長谷川町子の漫画「サザエさん」は、昭和21年(1946)から同48年
(1973)まで朝日新聞で連載された。そこには磯野家を通じた日本の食
事情が映り出されていた。

1952年頃から日本は高度経済成長期へ向かい、TVの料理番組では
和総菜以外に洋風や中華風の総菜も紹介される。58年にはインスタン
トラーメンが発売され、台所事情も変化してくる。

磯野家でも終戦後はご飯はかまどで炊き、七輪が活躍していた。51
年になると、ご飯は電気コンロで炊き、55年には電気炊飯器が登場。
62年になると電気冷蔵庫を購入し、プロパンガスが普及され、70年に
は台所に換気扇がつけられ炒め物や揚げ物が普及していく。

磯野家では時代に反映した食事をしながら、出前や外食も利用する。
メニュー構成は和風7割、洋風2割、中華1割の割合で、昭和時代の暮ら
しが反映されている。

NMNS(台東区上野公園7-20)
(1973)まで朝日新聞で連載された。そこには磯野家を通じた日本の食
事情が映り出されていた。

1952年頃から日本は高度経済成長期へ向かい、TVの料理番組では
和総菜以外に洋風や中華風の総菜も紹介される。58年にはインスタン
トラーメンが発売され、台所事情も変化してくる。

磯野家でも終戦後はご飯はかまどで炊き、七輪が活躍していた。51
年になると、ご飯は電気コンロで炊き、55年には電気炊飯器が登場。
62年になると電気冷蔵庫を購入し、プロパンガスが普及され、70年に
は台所に換気扇がつけられ炒め物や揚げ物が普及していく。

磯野家では時代に反映した食事をしながら、出前や外食も利用する。
メニュー構成は和風7割、洋風2割、中華1割の割合で、昭和時代の暮ら
しが反映されている。

NMNS(台東区上野公園7-20)
時代の移り変わりとともに食事スタイルは変わっても、家庭の中心
であった食卓は文化であった。畳にちゃぶ台スタイルからテーブルに
椅子に変わっていく。洋食のカレーやラーメンのように外食や屋台店
の普及なども登場する。
また、学校給食の普及でパンやミルクがアメリカからもたらされ、
江戸期のローカル料理のにぎり寿司が全国区になっていったり、高度
経済成長期にはインスタントラーメンを筆頭にした簡易食品が普及し
ていく。そこには冷蔵庫や洗濯機、掃除機など家電製品の普及ととも
に、火事の簡便化が平行して浸透していく。
万博や東京オリンピックの開催で、海外からの観光&観戦客が来日
し、いろんな国のエスニック料理も広がっていった。
NMNS(台東区上野公園7-20)
であった食卓は文化であった。畳にちゃぶ台スタイルからテーブルに
椅子に変わっていく。洋食のカレーやラーメンのように外食や屋台店
の普及なども登場する。
また、学校給食の普及でパンやミルクがアメリカからもたらされ、
江戸期のローカル料理のにぎり寿司が全国区になっていったり、高度
経済成長期にはインスタントラーメンを筆頭にした簡易食品が普及し
ていく。そこには冷蔵庫や洗濯機、掃除機など家電製品の普及ととも
に、火事の簡便化が平行して浸透していく。
万博や東京オリンピックの開催で、海外からの観光&観戦客が来日
し、いろんな国のエスニック料理も広がっていった。
NMNS(台東区上野公園7-20)