次は、大正13年(1924)5月31日、皇太子裕仁親王のご成婚時のメニ
ュー料理で、天皇の料理番・秋山徳蔵が手がけられた物が再現されてい
る。当時のメニューカードも展示されていた。
天皇や皇族方の普段の食事は、宮中のスタッフでまかなわれるが、
代替わりの大きな晩餐会などは市井のレストランスタッフが呼ばれ厨
房作業に当たる。そのときには、秋山シェフなどが身につけた技法や
レシピを参考に作業された。
また、現在のフランス料理は宮中でもてなされた料理が国内に根付
き広まったといえる。
明治37年(1904)に刊行された「常磐西洋料理」にはサンドイッチ
のレシピが載っていた。
NMNS(台東区上野公園7-20)
ュー料理で、天皇の料理番・秋山徳蔵が手がけられた物が再現されてい
る。当時のメニューカードも展示されていた。
天皇や皇族方の普段の食事は、宮中のスタッフでまかなわれるが、
代替わりの大きな晩餐会などは市井のレストランスタッフが呼ばれ厨
房作業に当たる。そのときには、秋山シェフなどが身につけた技法や
レシピを参考に作業された。
また、現在のフランス料理は宮中でもてなされた料理が国内に根付
き広まったといえる。
明治37年(1904)に刊行された「常磐西洋料理」にはサンドイッチ
のレシピが載っていた。
NMNS(台東区上野公園7-20)
明治時代になると、文明開化の流れの中でフランス料理が宮中晩餐
会の正式料理に採用される。
“天皇の料理番”としてご存じの元宮内省主厨長・秋山徳蔵は、自身
の在職期間以前のものも含めた宮中料理やヨーロッパ各地のレストラ
ン、ホテル、王室関連の料理メニューカードをコレクションされてい
た。
ここに再現されているのは、明治20年(1887)5月13日に明治天皇
と昭憲皇太后がドイツからの賓客をもてなした午餐会の食卓の様子。
秋山さんは、フランスで料理修業された最初の日本人と言われて
おり、修業先の一つがホテル・リッツだった。ここにはフランス料理
を近代化したという伝説的人物・エスコフィエが活躍していた。その
時代の最先端フランス料理を会得されて宮中に持ち込まれている。
NMNS(台東区上野公園7-20)
会の正式料理に採用される。
“天皇の料理番”としてご存じの元宮内省主厨長・秋山徳蔵は、自身
の在職期間以前のものも含めた宮中料理やヨーロッパ各地のレストラ
ン、ホテル、王室関連の料理メニューカードをコレクションされてい
た。
ここに再現されているのは、明治20年(1887)5月13日に明治天皇
と昭憲皇太后がドイツからの賓客をもてなした午餐会の食卓の様子。
秋山さんは、フランスで料理修業された最初の日本人と言われて
おり、修業先の一つがホテル・リッツだった。ここにはフランス料理
を近代化したという伝説的人物・エスコフィエが活躍していた。その
時代の最先端フランス料理を会得されて宮中に持ち込まれている。
NMNS(台東区上野公園7-20)