明治3年(1870)、名古屋藩知事の徳川慶勝(元名古屋藩第14・17
代藩主)は、明治政府の資金として活用するため、名古屋城の金鯱を
宮内省へ献納する。そのまま保管された金鯱は、明治6年、オース
トリア・ウィーンで開かれた万国博覧会に出展されている。
出展後は、金鯱を城に返すべきとの声が挙がる。
展示資料「大政類典」には、明治11年、名古屋の商人・伊藤次郎
左衛門らが代表して金鯱の復旧を出願した内務省に対する上告書。
“古来ノ勝区ハ永遠二保存セラルル今日”にあり、管下の人民による
追慕の情はもっともなことであると記されている。

このような過程を経て、明治12年、金鯱は天守閣へ戻される。
なお、金鯱は1945年の空襲で焼失したため、現在の金鯱は2代目
である。

次の絵は、「東京名所三十六戯撰」(1872年、昇斎一景筆)で、
1872年に湯島聖堂大成殿を開場に開催された日本最初の博覧会の
様子が描かれたもの。中庭に陳列された名古屋城の金鯱は入場者
の注目を集めている。
NAJ(千代田区北の丸公園3-2)
代藩主)は、明治政府の資金として活用するため、名古屋城の金鯱を
宮内省へ献納する。そのまま保管された金鯱は、明治6年、オース
トリア・ウィーンで開かれた万国博覧会に出展されている。
出展後は、金鯱を城に返すべきとの声が挙がる。
展示資料「大政類典」には、明治11年、名古屋の商人・伊藤次郎
左衛門らが代表して金鯱の復旧を出願した内務省に対する上告書。
“古来ノ勝区ハ永遠二保存セラルル今日”にあり、管下の人民による
追慕の情はもっともなことであると記されている。

このような過程を経て、明治12年、金鯱は天守閣へ戻される。
なお、金鯱は1945年の空襲で焼失したため、現在の金鯱は2代目
である。

次の絵は、「東京名所三十六戯撰」(1872年、昇斎一景筆)で、
1872年に湯島聖堂大成殿を開場に開催された日本最初の博覧会の
様子が描かれたもの。中庭に陳列された名古屋城の金鯱は入場者
の注目を集めている。
NAJ(千代田区北の丸公園3-2)
明治4年(1871)の廃藩置県を機に、各地の城は陸軍省の管理とな
るが、全てが軍用地として必要だったわけではなく、それを維持管
理するのも困難だった、
展示資料の「太政類典」には、明治6年、各地の城を管理するこ
とに関する陸軍省・大蔵省への通達や、陸軍省が作成した「諸国廃
城調書」のうち、山城国、大和国の項目。
前者の通達には、全国の城郭及び軍事に関する地所・建物につい
ては、必要な分のみ陸軍の管轄とし、それ以外の“旧来ノ城郭陣屋“
等は廃し、“附属ノ建物木石”に至るまで全て大蔵省へ引き渡すと記
されている。
NAJ(千代田区北の丸公園3-2)
るが、全てが軍用地として必要だったわけではなく、それを維持管
理するのも困難だった、
展示資料の「太政類典」には、明治6年、各地の城を管理するこ
とに関する陸軍省・大蔵省への通達や、陸軍省が作成した「諸国廃
城調書」のうち、山城国、大和国の項目。
前者の通達には、全国の城郭及び軍事に関する地所・建物につい
ては、必要な分のみ陸軍の管轄とし、それ以外の“旧来ノ城郭陣屋“
等は廃し、“附属ノ建物木石”に至るまで全て大蔵省へ引き渡すと記
されている。
NAJ(千代田区北の丸公園3-2)
次の書は、「大政類典」に収められていた明治4年、戊辰戦争に
おける旧幕府軍側の処分通達。
ここには、会津藩の第9代藩主・松平容保について和歌山藩から
斗南藩(青森県東部)への預け替えとなることが記されている。容保
は翌明治5年に赦免された後、同13年に日光東照宮宮司となる。
また、請西藩第3代藩主・林忠崇ら旧幕府軍側の藩主に対する処
分も記されている。忠崇は1941年、全国の最後の藩主の中で、存
命されていた最後の藩主として92歳で生涯を閉じ、江戸から明治、
大正、昭和を生きた“最後の殿様”となる。
NAJ(千代田区北の丸公園3-2)
おける旧幕府軍側の処分通達。
ここには、会津藩の第9代藩主・松平容保について和歌山藩から
斗南藩(青森県東部)への預け替えとなることが記されている。容保
は翌明治5年に赦免された後、同13年に日光東照宮宮司となる。
また、請西藩第3代藩主・林忠崇ら旧幕府軍側の藩主に対する処
分も記されている。忠崇は1941年、全国の最後の藩主の中で、存
命されていた最後の藩主として92歳で生涯を閉じ、江戸から明治、
大正、昭和を生きた“最後の殿様”となる。
NAJ(千代田区北の丸公園3-2)
慶応3年(1867)から明治14年(1881)までの太政官日記及び日誌、
公文禄などから典礼条規を採録・浄書し、制度や官制、官規、儀制等
の19部門に分類し、年代順に編集された「大政類典」。
次の書は、琉球藩が設置された後、東京と同藩との間で運航され
た郵便船について規定が定められたもの。
展示頁は、「大政類典」より、琉球藩への郵便規則に関する旧大
蔵省の伺いと、これに付属した「東京琉球及び沿線各港郵便蒸気往
復日数日割り表」。
これによると、往路は毎月16日に東京を出航した蒸気船が神戸、
大阪、鹿児島に寄港した後、翌月1日午前8時に那覇へ入港する
行程。また、復路は6日午前6時に那覇を発ち、21日に東京へ入
港する行程となるとある。
NAJ(千代田区北の丸公園3-2)
公文禄などから典礼条規を採録・浄書し、制度や官制、官規、儀制等
の19部門に分類し、年代順に編集された「大政類典」。
次の書は、琉球藩が設置された後、東京と同藩との間で運航され
た郵便船について規定が定められたもの。
展示頁は、「大政類典」より、琉球藩への郵便規則に関する旧大
蔵省の伺いと、これに付属した「東京琉球及び沿線各港郵便蒸気往
復日数日割り表」。
これによると、往路は毎月16日に東京を出航した蒸気船が神戸、
大阪、鹿児島に寄港した後、翌月1日午前8時に那覇へ入港する
行程。また、復路は6日午前6時に那覇を発ち、21日に東京へ入
港する行程となるとある。
NAJ(千代田区北の丸公園3-2)