東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

光市 牛島 下見ウォーキング(2/3)

2017年05月07日 | 歴史探訪他ウォーキング

  続いて、教念寺に行きました。もともとは田布施町麻郷の浜城にあったものが、どうして牛島に移転したのかその経過を知りたいものです。明治初期、苛烈な廃仏毀釈がありました。そのため、いくつものお寺が廃されました。教念寺もその候補になったものの生き残りをかけて、それまでお寺がなかった牛島に移転したのかも知れません。

    教念寺の本堂を仰ぎ見て        海の眺めがとても良い教念寺
 

  教念寺のご住職がおられないか、呼び鈴を何度も鳴らしましたが反応がありませんでした。そのため、失礼とは思いましたが、本堂前の眺めが良い場所でお昼休憩にしました。本堂はやや高台にあるため、ほとんどの家を下に見ることができます。その昔は1200人が牛島に暮らしていたそうですが、今は40人位とのこと。八島の19人と比べれば多いですが、教念寺も楽ではないだろうと思いました。

            昼食休憩した教念寺本堂前、眺めが良い


 教念寺を出ると、一路平茂海岸に行くことにしました。途中、お地蔵様や丑森明神を見学しました。牛島と呼ばれるだけあって、その昔は農耕用の牛を多く飼っていたようです。ある牛の供養をしたものが丑森明神とのこと。人の墓地の中にこの明神がひっそりとあるのです。牛の伝説が丑森明神として残っています。

   平茂海岸に向かう      お地蔵様      ひっそりとある丑森明神
  

 丑森明神がある場所は、牛島の方々の墓地が密集しています。その墓地群を抜けると突然広い場所に出ます。旧牛島小中学校跡地です。校舎を見るとそれほど古いようには見えません。10年位前に閉校したのではないかと思われます。体育館も立派に見えます。広い場所は校庭のようです。かつてはこの校庭で子供達がスポーツしたり遊んでいたにちがいありません。

  それほど古くは見えない旧牛島小中学校跡、草がそれほど茂っていない校庭


 旧牛島小中学校跡地を過ぎるすぐに山道に入りました。その山道をよく見ると、保護されているのでしょうヒトツバハギが生えていました。ヒトツバハギは絶滅危惧種に登録されているそうです。山道はどんどん高度を上げていきました。何もない山道ですが、道の両サイドをよく見るとかつての人々の生活の痕跡が色濃くありました。

       今回、下見ウォーキングした牛島のコース

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする