ダム 黒杭傍のお地蔵様 休憩した菓子乃季
菓子乃季に着いた頃は猛暑で少しばかりへとへとでした。そのため、菓子乃季内で休憩しました。私はショートケーキを食べて自販機のコーヒーを飲みました。店内に貼ってあった宣伝文を読むと、近々ケーキバイキングが開催されるようです。そう言えば、ウォーキング仲間と一緒にケーキバイキングを行く計画を立てていたことがありましたが、その話はコロナのためか自然消滅しました。
満開のアジサイ園を見学 メダカ養殖場を見学
菓子乃季を出ると、山裾にあるアジサイ園に行きました。そして、たくさん咲いているアジサイの花を観賞しました。いろんな品種のアジサイがありました。長い時間をかけて集めたのでしょう。
続いて、メダカの養殖場を見学しました。何十もの水槽にいろいろな品種のメダカが養殖されていました。メダカを見終わると、石井ダムパークに向かって歩きました。堰堤中央の長い階段を登って駐車場に戻りました。下見ウオーキングに参加された方々、お疲れさまでした。
柳井市上馬皿周辺史跡巡りウォーキング下見コース
放課後学習の成器塾で、子供達に作ってもらう予定のペットボトル布ケースをもう一つ作ってみました。最初に作ったのは機関車トーマス柄でしたが、今回はミニーマウス柄にしてみました。作り方は同じですが、相変わらず底を丸く縫うのに四苦八苦しました。裁縫が得意な方でしたら難なく縫えるでしょうが。ところで、今後の成器塾はコマ数が少なくペットボトル布ケースを作る時間を取れそうもありません。そのため、このペットボトル布ケースはあえなく孫行きとなってしまいました。
あえなく孫行きとなってしまったペットボトル布ケースのサンプル
ペットボトルの底にあたる部分を縫い方ですが、どの方法が正解なのでしょうか。私は、外周にあたる布に丸い底を重ねながら縫いました。底布の周辺をあらかじめしわを付けておきます。そして、そのしわをアイロンで固めます。そして、ミシンで縫いながら、外周布と底布を当てながら同時にぐるぐる回しながら縫いました。誰かに習えば良いのですが、自分で考えた方が出来が悪くても達成感があります。
底にチャコペンで印 まち針を取り付け 回しながらミシン縫い
底さえ縫えば、あとは楽勝です。紐を入れる場所などをミシンで直線縫いすればほぼ完成です。最後に布をひっくり返します。そして、紐を通せば完成です。よく見れば雑な作りですが、孫達は喜んでくれると思います。将来孫が増えれば、同じものを作ってプレゼントしようと思っています。
紐を入れる箇所を縫う 最後に紐を通して完成
2週間ごとのコットンクラブです。先週までに紡ぎあげた羊毛を、かせくり器や糸巻き器を使って2分割しました。紡いだ羊毛は双糸なのですが撚り過ぎたようです。もう少し、緩く撚ればよかったかなと思いました。
紡いだ双糸毛糸をいったんかせくり器にかけて2分割
さて、分割した一方は薄く藍染めをして、もう片方は濃い藍染めにするつもりです。その後、編機を使って毛糸布にします。そして、編んだ毛糸布を表裏合わせて、間に羊毛を挟んで座布団にする計画です。うまく座布団になるでしょうか。
撚り過ぎた双糸羊毛 二分割した羊毛 すでに編んだ毛糸布
ロックミシンを手で回してみると、布送り機構が怪しいことが分かりました。そのため、布送り機構を分解することにしました。小さな部品を次々に取り出しました。その取り出した部品をいくら注意深く見ても壊れたり摩耗した箇所はありませんでした。そこで、疑問に思いながらももう一度組み立ててみました。すると、やはり布送り機構が動きません。やれやれ、もう一度分解して取り外ししました。何度か部品を睨んでいると、動かない箇所を見つけることでできました。それは、最初一つの部品と思っていたクランク部品でした。クランクの内側部品が焼け付いて固着していたのです。これを見つけるまでに、何度組み立てと分解を繰り返したことか。クランクに固着していた内側の部品を壊れないように注意深く叩いて取り出しました。
最初一つの部品と思っていた、固着した二つの部品
