東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

光市 牛島 下見ウォーキング(3/3)

2017年05月10日 | 歴史探訪他ウォーキング

 旧牛島小中学校跡地から山道をどんどんと進みました。島の道なのに海が全く見えません。それだけ、樹木が生い茂っているのです。針葉樹は少なく広葉樹が多いです。細い山道だけは歩きやすく草木が生えていません。歩きやすいのは、牛島の方々が今でもこの山道を使っているからではないかと思います。

   樹木に囲まれた牛島の山道        分かれ道はちゃんと矢印
 

 山道を歩いていてレンガ作りの陶芸用?窯がありました。しかし、その窯の周りに土器も無ければ薪もないのです。しかも、窯は細長いのです。不思議な窯だと思っていたのですが後で判明しました。牛島を離れる時に島の方に聞いたところ、その窯は人を焼く窯だったとのこと。つまり、火葬用の窯だったのです。細長いのはお棺に合わせているからです。やれやれ、聞かなければよかった。

          平茂海岸から見た、麻里府,馬島,佐合島,佐賀など


 山道には所々分かれ道がありましたが、部外者が迷わないように矢印がありました。その矢印のとおりに進むと、じきに下り坂になりました。その下り坂を歩いていると、ぱっと目の前が開きました。平茂海岸です。とても広い小石混じりの浜です。端から端まで500m位はあるような気がしました。とにかく広々とした海岸でした。そして、海の向こう側に見える島々の景色がとても良いのです。

        平茂海岸を背に下見ウォーキング参加者5人(1人は撮影)


 平茂海岸からの景色は不思議でした。馬島と佐合島の順が逆なのです。いつも通る平生町佐賀からは、右から馬島そして佐合島です。しかし、平茂海岸からは左右が逆なのです。船が出るまでたっぷり時間がありました。30分位でしょうか、砂浜に座って楽しく雑談しました。海岸の端から端まで歩けば良かったです。本番ウォーキングでは海岸を歩いてみようと思います。

        牛島の方々が最初に住んでいたと言われる三浦の海岸


 平茂海岸には面白い伝説があります。茂平伝説です。昔々のある時、茂平が平茂海岸で大きなタコを見つけたそうです。そのタコはあまりに大きかったため持ち帰れませんでした。そのため、毎日足を一本ずつ切りながら平茂海岸に通ったとか。最後の一本を切ろうとした時、その最後の足にからめ取られて海に引き込まれてしまったそうな。

       日本土木学会の選奨土木遺産の牛島港防波堤


 平茂海岸から帰る時、三浦と呼ばれる海岸に寄りました。そこは牛島の人々が最初に住み着いた海岸だそうです。三浦には立派な石垣があります。人が増えて今の場所に移り住んだそうです。船に乗る前に島の方から牛島の各海岸の名前などをききました。ナコーラなどの海岸です。ナコーラを漢字にすると奈子浦だそうです。午後5時出航の船で室積に戻りました。
          
  波しぶきを立てる船    伊保木方面を眺める     室積港に到着
  

 なお、牛島港の防波堤の石組は日本土木学会の土木遺産に指定されています。そして、未来に残したい漁村の歴史文化遺産百選の一つです。また、国土交通省の島の宝100選にも選定されています。

          今回、下見ウォーキングした牛島のコース

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