続いて、「扁額 学室」(明治2年・1869、原品:本阿弥光悦筆、木製、
58/87.5cm、一面、京都・常照寺所蔵)。
寺で教育に取り組む施設を“学堂”、“学室”と呼び、本扁額の文字は
光悦が揮毫したと伝わり、学問所にふさわしい装飾のない簡素なもの。
裏面には制作の由来が示されており、鷹峯檀林の玄能でもあった高
照山本傳寺十六世・沾妙院日道上人の銘文が刻されている。
そこには光悦揮毫の額は、万延元年(1860)に消失したが、日道が丹
波篠山の宝乗山妙福寺二十六世・温讓院日慈上人と弟子達とあいはかり、
万延2年にかつて模写した文字により再刻したという。さらに明治2年
に再び模刻したものが本扁額であると伝えている。
「本阿弥行状記」第52段に、元和2年(1616)に光悦の子・光嵯の発願
により“法華の鎮所”を建立したとある。常照寺に僧侶の学問所・鷹峯
檀林を開設。往時は境内に30余の堂宇が並び、数百人の学僧が集って
いたという。
TNM(台東区上野公園13-9)
58/87.5cm、一面、京都・常照寺所蔵)。
寺で教育に取り組む施設を“学堂”、“学室”と呼び、本扁額の文字は
光悦が揮毫したと伝わり、学問所にふさわしい装飾のない簡素なもの。
裏面には制作の由来が示されており、鷹峯檀林の玄能でもあった高
照山本傳寺十六世・沾妙院日道上人の銘文が刻されている。
そこには光悦揮毫の額は、万延元年(1860)に消失したが、日道が丹
波篠山の宝乗山妙福寺二十六世・温讓院日慈上人と弟子達とあいはかり、
万延2年にかつて模写した文字により再刻したという。さらに明治2年
に再び模刻したものが本扁額であると伝えている。
「本阿弥行状記」第52段に、元和2年(1616)に光悦の子・光嵯の発願
により“法華の鎮所”を建立したとある。常照寺に僧侶の学問所・鷹峯
檀林を開設。往時は境内に30余の堂宇が並び、数百人の学僧が集って
いたという。
TNM(台東区上野公園13-9)