続いて、「紫紙金字法華経幷開結」(平安時代、紫紙金字、26.5~
983.4cm、十巻、京都・本法寺所蔵)は、法華経の八巻と開経・無量義
経、結経・観普賢経と合わせて十巻一具が完備。
「寄進状」によると、“道風之法華経”とあり、“三蹟”で知られる小野
道風による写経と伝えられたことがわかる。しかし実際の書写年代は
平安時代中期の頃で、一般的な経典の金字書写は紺紙が用いられ、紫
紙は珍しく古写経とされる。
本法寺は光悦の曾祖父である宗家六代本阿弥本光が日親上人に帰依
し、その外護を受けて日親上人が建立した引通所を開基としている。
以降、本阿弥一門は本法寺を外護し、現在も本阿弥家一門の墓石群が
遣る。
本法寺の日通上人の代、天正15年(1587)に豊臣秀吉が行った都市
整備により同寺は現在の地に移転再建する。その際、光二・光悦親子
は私財と投じて堂宇の建立・整備に尽力している。本堂には光悦揮毫
の扁額「本法寺」が掲げられ、日蓮上人の遺文「法華題目抄」や
「如説修行抄」「観心本尊得意抄」を光悦が書写して納めている。
TNM(台東区上野公園13-9)
983.4cm、十巻、京都・本法寺所蔵)は、法華経の八巻と開経・無量義
経、結経・観普賢経と合わせて十巻一具が完備。
「寄進状」によると、“道風之法華経”とあり、“三蹟”で知られる小野
道風による写経と伝えられたことがわかる。しかし実際の書写年代は
平安時代中期の頃で、一般的な経典の金字書写は紺紙が用いられ、紫
紙は珍しく古写経とされる。
本法寺は光悦の曾祖父である宗家六代本阿弥本光が日親上人に帰依
し、その外護を受けて日親上人が建立した引通所を開基としている。
以降、本阿弥一門は本法寺を外護し、現在も本阿弥家一門の墓石群が
遣る。
本法寺の日通上人の代、天正15年(1587)に豊臣秀吉が行った都市
整備により同寺は現在の地に移転再建する。その際、光二・光悦親子
は私財と投じて堂宇の建立・整備に尽力している。本堂には光悦揮毫
の扁額「本法寺」が掲げられ、日蓮上人の遺文「法華題目抄」や
「如説修行抄」「観心本尊得意抄」を光悦が書写して納めている。
TNM(台東区上野公園13-9)