次の書は、太田道灌が扇谷上杉氏家臣・佐枝大炊助に宛てた書
状の写。年代は道灌の死去年にもとい、金子掃部助入道が道灌に
服属していることから、文明15年(1483)から同17年の間と推測
される。
内容は、入道が禅興寺領である下総国平沼郷を久しく預かり、
道灌に子供を人質に差し出していること。また平沼郷に対して深
川太郎左衛門尉が不法行為を行っているので、それを停止させる
よう求めたもの。これは在地の所領紛争に対する道灌の差配が判
る。
展示資料は諸家文書に収録された写し。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)
状の写。年代は道灌の死去年にもとい、金子掃部助入道が道灌に
服属していることから、文明15年(1483)から同17年の間と推測
される。
内容は、入道が禅興寺領である下総国平沼郷を久しく預かり、
道灌に子供を人質に差し出していること。また平沼郷に対して深
川太郎左衛門尉が不法行為を行っているので、それを停止させる
よう求めたもの。これは在地の所領紛争に対する道灌の差配が判
る。
展示資料は諸家文書に収録された写し。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)