湘南ライナー日記 SHONAN LINER NOTES

会社帰りの湘南ライナーの中で書いていた日記を継続中

生姜焼きが食べたかった

2005-03-16 23:37:07 | B食の道
小ぢんまりしてはいるが清潔感のあるその居酒屋は、お昼に定食を出している。
この店、12時過ぎに行くと、いつも面白い光景を目にすることができる。
席は2/3ほど埋まっているのに、どのテーブルの上にも料理を見ることができないのだ。客は目の前に置かれた麦茶を飲みながら、ただひたすら待っている。
でも、だからといってカウンターの向こうの厨房で店主が慌てているかといえば、まったくそんな風でもないから不思議。
いや、どちらかといえば落ち着き払った様子で、しかもつまらなそうな表情をして、ひとつひとつ確実に、そしてゆったりとしたペースで作業を続けているのだ。
そういえば、もう何年も前からこの店で昼飯を食っているが、店主の笑った顔を見た記憶がない。声だって、時折発する「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」の二言以外は聞いたことがない。ホール係のおばちゃんが「立田2つ、親子一つお願いします」と声をかけても「ハイヨ」の言葉すらない。
同じ仕事をするなら、楽しく気持ちよくやったほうがいいのになぁとは思うけど。

ようやく最初の客の前に料理が運ばれてくるのは、12時15分ごろとみていいだろう。それでも毎日、席の2/3ほどが埋まるのは、決して味は悪くないという証拠。しかも、ほとんどのメニューがボリューム満点で680円とリーズナブルなのだ。
その定食のメニューは、ほとんどが鶏料理。あっさりしすぎているので鶏があまり好きではない僕が、あえてこのお店に行くのには、ちゃんとワケがある。
日替わりランチとして時々登場する「ポーク生姜焼き」が絶品だからだ。
ほどよく脂身が混じった大きな豚肉が4枚、たまねぎと一緒にたっぷりの生姜のタレで焼かれる。味は濃い目なので、白いご飯と実に良く合うのだ。おまけにキャベツも山盛り。これで、マヨネーズでも添えてくれたら(もちろん肉につけます)、僕は食べながら昇天してしまうに違いない。

今日はたまたま“愛妻”弁当がお休みだったので、密かに期待してまずはこの店に向かった。
約30メートル手前で店頭のボードに「ポーク生姜焼き」の文字を確認すると、そこからはスキップで進み勢いよくドアを押した。
なんという幸運!席もあいているぞ。
早速、カウンター席に座っておばちゃんを待つ。文庫本も持ってきた。いいよ、いいです、待ちましょう。
やがて、おばちゃんが麦茶を持って来て「何にします?」と笑顔で問う。
決まってるじゃないか!生姜焼きだよ、生姜焼き!
でも、いい大人があんまり嬉しそうにしていると恥ずかしいので、ここは落ち着いたふりをして渋く言う。
「日替わりで」
すると、一瞬おばちゃんの顔に陰が射す。カウンター越しに店主がチラッとこちらを見たような気がした。
「し・し・生姜焼きは、もうストップするように言われていて…」
な、なに~?終わりだと?それでは、ここに来た意味がないじゃん!ど・ど・どうする、オレ…。
それでも、動揺を悟られないように、でも力なく「じゃあ、竜田揚げで」と。
おばちゃんの「竜田揚げひとつ」の声に、もちろん店主の返事はない。

その店主はといえば、カウンターの向こうで後から後から生姜焼きをジュージュー焼いているのだ。時折大きな炎が上がって、何ともいえない甘辛い匂いが立ちこめる。あぁ、神は何という試練を…。
12時25分ごろ、その残り香を嗅ぎながら、僕は竜田揚げ定食をかき込むのであった。
幸せとは、とてもはかないものである。