東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

少年少女発明クラブ、いつものように子供の工作指導

2022年07月05日 | 子供の育成関連

 先日も、少年少女発明クラブで子供の工作指導をしました。クラブには八つの班があり、それぞれの班には2~3人の子供がいます。一つの班には1~2人の指導員が付いています。私は特定の班を指導することはなく、班を回りながら世話をしています。そして、指導者が休んだ班に入って指導をしています。
 子供達を見ていて思います。どの子供も塾やスポーツクラブなどで忙しいようです。今回指導した子供の一人は、午後地元の野球チームに通うとのこと。大人顔負けのスケジュールです。送り迎えする保護者も大変だと思います。
 時々思います。自由に遊べましたが働かざるをえなかった昔の子供と、生活は豊かなのに自由に遊べず管理された今の子供。どちらが幸せなのでしょうか。

          工作をしている子供達と見守っている指導者


 今の子供達は、学校の登下校時に道草ができないようです。私が子供の頃は、友達の家に寄ったりしながら遊んで帰りました。そのため、あちこちの野山田畑や山道や獣道、川の生き物、昆虫のいる場所、友達の家族などを知ることができました。しかし、今は友達の家に寄ったり、川などで遊ぶことはできないようです。とにかく禁止事項が多いように感じます。

  友達の工作を見学     なかなか入らない    図面と工作物を確認
  

 昔の子供は自由時間が多くありました。しかし、仕事もしていました。私が子供の頃、我家は酪農をしていました。そのため、学校から帰ると牛が食べる草を刈ったり集草をしていました。早朝、牛に草を与えるため牛舎のドアを開けると、暗闇からいっせいに私の方を見る20頭ほどの光る瞳を今でも思い出します。そして、大量の牛の糞を運び出す仕事もありました。
 さらに、家の風呂焚きもしました。山に入っては枯木や枯草など燃えるものを集めました。燃えやすいようにノコギリで枝を切ったり斧で木を割ったりしていました。他に新聞少年など、いろいろな仕事がありました。変わったところでは、夕飯のおかずのために田布施川に貝掘りによく行っていました。
 今のようなスポーツクラブなどは無く、塾はソロバン,将棋や囲碁,習字が主な時代でした。

   電動工具の使い方を教わる         協力して板を切る     
 

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