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湘南ライナー日記 SHONAN LINER NOTES

会社帰りの湘南ライナーの中で書いていた日記を継続中

仰げばウトウトし

2007-03-10 01:42:24 | 思い出日和


卒業式で思い出すのは、中学校のとき。
校長先生の笑顔と大きな手だ。

横浜の郊外はちょうど宅地開発が進んでいる頃で、僕が通う中学は1学年11クラスもあった。しかも、その1クラスは50名前後という多さ。
だから卒業式も時間がかかる。
名前を呼ばれると一人一人壇上に昇り、校長先生から卒業証書を受け取る。受け取るとステージを横切り階段を下りる。
僕は8組だったので、そのオートメーション工場のような流れ作業を眠気と戦いながら眺め、順番を待っていた。
俺たちもたいへんだけど、校長先生も一人でたいへんだよなあ…
と、その時ちょっとしたことを思いついき、自分の番がきたときに実行してみた。

証書を受け取ってから、校長先生に握手を求めたのだ。
たいしたことではないかもしれない。だが、厳粛な雰囲気で進行していた式だけに、けっこう勇気をふりしぼってのパフォーマンスではあった。
壇上で、一人ドキドキしていた。
次の瞬間、校長は相好をくずし、大きくぶ厚い両手で僕の手をしっかり包み込んだ。
実はそれが、3年間通った中学校で、校長先生との最初で最後のコミュニケーション。それほど、マンモス校では校長先生は遠い存在だったのだ。
今日は息子が卒業式。
出席した妻によれば、式の間中アクビばかりしていたらしいが。

写真は、お昼に食べた『ヘルシーぎょうざロール』。真砂市場内の食料品店で購入。揚げ餃子ですよ。

ありがとうが言えなくて

2007-02-15 00:18:31 | 思い出日和


告白します。
バレンタインデーなので。
(って、男が告白してどーする)
こう見えても、実は女性と話すのが苦手です。
ウソをつけとおっしゃる方もいるかと思いますが、これホント。
経験はないけど、キャバクラに行っても、たぶん何も喋れずニヤニヤしているだけだと思う。
で、その苦手のピークは、高校時代だった。
男子校に入学して女の子の目から開放された僕は、ノビノビと毎日を満喫していた。
ところが、学園祭で近所の中学生の女の子に見初められて、たびたび待ち伏せされるようになってしまったのだ。
そして、バレンタインデー。
この日もきっと…と思い部活に無理やり打ち込んでいたのだが、やっぱり呼び出されてしまう。
しぶしぶ校門の外に出ると、さっそくチョコレートを手渡された。
別にその子が嫌いなわけでもなく、いやどちらかといえば嬉しいはずだったのだが、喋れない。とにかく会話ができない。「ありがとう」の一言さえも出てこないのだ。
遠くで同級生たちがチラチラとのぞいたり、冷やかしたりしているのも手伝って、もう口が動かない。
たぶん10分ほどのことだったのだろうが、僕には1時間にも2時間にも感じられた。
「じゃあ」とようやくしぼり出すように言って逃げ出した僕の後姿を、彼女はどんな思いで見送ったのだろう。
次に会ったときこそは「ありがとう」を言うつもりだったが、彼女は二度と僕の前には現れることはなかった。
今年もバレンタインデーがやってきた。
あの日の彼女の気持ちを思うと、毎年どうにも切なくて胸が締めつけられるのだ。

軽やかに生きたい

2007-01-12 23:42:06 | 思い出日和


転んでも転んでも、また立ち上がって滑った。
痛かったけど、楽しくて、また滑っては転んだ子供の頃。
何も考えずに、スーッといけたような気がする。
今はどうだろう。頭で考えるのが先で、うまくいかないかもしれない。
転ぶのが怖くて、へっぴり腰になりそうだ。
小学生の頃、子供会の冬の行事といえばアイススケートだった。
東神奈川の神奈川スケートリンク、スタンドで食べるおでん、そしてロケットコースター(ジェットコースターが反町公園にあったのだ!)がセットでよみがえってくる。
そういえば、6年生のときだったか同級生の女の子に誘われて、その子のお父さんに連れて行ってもらったこともあった。あの時、お父さんはスタンドからどんな気持ちで僕たちを見下ろしていたのだろうか。
写真は、丸ビルのエントランスに期間限定で作られたアイススケートリンク。場所柄、スーツ姿でスケート靴という人もいて面白い。確か初日には真央ちゃんもクルクル回っていた。