強く固着していたため、最初は一つの部品と勘違いしていました。内側の部品を取り出して、クランクの内周を紙やすりで広げることにしました。細かい紙やすりを使って、内側を広げる研磨加工をしました。おそらく数ミクロンほどの研磨でしょうか。何度か内側の部品とすり合わせしながら加工しました。研磨が終わるころには、クランクに入れた内側の部品がスムーズに回転するようになりました。研磨加工技術の知識があって良かったです。しかしながら、こんな所で研磨加工が生きるとは。
固着した外側と内側の部品 外側部品の内側を研磨加工
故障の原因は、婆様が何年も注油をしなかったことにつきます。車でもそうですが、機械は潤滑油がないと正常に動きませんし、最悪壊れてしまいます。婆様はこのロックミシンの動きが悪くなったため、使わなくなっていたのではないかと思います。それを私が無理して使ったためより壊れてしまったようです。修理で指先が油だらけになってしまいました。油汚れを石鹸で何度も洗い流しました。とにかく直って良かったです。試し縫いすると、布を綺麗に切り縫うことができました。疲れましたが、今は心地よい気持ちです。
元のように組み立てる 縫い幅調整箇所 試し縫いしてみる
美人地蔵尊を見終わると、黒杭川ダム方面に向かって伊陸~柳井のバス路線をどんどん歩きました。ぎりぎり車がすれ違うことができる幅の道です。ところで、気温が暑かったためか話に夢中になってしまったためか、途中で道を間違えてしまいました。黒杭川ダムではなく、その下流に向かって歩いてしまいました。そのため、計画を変更して先に龍岩神社(猿田火彦神社)に向かうことにしました。
龍岩神社(猿田火彦神社)へ向かう緩い坂道を登る
黒杭川の上流に沿って歩きました。しばらく歩くと、龍岩神社(猿田火彦神社)に向かう急な石階段が見えてきました。その石階段を登ってもかまいませんし、回り道して車が通る緩い坂道を登ってもかまいません。最初の石階段を登りきると鳥居が見えてきました。そして車道に合流しました。その場所からは車道を登ってもかまいませんし、緩い石階段を登ってもかまいません。ただし、緩いとは言っても歩幅と高さがばらばらな石階段なので登りにくいです。
龍岩神社の石鳥居 歩きにくい石階段 境内の龍岩に到着
車道を登りきると境内の広場が見えてきました。境内の石階段側には、大きな龍岩が鎮座していました。その龍岩にはしめ縄がかけてありました。龍に見える大きな岩です。龍岩神社(猿田火彦神社)に着いた頃お昼になったため、境内に腰をかけて昼食をとりました。ちなみに、猿田彦神社の別名のとおり拝殿屋根下に猿の彫物がありました。
取水口近くの地蔵様 取水口は黒杭川上流ダム下に
昼食を終えると、近くに見える黒杭川ダムに向かいました。そして、黒杭川ダム公園内を歩きました。しかし、公園は整備されておらず雑草だらけでした。そして、石井ダムパークと同様に荒れ果てていました。これまた維持管理しない場合の典型です。荒れ果てた道をどんどん進むと、黒杭川上流ダムが見えてきました。そして、江戸時代に岩政次郎右衛門が築いた水路の取水口が見えてきました。今は近代的な取水口になっていました。近くにはお地蔵様が安置されてていました。黒杭川上流ダムを見終わると、同じ道を通って黒杭川ダムに戻りました。
柳井市上馬皿周辺史跡巡りウォーキング下見コース
我家には、婆様が使っていたとても古いロックミシン(今はない2糸式のLUKI BL2-205A)があります。このロックミシン、使わなくなってから20年以上経つのではないかと思います。古いとは言えせっかくあるロックミシン、使わない手はありません。
先日、布の端を縫うために試しに使ってみました。しかし、角の曲がり方が悪かったのか動かなくなりました。モーターがウンウンうなるだけで動きません。そこで、修理をすることにしました。治らなければ中古品(¥1,000~¥10,000)または新規(¥30,000~)に購入しようと思っていました。ダメ元で故障の可能性がある場所から順次、分解しながら調査していきました。マニュアルも何も無く5時間位にわたる苦行でしたが、なんとか治すことができました。布送り機構の故障でした。やれやれ、疲れ果てました!
