goo blog サービス終了のお知らせ 

湘南ライナー日記 SHONAN LINER NOTES

会社帰りの湘南ライナーの中で書いていた日記を継続中

晩秋スケッチブック

2008-11-16 22:28:40 | 思い出日和


新しいdocomoのテレビCMで『アンサーハウス』のラストのコマ。
洋館の前に立ち、「いらっしゃい」と笑う山崎努氏。
これは、もう『早春スケッチブック』。1983年フジテレビで放映された山田太一氏原作・脚本のなかなか見ごたえのあるドラマを思い出さずにはいられない。
実家のある希望が丘が舞台だったこともあって、夢中で見た記憶がある。
なじみの商店街、公園、道路、相鉄線などが出てくるのはもちろん、なぜか場所や学校、信金も実名で登場するので、よけいに親近感が沸いてくるのだった。希望が丘の坂を上がっていくと、二俣川の西友に着いたりしてびっくりしたけど(笑)。
かなり重いテーマだったので視聴率も伸びなかったが、評価は高かった作品という位置づけではある。こんなドラマ、今じゃスポンサーが付かないかな?
今日は家族全員がオフだったので、その希望が丘へ。
夕方、雨の中、娘と散歩。希望が丘高校や南希望が丘中学校のあたりもまわってみた。25年も前だから家などは増えているけれど、どこを歩いていてもとにかく静かで、変わっているんだかいないんだかよくわからない。
いやいや、考えてみれば、あのドラマも静寂の中、ドラマチックに展開していくのだ。
そうか、だからこそここが選ばれたのかななんて、改めて思うのだった。



駄菓子屋に寄り道

2008-11-09 22:35:38 | 思い出日和


午後3時20分。
富水駅で降りたのは、たったの7人。そのうち、小田原アリーナへ向かうのは僕一人だった。
しとしと降り続く雨の中、すれ違う人もいない。
このあいだ見つけた田んぼの中の駄菓子屋さんまで来ると、中に人影が見える。
がたぴしいわせて引き戸を開けると、子供たちが買ったばかりの駄菓子にむしゃぶりついているところだった。
いつも来てるのかと問えば、「そーでもないよ、時々ね」と答えた割には、慣れた様子でクジなどを引いている。おじさんが、流れるように複数のそれをさばいていく様が見事だ。「もう30年くらいやっている」というだけのことはある。
当時ここでたむろしていた子供たちは、みんなもういい大人になったんだろうなあ。
もちろんおじさんは、すでにすっかりおっさんになっている僕の相手も怠らず、懐かしそうな駄菓子を次々と引っ張りだしては説明してくれるのだ。つい、あれもこれもと渡された空き箱に入れたが、300円にも満たずにびっくり。どれも1個20円か30円だったのだ。


約3時間後フットサルの帰り道に通りかかると、ちょうど店じまいの途中。挨拶をしながら、ビンのコーラとHI-Cオレンジを購入。コンビニ仕様のスクリューキャップではなく、懐かしい王冠タイプだ。
「ウチはずっーとこれですから。あー、チェリオは2年前にペットボトルになってしまいましてね」

小田原アリーナの観戦時は、小田原駅近くのここで甘いものを買い、富水駅から向かう途中で駄菓子を買い、帰りはまた小田原駅ラスカでこれか、これを食べるか、駅の近くのこの店へ行きかというパターンが完成した(キックオフの時間により前後します)。
ただ、今シーズンはあと1試合なのが残念!




