塩哲の色不異空

日々の思いを気の向くままに

ミュージアム巡り 放送の始まり テレビ導入

2023-06-30 02:51:52 | ミュージアム巡り_2023
 日本におけるテレビの研究とその導入については、ラジオ
放送が始まる前から始められていた。
 遠くの光景を目の前に再現する “無線遠視”を夢見ていた高
柳健次郎は、1926年12月25日に「イ」の文字をブラウン管
に映し出す事に成功。奇しくもこの日は大正天皇崩御の日だ
った。これより日本におけるテレビ開発がスタートを切る。

 高柳式テレビは、まず送像機が丸板に小さな孔(走蒼孔)
を渦巻き状に開けたニプコー円板による機械式走査を、円板
を回転させ1つの走査孔が像の前を通過すると1本の光の線
ができる。その走査孔の数と同じ数の走査線で像が描かれる。
この走査線成分の明るさの変化を信号に変えて受像機に送る
仕組み。

・走査孔の数:40
・走査線:40本(ちなみにハイビジョンは1125本)
・円板回転数:毎秒30(当初は毎秒14)
 また、受像機は世界で初めてブラウン管を使用した電子式
テレビ受像機。
 こちらは、1931年にテレビジョンの調査研究のためイギ
リス・ベアード社から輸入したテレバイザー(54×70×31cm
)で、ニポー円板を使って機械的に走査を行い走査線は毎秒
30タイプだった。
 テレビの元祖と言われるタイプ。右の小窓に付けた直径
10cmの拡大レンズで映像を見るようになっている。
NHKミュージアム(港区愛宕2-1-1)

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ミュージアム巡り 放送の始まり 玉音放送

2023-06-29 02:42:29 | ミュージアム巡り_2023
 こちらは、1945年8月15日、NHKラジオ第1放送から放送
された「大東亜戦争終結ノ詔書」音読レコード(玉音盤)。皇居
内に持ち込まれた4台の録音機で、昭和天皇の生声を収録され
たうちの1枚。

 昭和天皇は詔書を朗読されレコード盤に録音、翌15日正午よ
りラジオ放送にて国民に詔書の内容を広く告げられ、敗戦の象
徴的事象とされた。御前会議の後、陸軍の一部には徹底抗戦を
唱え、クーデターを意図し放送用の録音盤を奪取しようという
動きもあったが、失敗に終わる。
 放送はアセテート盤のレコード・玉音盤の再生によるが、当
時の電力事情が悪く間欠送電などのため音質が悪かった。天皇
の独特の節回し、詔書には難解な漢語も含まれ、論旨がよくわ
からなかったという証言もあった。その中でも、“堪え難きを
堪え、忍び難騎を忍び”部分は、戦時中の困苦と不安を喚起さ
せ、印象深い。
NHKミュージアム(港区愛宕2-1-1)

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ミュージアム巡り 放送の始まり 受信装置1号

2023-06-28 02:36:48 | ミュージアム巡り_2023
 こちらは1936年にNHKが、当時の放送を開始したばかりの
学校放送利用促進と研究のため、標準型全校受信装置として
試作されたもの。この1号機は長野県の小学校に設置された。
 ラジオはもとよりレコードやマイクの音を、全教室に放送
したり体育館や運動場にも流されていたもの。
NHKミュージアム(港区愛宕2-1-1)

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ミュージアム巡り 放送の始まり 放送法

2023-06-27 01:45:54 | ミュージアム巡り_2023
 逓信省によって(社)日本放送局以外は制限されていた民間ラ
ジオ放送の設置が、1950年の放送法により自由となる。翌年、
中部日本放送と新日本放送によるラジオ放送が日本初の民間放
送となる。

 60年代に入ると半導体素子のトランジスタを使用した小形で
軽量、低消費電力化を実現したトランジスタラジオの普及が進
み、ラジオが一家に一台から一人に一台時代を迎える。

 25年のラジオの登場からテレビが普及する60年頃までの約
35年間、ラジオは家庭の情報伝達、娯楽のメインであった。

NHKミュージアム(港区愛宕2-1-1)

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ミュージアム巡り 放送の始まり ラジオ体操

2023-06-26 02:45:38 | ミュージアム巡り_2023
 1928年11月、「ラジオ体操」が即位の大礼記念事業の一環とし
てスタートする。この体操は主要都市で実技指導が行われ、図解
や宣伝ビラなどが印刷され学校や会社に配布、全国の普及を始め
る。

 1920年代後半、野球や相撲中継が始まると、その放送を聴こ
うとラジオ店の店先に多くの人が詰め掛ける。スピーカーの受信
機が普及すると、都市部では自宅の一家団欒能勢活用式がラジオ
と共に中心となる。

 中でも、1931年9月、満州事変が勃発した時、ラジオの臨時ニ
ュースが速報性を発揮する。
NHKミュージアム(港区愛宕2-1-1)

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