日本におけるテレビの研究とその導入については、ラジオ
放送が始まる前から始められていた。
遠くの光景を目の前に再現する “無線遠視”を夢見ていた高
柳健次郎は、1926年12月25日に「イ」の文字をブラウン管
に映し出す事に成功。奇しくもこの日は大正天皇崩御の日だ
った。これより日本におけるテレビ開発がスタートを切る。
高柳式テレビは、まず送像機が丸板に小さな孔(走蒼孔)
を渦巻き状に開けたニプコー円板による機械式走査を、円板
を回転させ1つの走査孔が像の前を通過すると1本の光の線
ができる。その走査孔の数と同じ数の走査線で像が描かれる。
この走査線成分の明るさの変化を信号に変えて受像機に送る
仕組み。
・走査孔の数:40
・走査線:40本(ちなみにハイビジョンは1125本)
・円板回転数:毎秒30(当初は毎秒14)
また、受像機は世界で初めてブラウン管を使用した電子式
テレビ受像機。
こちらは、1931年にテレビジョンの調査研究のためイギ
リス・ベアード社から輸入したテレバイザー(54×70×31cm
)で、ニポー円板を使って機械的に走査を行い走査線は毎秒
30タイプだった。
テレビの元祖と言われるタイプ。右の小窓に付けた直径
10cmの拡大レンズで映像を見るようになっている。
NHKミュージアム(港区愛宕2-1-1)
放送が始まる前から始められていた。
遠くの光景を目の前に再現する “無線遠視”を夢見ていた高
柳健次郎は、1926年12月25日に「イ」の文字をブラウン管
に映し出す事に成功。奇しくもこの日は大正天皇崩御の日だ
った。これより日本におけるテレビ開発がスタートを切る。
高柳式テレビは、まず送像機が丸板に小さな孔(走蒼孔)
を渦巻き状に開けたニプコー円板による機械式走査を、円板
を回転させ1つの走査孔が像の前を通過すると1本の光の線
ができる。その走査孔の数と同じ数の走査線で像が描かれる。
この走査線成分の明るさの変化を信号に変えて受像機に送る
仕組み。
・走査孔の数:40
・走査線:40本(ちなみにハイビジョンは1125本)
・円板回転数:毎秒30(当初は毎秒14)
また、受像機は世界で初めてブラウン管を使用した電子式
テレビ受像機。
こちらは、1931年にテレビジョンの調査研究のためイギ
リス・ベアード社から輸入したテレバイザー(54×70×31cm
)で、ニポー円板を使って機械的に走査を行い走査線は毎秒
30タイプだった。
テレビの元祖と言われるタイプ。右の小窓に付けた直径
10cmの拡大レンズで映像を見るようになっている。
NHKミュージアム(港区愛宕2-1-1)