ロックミシン内の布送りクランク機構を分解中
まずは、布埃が溜まりやすい針周辺を調べました。埃が挟まって動きにくくなっているのかも知れませんので。針抑え金や布送り板を外してみました。しかし、埃は少ししかありませんでした。埃を飛ばしても、動きにくさは変わりません。相変わらず、モーターはウンウンうなるだけです。そこで、横板を外したり底板を取り外しました。すると、ロックミシンの精緻な機械構造が現れました。
2糸式ロックミシン 抑え金を外す 布送り機構を調査
モーターでは動かないため、手で回しながら機構を観察してみました。すると、布送り機構がひどく硬いことが分かりました。そこで布送りを解除してみました。すると、モーターは正常に動き出し針も正常に上下しました。これで布送り機構が故障していることが確定しました。次に、布送り機構部品を全て分解してみました。精密な部品ばかりで、しかも指が入りません。分解するさまは、まるで知恵の輪を解いているようでした。各布送り機構部品を、前後左右にこじらせながら取り出しました。
布送り機構部品を丁寧に分解 分解して取り出した布送り機構部品
我家のイチジク、夏果二個を今年初めて収穫しました。一ヶ月位前から少しずつ実が大きくなりはじめ、いつ収穫しようかと思っていました。同じように、食べようとしている獣(タヌキ,カラスなど)がいるため収穫する時期を迷いました。去年は収穫しようとした矢先に獣に食べられてしまうことがありました。たまたま今朝、イチジクをみると実が裂けていました。そのため、すぐに収穫しました。もう一つの実は裂けてはいませんでしたが赤く色づいていたため収穫しました。イチジクは、我家でしか食べることができない美味しい果物のひとつです。
今朝裂けていたイチジクの実、食べるとトロリとした甘さ
イチジクを収穫していると、イチジクの茎を傷つけている虫を発見しました。天敵のカミキリムシです。知らない間に飛来して、イチジクの茎に卵を産んだようです。カミキリムシは茎の中を空洞にしながら食い破ります。穴から食べ殻をボロボロ出すのです。今後、茎の被害を見ながら退治しようと思います。最悪の場合イチジクが枯れてしまいます。イチジクの一番やっかいな害虫です。
裂けたイチジクの実 赤く熟れた実 害虫カミキリムシ
2週間ぶりの放課後学習成器塾でした。前回に続いて刺し子をしました。早い子は、刺し子が完成してミシンで縫えばコースターになる寸前です。遅い子は、模様を一針一針縫っているので完成度は1/3位でしょうか。
ところで、次回の成器塾はずいぶん先の10月です。みんな忘れていやしないか心配です。10月に刺し子を完成させて、その次に3年前の成器塾でやった藍染めや紅花染めをしようかと考えています。なお、刺し子は子供にとって時間がかかるようです。来年はもう少し容易なものにしようと思います。例えば、2コマで1作品できる裁縫がいいと思います。
井戸端会議のように賑やか、刺し子をする子供達
今回は指導員が3人です。各指導員さんは、子供達の座る机に陣取って楽しそうに見守りしていました。そして、子供達が間違えたり聞かれたときに指導をしていました。子供8人に対して指導員は3人です。自分で裁縫できる子供もいるため、実質マンツーマンで指導できたようです。
私はもっぱら見守りに徹しました。そして、刺し子をコースターにするためにミシンで周辺を縫いました。ところが、ミシンの調子が悪く針が折れてしまいました。おまけにメガネを忘れてしまったため、新しい針を取り付けたり糸を通すことができません。私にとっては少々残念な成器塾でした。
指導員に運針を習う子供 丁寧に刺し子を縫う子供
猛暑の中、サツマイモ畑がだいぶ雑草に覆われてきました。また、伸びた雑草がイノシシ避けの電柵に届き始めました。雑草が電柵に届くと漏電します。すると、電柵としての効果が無くなってしまいます。すると、イノシシは電柵内に自由に入ってしまいます。漏電しないように、電柵周辺も草刈りしました。
広い草地ならば草刈機を使うのですが、サツマイモの葉も茂っているためカマで草を刈りました。刈る時、カマの刃を地面にスライドするように軽やかに刈ります。刃を研いでいないと軽やかに刈ることはできません。そのため、カマの刃を時々砥石で研ぎながら雑草を刈り取りました。