行きに小田原駅で途中下車して「すあま」や「きんつば」などを購入。今日は息子さんが店番でした。奥にチラッと見えたおばあちゃんはマスク姿でした。お大事に。


帰りには、当然ぼっかけです。今日は「とろたま」のせで。





月は黒かった

2008-10-23 23:11:19 | 思い出日和


「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとって大きな飛躍であります」
ピーッ

あの日、僕は一人夢中でテレビに見入っていた。
人間が初めて月に降り立ったのだ。
「こちらヒューストン、ヒューストン…」
ピーッ
地球とアームストロング船長とのやりとりを、西山千さんという方が「同時通訳」していたと思う。
通信の間には必ず「ピーッ」という電子音が挟まるのだ。
息をのんで見守っていると、突然、勝手口を開けて、近所に住む親戚のおじさんが上がり込んできてビックリした。
「せっかくだからカラーで月が見たくてよ」
我が家には、数日前にカラーテレビが届いていたのだ。
「なんだ、白黒じゃねーか」
ピーッ?
腰もおろさないうちに、おじさんは飛び出して行った。
実はその時まで、僕は月から送られてきた映像がモノクロだったことに、まったく気づいていなかったのである。
あまりに夢中だったので色がついているように見えていたのか、それとも月の景色はこういうものだと思っていたのかは思い出せない。
でも、この人類初の月面着陸は、すべての少年たちを虜にするだけのインパクトがあった。いや、おじさんたちだって、かなり興奮していたのだ。
(そういえば、最近はこういった種の衝撃的な出来事がないような気がするなあ)
アポロ11号が地球に帰還するまで、僕は新聞記事を一生懸命スクラップしたのである。

写真は、丸の内オアゾ2階にある『JAXA i(宇宙航空研究開発機構 情報センター)』にて。

昭和遺産書店只今営業中

2008-09-30 00:38:39 | 思い出日和


昔はこんな本屋さんがけっこうあったもんですよ。
ペタペタの平積みがメイン。本の表紙がこちらを向いて立って並んでいる現代の定番とも言える棚というものがなかったのだ。
そのかわり、天井からぶら下げたグリップに本が挟んである(笑)。
いやぁ~、びっくりしました。こんな本屋さんが現存していたんですね。昭和は昭和でも、たぶん20~30年代のスタイルのはず。それが、突然目の前に現れたのだから!
本当に目を疑いたくなるようなこのお店は、小田原城の海側、三の丸小学校の近くにあった。
『少年』とか『太陽』とか、違和感なく並んでいそうな佇まい。
でも、よく見ると雑誌の最新号も置いてある!
あぁ、古本屋じゃないんだから当たり前か(笑)。
でも、その新しい雑誌も、置く場所によっては陽に焼けて白っぽくなっているので、よけいにお店全体が古く見えてしまう。
「いつ頃からやってるんですか?」と尋ねると、店主は
「古いっ!」と一言。
さらに、こう付け足した。
「ダメだ!活字離れでっ」
世を憂える口調は怒り気味なのに、なぜか常に満面の笑み。もう笑うしかないのかもしれない。
学校の近くだけあって、少しだけ文房具も置いているようだ。表のショーケースには、手動式の鉛筆削りも当たり前のように飾ってあった。
これは一刻も早く『昭和遺産』に登録認定しないと!

上の写真の聞きなれない「はりきり一年生」というダンマク。「88年」という表示。この店にしては、けっこう新しかったりして(笑)。



東横青ガエル日記

2008-09-11 01:45:24 | 思い出日和


高校が武蔵小杉にあったので、この通称『青ガエル』にもよく乗った。
ただ東横線は東急でも花形路線のため、僕の在学期間中にもジュラルミン(アルミ)の車両がどんどん投入されて、青ガエルはどんどん各駅停車用に“格下げ”になっていったのだ。
それでも、この形状や重たそうなモーター音、それに伴う足元が痺れるような振動が大好きで、次の急行に抜かされるのを承知で、わざわざ各停に乗ったりしたものだ。
なんだか、この時すでに昭和マニアだったのかもしれない。
いやいや、それはないぞ。だって、当時はまだバリバリの昭和そのものだったから(笑)。


