明治45年(1912)7月30日、天皇が崩御され直ちに皇太子・嘉仁
親王が践祚される。後の大正天皇。大正4年(1915)11月6日、大
正天皇は登極令に従い京都へ行幸され、京都御所で大礼に臨まれる。
展示資料では、同日の行動が午前3時30分から様々な予定が組ま
れている「大礼記録」(巻60)。
大正5年5月、大礼の記録を編纂するため内閣に大礼記録編纂委
員会が設置され作業に着手。この「大礼記録」は当初公開を意図し
ておらず、宮内省図書寮と内閣が管理する内閣文庫に納めるため2
セットのみ製作され、現在、宮内省公文書館と同館に所蔵されてい
る。巻1〜128からなる綴りの他、写真や絵図、生地見本など様々
な資料で校正されていた。
写真は、京都への行幸の際、鹵簿が宮城前広場に設置された奉祝
門を通過する様子が写されている。中央の飾りの付いた馬車が御料
車。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)
親王が践祚される。後の大正天皇。大正4年(1915)11月6日、大
正天皇は登極令に従い京都へ行幸され、京都御所で大礼に臨まれる。
展示資料では、同日の行動が午前3時30分から様々な予定が組ま
れている「大礼記録」(巻60)。
大正5年5月、大礼の記録を編纂するため内閣に大礼記録編纂委
員会が設置され作業に着手。この「大礼記録」は当初公開を意図し
ておらず、宮内省図書寮と内閣が管理する内閣文庫に納めるため2
セットのみ製作され、現在、宮内省公文書館と同館に所蔵されてい
る。巻1〜128からなる綴りの他、写真や絵図、生地見本など様々
な資料で校正されていた。
写真は、京都への行幸の際、鹵簿が宮城前広場に設置された奉祝
門を通過する様子が写されている。中央の飾りの付いた馬車が御料
車。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)