上から見るとこんなかんじ。

てんぷらのつまみ食い

2006-12-21 00:05:48 | 思い出日和


いとこ達と鬼ごっこをしていて台所に逃げ込むと、そこでは祖母がてんぷらを揚げているところだった。
ほらよと手渡されたサツマイモのてんぷらは、アツアツでホクホク。そして何よりやわらかな歯応えがたまらなかった。決してサクッとしていない田舎風のてんぷらだ。
まだ土間だった母の実家の台所に、僕は何度も何度も逃げ込んでは祖母にサツマイモをねだった。
自分だけに許された特権のような気分も手伝って、以来サツマイモのてんぷらは大好物に。
特に、台所でのつまみ食いは何十年も経った今でもやめられない。
文京区設真砂市場にあるてんぷら屋さんの前を通る時も、必ずあの時のシーンがフラッシュバックする。
ショーケースの向こうのおばあちゃんが、ほらよと言ってサツマイモを手渡してくれそうなのだ。

16年前のライナー日記

2005-12-17 01:39:11 | 思い出日和


年末ということで片付けをしていた上司が、突然笑い出した。
何かを見つけて読んでいるようだ。
それは、16年前に今の会社を受けた時の僕の書類だった。
面白かったのは、その場で書かされた作文。テーマは「この1週間で印象に残った出来事」。
そこには、退職金の一部で買ったカメラを携え鎌倉を歩いた話が、日記風につらつらと綴られていた。
「いま書いているブログと一緒じゃないか!」
というのだ。
いやいや驚いた。僕自身、テーマどころか、作文を書いたことすら忘れていたので。
確かに、その文章を明日ここにアップしても、違和感なく読めてしまうかもしれない。
ということは、16年前から僕の視点も文章力も変わっていないということか!

今日の写真は、そのとき自分をアピールするための「作品」として、あつかましくも持参した4コマ漫画(どんなアピールよ!)。前職時代、労組の季刊誌に連載していたもの。ギャグのレベルも今とちっとも変わってないぞぉ。

セミ採り名人の夏

2005-08-12 23:48:31 | 思い出日和


子供のころ、近所にカツミちゃんというセミ採りの上手な男の子がいた。
夏休み、僕たちのセミ採りは、まずカツミちゃんを迎えに行くところから始まった。
カツミちゃんは背が高いからなのか、それとも集中力が高いのか、セミを見つけるのがやたらに早い。そして、網を翻してポッと軽くしとめてしまう。
百発百中。それは見事な名人技。
カツミちゃんはセミ採りのとき、いつでも僕たちのヒーローだった。
その達人カツミちゃんが、実は僕たちとはどこか違っていることに気づいたのは、小学校の創立記念日のこと。
遊び相手を探してカツミちゃんの家に行くと
「今日は学校なのよ」
とおばさんに言われた。
そういえば、小学校でカツミちゃんを見かけたことがなかった。それまで気づかなかった僕は、相当に間抜けな子供。
カツミちゃんは電車に乗って養護学校に通っていたのだ。
体も大きいはずだ。ほんとはずっと年上だったのだから。
今でも毎年夏にセミを見かけると、白いランニングを着て虫採り網を手にしたカツミちゃんの姿を思い出す。
いつのまにか引っ越してしまい消息はわからないが、今でも子供たちに混じって夢中でセミ採りをしているような気がする。

さあ、明日から僕の夏休み。
宿題はナシ。何をしようかな。何もしないうちに終わってしまうのかな。
写真は会社の非常階段付近で弱っていたセミ。
頑張れ!君の夏だ。