東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 赤子山 史跡巡りウォーキング(3/3)

2022年07月02日 | 歴史探訪他ウォーキング

 早乙女塚を見た後、大内川沿いに河口に向かって歩きました。歩いた道は旧国道188号線ではなかったかと思います。当時はバスが通っていたようで、平生の旧商店街に続いていました。私が幼児だった昭和30年頃、この道を馬車が通っていたことを覚えています。当時の私にとって馬は巨大な生き物でした。今では考えられないことです。その後、国道188号線は今の郵便局前や平生クリニック前を通るようになりました。そして今、平生MaxValue前を通っています。

           大内川沿いの稲荷社前広場で休憩


 さて、大内川沿いに歩いていると変わった石橋が見えてきました。柳井市にある天津橋を小さくした石橋です。橋脚が無いせり出し式の石橋です。その石橋をすぎてしばらく歩くと右手にお地蔵様2がありました。続いて歩いていると、左手に天池が現れました。この池は江戸時代に唯一干拓時に残された当時の海の名残です。溜池として残されたようです。天池の大内川側に、川の深さを示す水位測定板が設置されていました。一定水位を超えると氾濫危険指示や避難指示が出るのでしょう。

   橋脚のない石橋    屋根付きのお地蔵様2    天池傍の大内川
  

 天池を過ぎてどんどん歩くと、お地蔵様3が安置されていました。私の祖母はとても信心深い人でした。子供の頃に私を連れて行く時、いつも道端のお地蔵様を拝んでいました。そして、亡くなった祖母の友達や親戚のお墓によく連れて行きました。子供の私は、それほどお地蔵様やお墓には興味がありませんでした。しかし、祖母と一緒に行くと帰りに駄菓子を買ってくれました。それが狙いで祖母と一緒に出かけました。また、お祭りなどもよく連れて行ってくれました。

 大内川沿いの道に面したお地蔵様3       大内川沿いの稲荷神社
 

 大内川沿いの道をどんどん歩いて行くと、お地蔵様3がありました。そして、少しばかり歩くと、大内川の左岸に赤い鳥居と神社が見えてきました。小さな橋を渡ってその神社に行きました。稲荷社でした。周辺は草も生えておらず手入れされているようでした。近所の方々が管理しているのでしょう。その稲荷社前の広場で小休止しました。ここまで来ればスタート地点までは30分くらいです。稲荷社を出ると、向井医院前を通って、出発地点である平生MaxValueに戻りました。今回の史跡巡りに参加された方々、お疲れさまでした。次回は柳井市の上馬皿方面の史跡をのんびり巡る予定です。

         平生町 赤子山史跡巡りウォーキングルート


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