さすがに僕が乗ってた頃は、こんな文字じゃあなかった…と思う。

では最後に運転席からの渋谷の風景をどうぞ。



Walkman on the BEACH

2008-08-16 23:51:30 | 思い出日和


79年にウォークマンが発売されても、なぜか、買おうと思わなかった。
みんな買っていたのに。いや、だからこそ右へ倣わなかったのかもしれない。
それに、カセットはクルマの中で聴くものだと思っていたというのが大きいかもしれない。そのためのテープ編集に命をかけていたし(笑)。
ところが、83年に『スポーツウォークマン』発売。
防水機構でオートリバースやFMも内蔵されている。確か、カラーはイエローだった。
ちょっと興味が湧いていたところに『on the BEACH』登場!
くすんだグリーン系の「沖縄」と、この鮮やかな「ハワイ」。
予約して買った(笑)。
どーだ、君たちのとはちょいと違うぜぐらいの調子でバッグからチラ見せしたりなんかして。
これに合わせてか、大瀧詠一氏がわざわざカセットで『BEACH TIME L-ONG』なんてアルバムを出したりして、もうウキウキだった。
ただ、ウォークマンのくせに、大きかったし、重かった。
それに、当時は今みたいに単独行動ではなく、海に行く時は複数だったので使う暇もない。
携帯しなくなるのに時間はかからなかった。


今日、実家で新品同様の姿のまま発見した。カセット版『BEACH TIME L-ONG』は見つからなかったので、『EACH TIME SINGLE BOX』や『A LONG VACATION』(もちろんLP)をバックに。
ビーチといえば、北京では残念!でも、ランキング24位でベスト16ですから!僕たちの誇りです。ありがとう!そしてご苦労様でした!

子供の頃は野澤屋だった

2008-07-26 02:11:35 | 思い出日和


横浜市の二俣川に住んでいた子供の頃、家族で買い物といえば横浜高島屋か伊勢佐木町の野澤屋だった。
当時は高島屋も今ほどの面積はなく、しかも横浜駅周辺には目ぼしい商業施設がなかった。そこへいくと野澤屋は賑やかな繁華街である伊勢佐木町の通りに位置し、子供の目にも魅力的に映ったものだ。
しかし、横浜駅周辺の再開発が進み、さらに「みなとみらい」の誕生、発展と共に伊勢佐木町の地盤沈下が止まらなくなる。
野澤屋は、『ノザワ松坂屋』を経て、『横浜松坂屋』に。
そして、この10月26日、遂に144年の歴史に幕を下ろすことになった。
新聞によると、昨日から閉店セールがスタート。「1998年の横浜ベイスターズ優勝記念セール以来の混雑」になったらしい。






今日の写真は、氷川丸に出かけた先週の土曜、猛暑の横浜徘徊の途中、クールダウンにその横浜松坂屋に飛び込んだ時のもの。
懐かしい「お好み食堂」の表示を見つけて7階へ。お昼にこんな大盛りを食べていたので、バニラアイス&コーヒーをオーダー。本当はソフトクリームがよかったんだけど、メニューにナシ。あの太い針金でできたソフトクリームをセットする台を思い出しますね。それから、お子様ランチの旗は、必ず持ち帰ったものです(笑)。でも、見渡しても昔の面影はなかったなぁ。


今はJRAの場外馬券売場『エクセル伊勢佐木』になっている西館は、かつて『松屋』だったような気が…。
いずれにしても、大正10年に建てられ「横浜市認定歴史的建造物」であるこの重厚な建物、上手にリノベーションしてほしいものですね。

昭和のフィルム発掘

2008-06-21 23:38:19 | 思い出日和


午後、珍しく全員揃ったので、家族で横浜の実家に。
押入れをゴソゴソやっていると、古いアルバムが出てきた。
「まるで三丁目の夕日じゃん」
と妻子が盛り上がる。
でも、もっとあるはずだ。懐かしい風景まで写り込んでいる写真が。そのアルバムはどこだ、と探していたら、ネガがたくさん出てきた。
なんとブローニーです。フィルムには『FUJI NEOPAN』と印字がある。
かつて家には、上からのぞくと左右が逆に映る2眼カメラがあった。そのネガフィルムというわけだ。
カメラも、何冊かのアルバムも不明なのだが、ネガがあった。
このネガの中から現像に出してみようかと思う。なんだかとても楽しみ。
そのモノクロのフィルムには、確かに昭和の自分が写っている。

