東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 柳井港の古道周辺を調査歩き(1/2)

2021年02月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 6年ほど前に柳井港から大畠まで史跡巡りウォーキングをしました。この時は、柳井港周辺の史跡を巡りませんでした。松戸八幡宮と妙円寺を訪れたぐらいでした。今回2時間程度でしたが柳井港周辺の祠やお地蔵様を調査歩きしました。最初イエローハット近くから歩き始めました。そして、竜華川を河口に向かって歩きました。すると、木に囲まれた小さな祠がありました。昔この周辺が海だったことを考えると、竜華川か海に関係する祠の可能性があると思います。

       国道188号線に面した、レンガ作り家屋のお地蔵様


 竜華川の祠を見終わると、いったん国道188号線に戻りました。そして、JR柳井港前の街内に入りました。その一角にある大師堂に行きました。続いて、再度国道188号線に出ました。国道188号線から海岸方面を見ていると、何やらお社が見えました。国道188号線を渡ってそのお社を確かめに行くと、三新化学のお社でした。ちなみに、三新化学の工場が田布施川河口の平生町側にあります。

   木に囲まれた祠     柳井港街の大師堂     三新化学のお社
  

 三新化学のお社から海岸の堤防が見えました。海を見ようと堤防に近づきました。すると、変わった石柱を見つけました。その石柱には「魚供養塔」と刻まれていました。魚供養塔を見終わると、再び国道188号線を渡りました。そして、国道に面した小屋内に安置されたお地蔵様を見ました。珍しいレンガ作りの小屋でした。

     漁港近くの魚供養塔           第一長州征討の碑
 

 レンガ作りの小屋のお地蔵様から15分位歩いたでしょうか、境川の河口近くを通りました。そして、すぐの場所に第一長州征討の碑がありました。面白いことにこの石碑には元々南無阿弥陀仏と刻まれていたようですが、南の字だけが欠けています。そのため、首なし地蔵とも呼ばれているそうです。

        柳井港周辺の史跡調査のため歩いたルート

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