カマの刃を地面に軽やかにスライドするようにして草刈り
実は、サツマイモの畝間でマクワウリも育てています。電柵は元々マクワウリを守るために購入しました。しかし、今年はサツマイモを守るために使っています。電柵は一つしかないため、マクワウリを栽培するためにはサツマイモと一緒に栽培するしかありません。今マクワウリはサツマイモに押されて窮屈そうに育っています。ちゃんとマクワウリの実ができるでしょうか。
サツマイモ畑の雑草 カマで雑草を刈り取り サツマイモ間も除草
7月の史跡巡りウォーキング予定の柳井市上馬皿周辺を下見してきました。集合したのは柳井市上馬皿の石井ダム湖畔の駐車場です。平日のため駐車している車は我々だけでした。出発すると最初に石井ダムパークを歩きました。近年管理していないようで、草は生え水車などが朽ち果てていました。新しく何かを建築するのはたやすいのですが、何十年も維持することは並大抵の事ではありません。石井ダムパークを過ぎると、川下に向かって歩き出雲社の祠を見学しました。昔の古道沿いに安置されていました。続いて柳北小学校跡地に向かいました。校庭跡の広場が往時を忍ばせます。
美人地蔵尊を過ぎてからのバス往還道脇の庭先の花を観賞
柳北小学校は今下馬皿にありますが、柳北小,黒杭小,畑小が合併した時に今の場所に移動したそうです。昔の子供達は、川や山を越えて小学校に通っていたのでしょう。続いて、かつての柳北小跡地近くの上馬皿バス停に向かいました。バス停前には、小さなお店がありました。たまたま伊陸に向かうバスが走っていました。時間表を見ると1時間に1本程度のバスが走っているようでした。柳井~上関間と同じ程度の本数でした。まだまだバスを利用する方がいるのですね。
石井ダムの堰堤 古道脇の出雲社の祠 柳北小学校跡地
バス停のすぐ近くに本尊十一面観世音菩薩の祠がありました。そして、近くの坂道上に美人地蔵尊が安置されていました。由来によると、その昔とても美人な妻がいたのですが、運を悪く落馬して亡くなったそうです。その美人妻を弔ってこの地蔵さんが安置されたそうです。傍にその由来が書かれていました。農民ならば馬の手綱を引くことはあっても乗ることはありません。馬に乗るくらいなので、武士の妻だったのでしょう。
バス停横の本尊十一面観世音菩薩 美人妻を弔う美人地蔵尊
この美人地蔵尊はバス停前のお店のお婆さんが管理をしているようです。ただ、急坂なのでいつかはこのお地蔵様を世話できなくなるでしょう。次にお世話をする方がいるのでしょうか。地域が寂れてくるごとにお地蔵様もお世話をする人がいなくなります。そして、月日が経ちお地蔵様は打ち捨てられていきます。地域を見守ってきたお地蔵様が打ち捨てられるのは寂しいかぎりです。
柳井市上馬皿周辺史跡巡りウォーキング下見コース
小学校の放課後学習で子供達に作ってもらう候補の一つを作りました。誰でも使うペットボトルの布ケースです。大まかな完成図から型紙に落として採寸して型紙を作りました。その型紙を元に布を切り抜いてミシンで縫ってみました。裁縫は言ってみれば布の工作でしょうか。一番難しかったのは底を縫う時です。ミシンを使いながら底を丸く縫うのです。小さなミスを重ねましたが、何とか完成しました。成器塾で子供達に作ってもらうサンプルにするか、孫にやろうと思っています。
小さなミスを重ねましたが、何とか完成したペットボトル布ケース
柳井で2種類の端切れを購入しました。機関車トーマスとミニーマウスの柄です。まずは、機関車トーマス柄で作ってみました。一番の難関の丸い底は、アイロンで立体的に曲げ、糊で側面と底面を固定しました。その後、ミシンでぐるぐる回しながら縫いました。時々、側面と底面の位置がずれるので修正が大変でした。一度ばかり縫い直しました。裁縫初心者の私には苦行でした。
紐を通す側面を縫う 円柱側面を閉じる 底面をアイロンで曲げる
そんなこんなで縫い終わりました。最後に紐を通して完成しました。しかしながら、他の方々はどうやって作っているのでしょうか。知人のSさんはロックミシンを巧みに使って作っていました。ほつれを無くしたり、耐久性を上げるためにロックミシンを使うとよさそうです。しかし、我家のロックミシンは先日故障してしまいました。油をさしましたが、モーターがウンウンうなるだけで動きません。時間をみて分解修理してみようかと思います。治らないならば中古品でも買うしかないでしょうか。ロックミシンの使い方を覚えてみたいものです。
