塩哲の色不異空

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ミュージアム巡り 太田道灌と江戸 北条氏直書状写

2018-07-22 05:28:39 | ミュージアム巡り_2020
 次の書は、江戸衆の島津左近大夫らに宛てた北条氏直の書状写し。
年代は氏直の家督相続や北条氏秀の没年月日(天正11年6月2日)
から、天正10年(1582)と比定できる。
 その内容は、下総国関宿城に在番だった氏秀を病気療養のために
江戸城に帰還させ、その代わりに左近大夫らに在番を命じたもの。
関宿城は利根川と太日川(江戸川)の分岐点にあり、北条氏領国の軍
事・物量上の重要拠点だったところ。
 その時代の政治情勢は、”本能寺の変”が起こり織田信長が死去
し、北条氏は織田氏領国であった甲斐・信濃の領有を巡り徳川氏と
争っており(天正壬午の乱)、上野から信濃へ進出するために領国各
地から軍勢を集結させていた。
 この書状では、そのような情勢から病気の氏秀を帰還させ、江戸
城に駐留する軍勢を関宿城に派遣したことが伺える。
 展示資料は「小田原編年録」附録4に収録されたものの写し。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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