東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

光市 峨眉山と海商通り周辺の史跡巡りウォーキング(4/4)

2021年10月04日 | 歴史探訪他ウォーキング

 展望の良い峨眉山東端の崖を下りると、毛利敬親公顕彰碑広場に出ました。そして、峨眉山自然研究路に向かいました。木々が茂りすぎて最近は暗くなっている路です。八十八箇所のお地蔵様のうち五十番頃の巡礼ルートが重なっています。その後、広い道に出て小中学校を回り込むように道を歩きました。しばらく歩いて普賢寺に到着しました。このお寺の駐車場で、二人の方と合流しました。合流すると、内湾が見える道を歩きました。汗が出るような良い天気でした。

           普賢寺にて、今回の史跡巡り参加者


 真夏の後半は雨ばかりでしたが、9月後半以降は一時期を除いて好天が続いています。風は秋なのに、日差しは真夏のままのようです。この史跡巡りから帰った次の日、手や腕が日焼けで赤くなってしまいました。最近の気候は、9月は8月、10月は9月と思った方が良いようです。日除けの傘を持ってきた方は、大正解でした。

  峨眉山自然研究路     内湾側が見える道     昔の灯台を見学
  

 さて、海側の道を歩いていると、昔に使った灯台跡の史跡がありました。昔は電気が無かったので、ロウソクか油を燃やしていたと思います。そのため、わずかな光しか見えなかったのではないでしようか。しかし、昔の人は目が良かったため見えたのではないでしょうか。説明を読むと日本海側のある港に最初に設置されたそうです。その後、この室積に設置されたようです。それだけ、室積は船の行き来が盛んだったのです。

     開いていたお店を覗く        海商通りをのんびり散策 

  ところで、海商通りに面する家の前に四個と五個とか四角い石が埋められています。不思議に思っていましたが、聞くところによると意味はないとのこと。がっかりしました。、家の格を表すのか、商売の種類を表すのかと思っていました。しかし、何故石を埋めたのでしょうか。誰かが発案したに違いありません。それとも廃材として出た石を再利用したのでしょうか。不思議で謎なのは相変わらずです。今回の史跡巡りウォーキングに参加された方々お疲れさまでした。次回は柳井市の日積の史跡を巡る予定です。

          今回巡った峨眉山や海商通り周辺の史跡

コメント
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