底部をミシンで裁縫中 紐を通してなんとか完成
先日も、少年少女発明クラブで子供の工作指導をしました。クラブには八つの班があり、それぞれの班には2~3人の子供がいます。一つの班には1~2人の指導員が付いています。私は特定の班を指導することはなく、班を回りながら世話をしています。そして、指導者が休んだ班に入って指導をしています。
子供達を見ていて思います。どの子供も塾やスポーツクラブなどで忙しいようです。今回指導した子供の一人は、午後地元の野球チームに通うとのこと。大人顔負けのスケジュールです。送り迎えする保護者も大変だと思います。
時々思います。自由に遊べましたが働かざるをえなかった昔の子供と、生活は豊かなのに自由に遊べず管理された今の子供。どちらが幸せなのでしょうか。
工作をしている子供達と見守っている指導者
今の子供達は、学校の登下校時に道草ができないようです。私が子供の頃は、友達の家に寄ったりしながら遊んで帰りました。そのため、あちこちの野山田畑や山道や獣道、川の生き物、昆虫のいる場所、友達の家族などを知ることができました。しかし、今は友達の家に寄ったり、川などで遊ぶことはできないようです。とにかく禁止事項が多いように感じます。
友達の工作を見学 なかなか入らない 図面と工作物を確認
昔の子供は自由時間が多くありました。しかし、仕事もしていました。私が子供の頃、我家は酪農をしていました。そのため、学校から帰ると牛が食べる草を刈ったり集草をしていました。早朝、牛に草を与えるため牛舎のドアを開けると、暗闇からいっせいに私の方を見る20頭ほどの光る瞳を今でも思い出します。そして、大量の牛の糞を運び出す仕事もありました。
さらに、家の風呂焚きもしました。山に入っては枯木や枯草など燃えるものを集めました。燃えやすいようにノコギリで枝を切ったり斧で木を割ったりしていました。他に新聞少年など、いろいろな仕事がありました。変わったところでは、夕飯のおかずのために田布施川に貝掘りによく行っていました。
今のようなスポーツクラブなどは無く、塾はソロバン,将棋や囲碁,習字が主な時代でした。
電動工具の使い方を教わる 協力して板を切る
藍染めが終わったため、染めた布をハンカチに加工する試行をしました。最初、我家にある古いロックミシンを使って端を縫ってみました。最初調子よく縫っていたのですが、角の曲がり方を間違えたようで縫いが滅茶苦茶になってしまいました。糸が絡んだり切断した布を巻きこんだりして、さらにロックミシンが調子悪くなり動かなくなりました。モーターがウンウンうなって動きません。ロックミシンをすぐには直せそうもありません。そこで、ロックミシンを使うのを諦めて、普通のミシンを使って端を縫うことにしました。やれやれ、一向に裁縫が上手になりません。
左はミシンを使って額縁縫い、右はロックミシンを使った失敗作
我家にあるのは、2糸式のとても古いロックミシンです。最初は調子よく端を縫っていたのに、角の曲がり方が分からず、ミシンと同じように針が下降した時に布を90度回しました。聞いたところ、これがいけなかったようです。下画像のようになり、ロックミシンが動かなくなりました。数日では修復できそうもないため、手回しミシンを使って額縁縫いすることに切り替えることにしました。やれやれ。
ロックミシンで端を縫う 糸が溜って縫えない 額縁縫いに切り替え
以前何かで布の縁を額縁縫いしたことがあります。それを思い出して縫いました。藍染めした布の端をチャコペンで数線を引いて、布の角をハサミでカットしました。そして、額縁になるようにアイロンで折りました。そして、手回しミシンで縫いました。一重縫いでは弱いと思ったため、二重に縫ってみました。正しい額縁縫いなのかどうかは分かりません。
とにかくロックミシンの扱いに今回は苦労しました。安くてもよいので、ちゃんとしたロックミシンが欲しくなりました。
ミシンで染め布を額縁縫い 額縁らしい形に(二重に縫う)
