塩哲の色不異空

日々の思いを気の向くままに

ミュージアム巡り 太田道灌と江戸 太田資長書状写

2018-07-06 05:42:18 | ミュージアム巡り_2020
 次の書は、大河宮内丞と多田勘解由左衛門尉にあてた太田資長
(道灌?)の書状の写し。
 内容は、相模国三浦郡和田郷(現在の神奈川県三浦市)にある龍
徳院の領地に賦課されている段銭(税の一種)を免除するよう求め
ているもの。
 これは年不詳であるが、署名の”資長”を道灌の実名とすると、
道灌を名のるのが文明3年(1471)から同6年6月の間なので、
8月20日に発給されていることからみて、遅くとも文明5年
(1473)以前と考えられる。ただし、署名の”資長”は道灌とは別
人とする説もある。

 展示資料は、新編相模国風土記稿ー津久井郡4に収録された写
しで、原文書は光明寺所蔵。これは昌平黌地理局総裁の林述斎の
建議により、天保元年(1830)から編纂に着手し同12年に脱稿。
全126巻。幕末に紅葉山文庫へ献上され、1873年皇居火災で消
失、その後に作成された写本のみが残されている。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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