それにしても、現像されたフィルムがおさめられている何というのでしょう、このボール紙の入れ物、デザインがめちゃめちゃイカしていますね。

洋館をよう噛んで鑑る

2008-05-02 19:50:11 | 思い出日和


昨日、友人との待ち合わせのお昼まで時間があったので、ぶらりと「イタリア山公園」への坂を上ってみた。根岸線南行で、石川町駅を出るとすぐに入るトンネルの上あたりだ。
ここには、「ブラフ18番館」と「外交官の家」という洋館が建ち公開されている。
建物も横浜家具などの調度品も素敵で、見学者も多くなくゆっくり見学できた(一応平日だったからかな)。おまけに、資料室(図書室?)では、並んでいた興味深い本を読ませてもらった。
このほかにも、山手ではいくつか洋館を開放しているらしく、いつかは訪ねてみたいと思っている。それにしても、やりますねぇ横浜市。どこも無料です。
そういえば、平塚市も横浜ゴム記念館を八幡山公園に移築中。うまく公開してくれると嬉しいけど。















しかし、同じ横浜でも、山手と下町ではどうしてこうも違うんだろ(笑)。

友、徒歩で遠方より来る

2007-05-13 20:15:25 | 思い出日和


「今日の午後、家にいる?」
最後に会ってから10年以上も経つ友人から、突然の電話。
「う・うん、土手に行ってると思うけど」
「じゃあ、今日そっちのほうに行くから、近くなったらまた電話する」
「う・うん」
というわけで、サテライトリーグのジュビロ磐田戦のキックオフを待っていると、再びケータイが鳴る。
「駐車場がいっぱいだぞ」と教えると「それは、だいじょうぶ」
という。
伊豆か箱根へのドライブ帰りじゃなくて、電車で来たのだろうか。
果たして現れた彼に聞いてみた。
「クルマは?」
「歩きだから」
「歩きって、どこから?」
「家から」
家って、彼の家は横浜の新山下ですぜ。
ウラがすぐ海。山下公園の先、港の見える丘公園の下あたりだ。そこを朝7時ごろ出て、徒歩で平塚まで来たという。
午前中の電話は、大船付近の分かれ道で、鎌倉方面に向かうか小田原方面に向かうか考えたときに、僕の顔が浮かんだらしい。
聞けば、8年前に転職した先で事務職となり、まったく歩かなくなった。その会社も近所なので、うまく歩けなくなってしまったというのだ(これ、ほんとの話。今も生活圏は200m以内!)。そこで、リハビリのために歩き始め、ここ数年は一日がかりで歩くようになったという。
ウオーキングといえばスポーツウエアでリュックを背負ってというイメージだが、見るところ普通の格好で手ぶら。
「近所のコンビニに行く感じで、そのまま遠くまで行っちゃうのがスタイル」だという。
聞いて驚かないでくださいよ。そのスタイルで、東京や小田原まで歩いてしまうのだ!
散歩好きの僕も、さすがにびっくり。レベルが違いすぎ。自転車だって、そこまでは行けない。
ただ、僕があちこち見回しながら散歩しているのと違い、とにかくもうひたすら一心不乱に歩くらしい。
「あんまり夢中で歩いていて、記憶が飛んでいる区間がある(笑)」
「オレは、キョロキョロしていて危ない目に遭う(笑)」
どっちもどっちだ。
そんな話をはじめ、まあよく喋った。
一応、目はボールを追っているものの、懐かしい話、家族の話、仕事の話など、10年以上分を話していて、ゲーム内容は…。永里選手の見事な2ゴールは、しっかり見届けたけどね。
土手に腰掛けサッカー観ながら、懐かしい話に花を咲かせた不思議な午後になった。
というわけで、写真はお花畑のポピー。


今日は平塚駅から電車で帰宅。




メインスタンドは馬入川(いやいや、まずはベンチに向かって挨拶です)