東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市日積の史跡巡りウォーキングの下見(3/3)

2021年10月15日 | 歴史探訪他ウォーキング

 鳩子の滝から、かつての日積~由宇古道をどんどん下りました。途中、来た道ではなく左へ分かれる道に入りました。歩きながら付近を見渡すと、その昔は豊かな農村であったことを思わせる田んぼや畑がありました。しかし、今は荒れた田畑が目立ちます。しばらく歩いていると、あそか苑と県道に向かう三字路に着きました。あそか苑に向かう道を選びました。その理由は、田んぼのにある早乙女塚を訪れるためです。上り坂を登りきると、間近にあそか苑の建物が見えました。そして、早乙女塚も見えてきました。

        福楽寺跡でしばし休憩、汗だく中で水分補給


 ところで、乙女塚と呼ばれる塚はあちこちにあります。西田布施、田布施木地、平生、そして、日積などです。田植えや苗取り時に、お侍に切られて亡くなる早乙女を弔う塚です。泥がお侍さんに当ったために、怒ったお侍に切られるのです。それにしても早乙女塚が多いように思います。お年寄りや男性が切られた話はないです。そのため、何らかの原因で亡くなった里人を早乙女塚と呼んで弔ったのではないかと思います。日積や田布施の早乙女塚は、たくさんの小石が積まれています。平生の早乙女塚は、大きな石がポツンと一つ田んぼに置かれています。

  石積みの早乙女塚      正福寺の名水     道端のお地蔵様
  

 早乙女塚を見終わると、元来た道を引き返して三字路に戻りました。次に福楽寺の名水を訪れました。その名水に向かっていると、左方向にお地蔵様が見えました。名水の前にそのお地蔵様を訪ねました。お地蔵様は古道に面して安置されているケースが多いです。そのため、お地蔵様前の道はかつて古道だったのではないかと思います。

   山の下に建つ福楽寺跡?       ふれあいどころ437で休憩
 

 お地蔵様を拝むと、福楽寺の名水に行きました。平らな場所に穴が掘ってあり、そこに勢いよく水が流れていました。その水が名水です。腰を深くかがめないと水を飲めません。そのため、ようやく届いた手を洗いました。歩き続けて暑かったため冷たくて気持ち良かったです。続いて、福楽寺跡に向かいましたが跡は残っていませんでした。わずかに、お墓が数基とお寺を思わせる石垣などが残っているだけでした。福楽寺で水分補給休憩した後、スタートしたふれあいどころ437に向かって歩きました。下見に参加された方々、お疲れさまでした。本番ウォーキング時には涼しくなっているといいですね。

        柳井市日積の史跡巡りウォーキング下見コース

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