そろそろ秋のイベントを考えなければなりません。この秋は、久しぶりに藍染め体験を開催してみようと思います。かと言って、以前と同じ体験では工夫がありません。そこで、以前コットンクラブで収穫して保存しておいた藍の乾燥葉を使おうと思います。濃い目に藍染めしたハンカチを作ってもらおうと考えています。ハンカチにする布は、ガーゼに近い吸収性の良いものにします。25cm x 25cm位の布を絞り染めした後、縁をミシンで縫ってハンカチにします。縁取りは私がミシンで縫います。今回は15cm x 15cmの小さな布を使って試作しました。
ガーゼ布を絞り染め、このあと縁をミシンで縫う
まずはスタンダードな絞り染めをしました。複数の玉を布で縛る方法と、布全体を細く縛る方法です。糸はたこ糸を使い、解けない巻き結びで縛りました。縛り終えると、次のようにして藍染め液を作り、絞り染めしました。今回は試作なので1Lほどの藍染め液を作りました。
①藍の乾燥葉と水を一緒に入れる。
②水を熱した後、あくを取る。
③水を補充して再び熱する。
④還元剤などを必要量計って入れる。
⑤水面が軽く虹色になるのを待つ。
⑥虹色になったらすぐに縛った布を入れて藍染めする。
⑦水洗いする。濃く染まるまで、複数回染めと水洗いを繰り返す。
藍染めが終わると、縛ったたこ糸を外します。
布をたこ糸で縛る 藍の乾燥葉を挿入 藍染め液に浸す
経験的に、藍の乾燥葉をたくさん入れた方が濃く染まります。しかも、葉を細かく砕いた方がより染まります。そのため、ミキサーを使って葉を砕きました。細かな藍葉の残渣が布に付きますので、藍染め後丁寧に水洗いします。絹の方がよく染まるのですが、ハンカチにするため綿のガーゼ布を使いました。濃く染めるため、5回程度は染めと水洗いを繰り返します。
染めと水洗いを繰り返す 縛った糸をリッパーで取り除く
早乙女塚を見た後、大内川沿いに河口に向かって歩きました。歩いた道は旧国道188号線ではなかったかと思います。当時はバスが通っていたようで、平生の旧商店街に続いていました。私が幼児だった昭和30年頃、この道を馬車が通っていたことを覚えています。当時の私にとって馬は巨大な生き物でした。今では考えられないことです。その後、国道188号線は今の郵便局前や平生クリニック前を通るようになりました。そして今、平生MaxValue前を通っています。
大内川沿いの稲荷社前広場で休憩
さて、大内川沿いに歩いていると変わった石橋が見えてきました。柳井市にある天津橋を小さくした石橋です。橋脚が無いせり出し式の石橋です。その石橋をすぎてしばらく歩くと右手にお地蔵様2がありました。続いて歩いていると、左手に天池が現れました。この池は江戸時代に唯一干拓時に残された当時の海の名残です。溜池として残されたようです。天池の大内川側に、川の深さを示す水位測定板が設置されていました。一定水位を超えると氾濫危険指示や避難指示が出るのでしょう。
橋脚のない石橋 屋根付きのお地蔵様2 天池傍の大内川
天池を過ぎてどんどん歩くと、お地蔵様3が安置されていました。私の祖母はとても信心深い人でした。子供の頃に私を連れて行く時、いつも道端のお地蔵様を拝んでいました。そして、亡くなった祖母の友達や親戚のお墓によく連れて行きました。子供の私は、それほどお地蔵様やお墓には興味がありませんでした。しかし、祖母と一緒に行くと帰りに駄菓子を買ってくれました。それが狙いで祖母と一緒に出かけました。また、お祭りなどもよく連れて行ってくれました。
大内川沿いの道に面したお地蔵様3 大内川沿いの稲荷神社
大内川沿いの道をどんどん歩いて行くと、お地蔵様3がありました。そして、少しばかり歩くと、大内川の左岸に赤い鳥居と神社が見えてきました。小さな橋を渡ってその神社に行きました。稲荷社でした。周辺は草も生えておらず手入れされているようでした。近所の方々が管理しているのでしょう。その稲荷社前の広場で小休止しました。ここまで来ればスタート地点までは30分くらいです。稲荷社を出ると、向井医院前を通って、出発地点である平生MaxValueに戻りました。今回の史跡巡りに参加された方々、お疲れさまでした。次回は柳井市の上馬皿方面の史跡をのんびり巡る予定です。
平生町 赤子山史跡巡りウォーキングルート